チベットが直面する問題 (2012年) : ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

1949年、独立国チベットは中国軍の侵攻を受け多くの人が命を落とし、その後間もなく、共産主義のイデオロギーと文化大革命(1966-76)によってさまざまな自由も失った。しかしそれで最悪の事態が過ぎ去ったわけではなかった。独自の民族、文化、宗教といったチベットのアイデンティティーの行方は中国によって操られ、深刻な危機的状況にさらされているのである。


国家の独立
2000年以上にわたる歴史の記録が示す通り、中国の支配が始まる以前のチベットは独立国として存在していた。しかし国連に加盟しておらず、そのため世界の大半もまた中国による占領と破壊を傍観したのである。
チベット内部のチベット人は中国からの独立を求めてデモを繰り返し行ってきた。チベット民族の闘いはずっと非暴力のものであった。にもかかわらず、10歳という年端のいかない子どもですら「チベットは独立国だ」「ダライ・ラマ法王よ永遠に」などと囁こうものなら、「祖国を分裂」しようとする者として非難され、投獄されるケースも頻繁に起きている。チベット国旗の写しを所有していれば7年の懲役刑が科せられる。現在分かっているだけで116名の政治犯がチベット高原に点在する中国の刑務所あるいは勾留所に収監されている(TCHRD 2006年報告書)。そのうち43.95%に当たる51名が政治的、宗教的あるいは民族主義的理由で10年以上の懲役刑に服している。


文化と宗教
チベットの宗教は中国の徹底的な破壊の対象となり、6千以上の僧院と無数の仏教工芸品が破壊された。中国は現在もチベット仏教と文化を共産党支配にとっての最大の脅威と見なしている。第3回および第4回西蔵工作座談会(それぞれ1994年、2001年に開催)においても、チベット宗教を抹消するための方策が求められた。


チベット宗教指導者の糾弾
チベット人は、ダライ・ラマ法王および法王に認定されたパンチェン・ラマを公然と非難し、中国政府への忠誠を誓う事を強いられている。それに逆らえば懲役刑あるいは他の罰が科されることになる。チベット内部でダライ・ラマ法王の写真を所有することは違法行為である。
ダライ・ラマ法王に対する「死闘」を宣言した中国政府は、2005年5月以降、法王への攻撃をさらに強めていった。チベット宗教のリーダーに対するこの新たなキャンペーンを、多くの人が文化大革命時代の復活だと表現している。
2007年7月には新たな法規が施行され、全てのトゥルク、つまり転生ラマは国の認定を受けなければならなくなった。中国政府は同法を実施することで、チベット宗教における活仏認定の権限を剥奪し、さらには国家というスポンサー付きの転生ラマを通じてチベットの土地と人々を支配しようとしているのである。


中国人の移住
近年、中国人のチベットへの移住が続き、チベットの地にありながらチベット民族は少数派になってしまった。600万人のチベット人はその数において中国人移住者に大幅に劣っている。しかも移住者である中国人は教育、就労、個人事業といった分野で優遇措置を受けている。対照的にチベット人は自国にありながら二流市民のように扱われているのである。
チベットの経済的・社会的発展を謳いながら、中国政府は中国人のチベットへの移住政策を進め、チベット人を経済、教育、政治、社会の分野から排斥してきた。
ゴルムド-ラサ間の路線が2006年7月に正式に開通したが、これによって中国人の大規模なチベット移住に拍車がかかり、内モンゴル自治区や新疆ウイグル自治区同様、チベット民族は自らのために立ち上がる事もできなくなってしまった。この鉄道はおよそ5千~6千人の中国人を毎日チベットに運んでくる。そのうち2千~3千人が中国に戻り、残りは無期限でチベットに在留すると推定されている。もしこのパターンが続けば、チベット問題に対する中国政府の「最終解決法」が望み通りのゴールに辿り着く日も遠くはないだろう。


