中国:李旺陽氏の死亡に関する公開書簡 : アムネスティ・インターナショナル

中国:李旺陽氏の死亡に関する公開書簡
2012年6月21日
[国際事務局発表ニュース]
国・地域:中国
トピック:危機にある個人

中華人民共和国 100805 北京市西城区西交民巷23
全国人大常務委員会弁公庁
全国人民代表大会常務委員会委員長
呉邦国殿

アムネスティ・インターナショナルは、李旺陽氏の死亡に関して、迅速かつ徹底的で独立した調査が、行われることを要請します。また、李氏の親戚や友人が、恣意的な拘禁や、移動と表現の自由に対する違法な制限を受けることのないよう保護されることを要請いたします。

アムネスティは、全国人民代表大会常務委員会が、李旺陽氏の死亡の原因とその状況について、迅速かつ徹底的で独立した調査を命じることを要請いたします。2012年6月6日、邵陽市大祥区人民病院で、長年にわたり反体制活動を行ってきた李旺陽氏の遺体が不審な状況で発見されました。

さらに、2012年6月7日には、李氏の妹と義理の弟である李旺玲と趙宝珠、また李氏の親戚と友人のうちの少なくとも二人が連行され、拘禁されたままです。アムネスティは、全国人民代表大会常務委員会が、李氏の妹と義理の弟、そしてその他の家族や友人が、恣意的に拘禁されないこと、また彼らの移動や表現の自由が違法に制限されないことを保証するよう要請いたします。


李旺陽氏の経歴

李旺陽氏は、過去に投獄されたことがあり、アムネスティは李氏を「良心の囚人」であると考えています。

李氏は、1950年に生まれ、邵陽セメント工場の従業員だった時、中国における独立した労働組合の提唱者になりました。1989年以前、李氏は非公認の新聞『資江民報』の発行に携わりました。李氏は1989年以前に尋問のため何度か警察に呼び出されています。

1989年6月3日と4日の軍事鎮圧に先立つ民主化運動の最中に、李氏は邵陽市労働者自治連合会を結成しました。連合会は、労働者のストライキとデモを組織しました。連合会の会員は、中国労働者の権利保護の改善を主張するため、演説をし、資料を配付し、「大字報」(評論・批判・要求などを書いた壁新聞)を貼り出しました。1989年の軍事鎮圧の直後、李氏は禁固13年の刑を宣告されました。

龍渓刑務所(湖南省第六監獄)と沅江刑務所(湖南省第一監獄)に投獄されている間に、李氏は、聴力と視力の大部分を失いましたが、これは拷問の結果であると申し立てされています。2000年6月、健康状態悪化のため、刑期を終える前に釈放されました。釈放されたとき、李氏は、心臓病、甲状腺機能亢進症、首と腰の痛みに苦しんでおり、失明しかけていたと言われています。釈放後、李氏は当局に対して治療費の補償を請求し始めました。

この訴えに対して当局が何の反応も示さないことに抗議して、22日間ハンガーストライキを続けた後、2001年5月6日、李氏は邵陽市公安要員に逮捕されました。同年6月11日、李氏は「国家政権転覆扇動」罪で告訴され、同年9月5日、邵陽市中級人民法院で有罪を宣告されました。同年9月20日、李氏は禁固10年の判決を受け、2011年5月に刑期を終え、釈放されました。それから間もなく、心臓病と重度の糖尿病を患っていた李氏は、治療のため邵陽市大祥区人民病院に入院し、亡くなるまで同病院で過ごしました。

2012年5月22日、李氏は香港のメディアのインタビューに答え、そこで彼を失明させ、彼の耳をほとんど聞こえなくした拷問について公に語り、さらに1989年の軍事的弾圧の犠牲者のため正義を追い求め続けるようにと、「天安門の母たち」の指導者である丁子霖を公に励ましました。李氏はインタビューの中で、「(中国の民主化のためには、)例え首をはねられても、(自分の行動を)決して後悔することはない」と述べています。このインタビューの後、警察や刑務所の要員が李氏の病院をより頻繁に訪れるようになりました。


2012年6月6日の李旺陽氏の死を取り巻く状況

2012年6月6日の朝6時頃、李氏の義理の弟趙宝珠が、大祥区人民病院から電話を受け、李氏の死亡について知らされました。約1時間後、趙宝珠と李旺玲は李氏の病室に到着し、窓枠に首を綿の布で結びつけられた状態の李氏を発見しました。

警察は、李氏は自殺したと主張しましたが、李氏の家族は、警察の説明に対して疑問を投げかけています。李氏の親戚たちの説明によると、彼らが発見した時、李氏の足は床にしっかり着いており、そのことが李氏が死亡した状況に疑念を抱かせています。

李氏は健康状態が悪く、目が見えず、助けなしには歩行が困難であったことを考えると、李氏の親族たちは、李氏が一体どうやって綿の布を見つけて自ら首を吊ることができたのかと疑問を投げかけています。さらに、李氏の家族と親族たちは、毎日李氏を見舞っていましたが、死の前日に見舞った際も、李氏は元気を取り戻しており、自殺するような気配はまったく見せていなかったことを確認しています。

6月6日の朝10時頃、警察は、李氏の親友や家族の反対にも関わらず、李氏の遺体を運び去りました。李氏の家族は、彼らが選んだ弁護士である唐荊陵氏の立ち会いのもとでない限り、検死に同意しないと繰り返しメディアに語りました。6月7日、李氏の家族が拘禁され、8日には、専門家と地元の政治家の立ち会いのもと、李氏の家族の同意を得て、同日に検死を行い、その様子を撮影したと邵陽市当局が発表しました。李氏の家族が選んだ弁護士は立ち会っていませんでした。

国際法および国際基準のもとでは、違法な殺人に対する全ての合理的な申し立てについては調査されなければなりません。この義務は、国家による、真実の公表を含む、人権侵害の被害者への賠償を保証する義務、また、侵害の加害者の責任を問うことと、そのような侵害が二度と繰り返されることのないよう対策を講じることも含む、生存権はもとより、人権を保護する一般的義務の両方を反映しています。

国連の超法規的、恣意的および即決処刑の効果的防止および調査に関する原則の原則9では、「親族による訴えやその他の信頼のおける筋からの情報により不自然な死であると示唆されているケースを含む、超法規的、恣意的、即決処刑の疑いのある全てのケースについては、徹底的で迅速かつ公正な調査を行わなければならない。・・・それには適切な検死、物的および記録文書的な証拠、および目撃者の証言全ての収集と分析が含まれなければならない」と述べられています。原則18では、加害者は法の裁きを受けなければならないとしています。原則20では、そのような処刑の被害者の家族や扶養家族は、合理的な期間の内に公正で十分な補償を受ける権利を与えられなければならないとしています。


李旺玲、趙宝珠、その他の友人や親戚

6月7日、李旺玲と趙宝珠は、他の2人の友人とともに、地元当局に連れ去られ、非公式の拘禁のための施設である邵陽ホテルに拘禁されたと報道されました。それ以