教育
政府はあらゆる分野においてチベット語を無用の長物に仕立てることでチベット文化を抑圧してきた。チベットにおける教育システムは中国と中共のイデオロギーに完全に管理され、中国人移住者のニーズに合わせてコントロールされてきた。チベット人学生は差別的に高い学費を課され、不十分な地方の教育施設をあてがわれている。
これまでに、自国において十分な教育を受けられない1万人以上の子どもや若者がインドの亡命社会に逃れ、チベット内部ではあり得ない教育の機会を享受している。ダラムサラのチベット難民受け入れセンター(Tibetan Reception Centre)の記録によると、1991年から2004年6月までにセンターが受け入れた新たな難民数の合計は4万3千634人であった。このうち59.75%は13歳未満の子どもと13歳から25歳の若者であった。2006年だけでもセンターが受け入れたチベット人は2445人で、その大半は18歳未満の子どもたちであった。このようにヒマラヤを越えて危険を冒してまで大勢の若いチベット人が母国を後にする理由はただ一つ、家から遠く離れ、相応の宗教および一般教育を受けるためである。
僧院では中国政府が送り込んだ工作隊が僧や尼僧を相手に、政治や宗教に対する考えを「再教育」している。その方法は文化大革命で用いられたものに似ている。1996年から1998年に行われた「厳打キャンペーン」では492人の僧や尼僧が逮捕され、9997人が所属していた寺院や僧院から追放された。
2006年5月に張慶黎がチベット自治区の書記に就任すると「愛国再教育」キャンペーンが強化され、僧院や尼僧院だけでなく、学校を含むより広い範囲がその対象となった。同キャンペーンの主な狙いは、ダライ・ラマ法王への糾弾を誓わせることで、チベット人の信仰心を方向転換させることにある。


普遍的人権
中華人民共和国は1998年までに国際人権規約を含む三つの規約に署名しているが、それらが国内、チベット内で実施されているかというと現実は程遠い。個人および集団に対する権利侵害は続き、チベット民族と独自のアイデンティティーの未来に暗い影を落としている。
それを的確に物語るのが2006年9月30日に起きたナンパ・ラ襲撃事件である。二人のチベット人が命を落とし、14人の子どもを含む30人のチベット人が拘束された。この事件で、チベット内部の人権侵害がいかにひどいかが明らかになっただけでなく、中国国境警察による人権蹂躙がまかり通っていることが明白になった。この悲劇を境に、2007年前半、分離主義を取り締まり地元の安寧を守る「厳打キャンペーン」の一環として、チベット自治区の公安局は違法な国境越えを抑制するよう命じられた。その結果国境警備が強化され、チベット人が国内の圧力から逃れるのを防ぐ厳しい方策が講じられることになった。
中央チベット政権は、中国政府がチベット内部のチベット人の、生存権、自由権そして表現の自由、信教の自由、文化や教育を享受する自由を侵害していると断言する。

現在チベットでは、
・ 中共のイデオロギーに反する意見を述べれば逮捕の対象になる。
・ 中国政府は宗教関連施設から、ダライ・ラマ法王への忠誠心、チベット民族主義そしてその他の異論を払拭しようとしている。
・ チベット人は随意の逮捕・拘禁の対象となる。
・ 収監された者が法的代理人をたてることをしばしば拒否されている。中国の裁判制度は国際基準に準じていない。
・ 国連拷問禁止条約に反し、中国の刑務所および勾留所では現在も拷問が行われている。
・ 苦しい生活、不十分な設備、差別的な措置といった理由から、多くのチベットの子どもたちが適切な医療・教育を受けられずにいる。
・ 政治犯の割合が中国の他のどの地域よりも遥かに大きい。
・ 表現の自由の規制は子どもにも適用される。チベット人政治犯の中には18歳未満の子どももいる。子どもの僧や尼僧は宗教施設から絶えず追放されている。
・ 逮捕された者が、拘禁の詳細が不明なまま行方不明になるケースが現在も絶えない。
・ ダライ・ラマ法王にパンチェン・ラマ11世として認定されたゲドゥン・チューキ・ニマ少年は1995年から行方不明のままである。
・ チベット内部のチベット人の70%が貧困生活を強いられている。
・ 現在も多くのチベット人が自由、仕事、教育を求めて母国から亡命社会に逃れている。亡命社会では、中国政府が考えもしないような便宜がインド政府により図られている。                                                     
中国政府が人権に関する規約を遵守するよう、国際社会からの圧力が引き続き必要である。


環境
アジアの中心に位置するチベットは、環境保全において世界で最も重要かつ繊細な場所である。チベット民族は、地球上の命あるものとそうでないものは相互依存しているという仏教の教えに基づき、自然と共に生きてきた。しかし中国の侵攻によって、自然を愛するチベット民族の姿勢も中共の打算的なイデオロギーに踏みにじられることになった。
この50年間、チベットでは広い範囲でその環境が破壊されてきた。その結果、森林破壊、土地の侵食、野生生物の絶滅、過放牧、規制のない天然資源の採掘、核廃棄物の投棄などが起きている。現在も中国は、時に海外の支援を受けながらさまざまな鉱物資源を採取しているが、環境保護措置がないためにチベットの環境は危機的状況に直面している。そしてその影響は遥か国境を越えた場所にも及んでいるのである。


森林破壊
チベットには世界屈指のすばらしい森林地帯が広がっている。何百年もかけて成長した木々の中には高さ90フィート(27m)周囲5フィート(1.5m)、あるいはそれ以上になるものも多い。中国によるチベットの「発展」および「近代化」計画によって、これらの森林も無差別に伐採されてきた。1959年、チベットには2520万ヘクタールの森林地帯があった。それを中国は1985年までに1357万ヘクタールまで減少させた。実に46%以上の森が破壊されてしまったのである。地域によってはこの数値は80%にまで跳ね上がる。1959年から1985年までの間に中国は540億ドル分の材木をチベットから切り出したのだ。森林破壊と不適切な森林再生プログラムは野生生物にも影響を与え、土地の侵食や近隣諸国および中国内の洪水の原因となっている。


土地の侵食と洪水
チベットにおける大規模な森林破壊、天然資源の採掘、無理な農耕が、土地の侵食を促し、アジアで最も重要な河川の河床堆砂の原因となっている。メコン川、長江、インダス川、サルウィン川そして黄河の河床堆砂は、近年アジアで起きた記録的な洪水を引き起こした。さらに地滑りが起きることで農耕可能な土地も減少している。このように、チベット源流の河川沿いに生活する地球人口の半数に当たる人々の生活に影響を及ぼしているのである。


地球気候への影響
科学者らによって、チベット高原の植生と安定したモンスーンとの間に相関関係があることが報告されている。安定したモンスーンは南アジアの胃袋にとって必要不可欠だ。チベット高原の環境が、太平洋の台風やエルニーニョ現象の発生に関わるジェット気流に影響を与えているという研究報告もある。エルニーニョ現象は世界中に被害をもたらしている。


野生生物の絶滅
1901年、第13世ダライ・ラマ法王はチベットでの野生動物の狩猟を禁ずる法令を発布した。残念なことに中国は同様の措置をとっておらず、それどころか希少動物のスポーツ狩猟を積極的に奨励している。現在、チベット高原には少なくとも81種類の絶滅危惧種が存在する。その内訳はほ乳類39種、鳥類37種、両生類4種、そして爬虫類1種である。


無制限の資源採掘
産業発展に必要な原料を供給するため、中国政府はチベットからホウ砂、クロム、銅、金そしてウランの採掘を盛んに行ってきた。中国で産出する15の主要鉱物のうち7種類が10年以内に底を突くと言われており、必然的にチベットの鉱物資源の乱開発に拍車がかかっているのである。
ラサに通ずる新たな路線が開通したことで、チベットの膨大な鉱物資源開発はこれまでよりも容易になるだろうと言われている。中国国土資源部のもと、鉱物資源開発を行っている中国地質調査局の調査によると、地質学者らが同鉄道沿線上に新たに600カ所の銅・鉄・鉛・亜鉛の埋蔵場所を発見したというのだ。同調査によれば、そこには中国市場の需要を満たす量の鉱物が埋蔵しているという。中国地質調査局、地質研究所所長のZhuang Yuxunは、新たに発見された鉱物資源は青蔵鉄道近くに埋蔵しているため、これらのストックは2-3年のうちに市場に出せるだろうと示唆している。
採掘が盛んに行われればそれだけ植生が減少し、大規模な地滑りや土地の侵食が促される。野生生物は生息地を失い、小川や河川の汚染もすすむことになる。


核廃棄物の投棄
かつてインドと中国間の緩衝国として平和な国であったチベットも、今では武装がすすみ、少なくとも50万人の兵が駐留し、中国が保有する核兵器の三分の一が配置されている。中国が初めてチベットに核兵器を持ち込んだのは1971年のことだ。今日、中国はチベットを国内外の核廃棄物の投棄場として使っているようだ。1984年には、China Nuclear Industry Co-operationが西側諸国に対し、核廃棄物を1キロ1500ドルで請け負うと申し出ている。
チベットにある中国の核関連施設付近では、チベット人や家畜の不可解な死が報告され、ガンや先天性異常のケースも増えている。さらに、水路が汚染されたことを地元の中国住民だけが正式に知らされ、チベット人は無視されるといったケースも何度か起きている。中国は、チベットの繊細な自然環境やそこに生きる正当な権利をもつ住人のことを顧みることなく、チベット高原を支配し続けているのである。
* ここでいう「チベット」はチョルカ・スム、つまりウー・ツァン、カム、アムドのチベット三州全体を指している。現在の中国行政区分に言い換えれば、いわゆるチベット自治区、青海省、四川省の二つのチベット自治州と一つのチベット自治県、甘粛省の一つのチベット自治州と一つのチベット自治県そして雲南省の一つのチベット自治州にあたる。

(翻訳:中村高子)


チベットが直面する問題 (2012年) : ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
http://www.tibethouse.jp/about/issues-facing-tibet-today.html

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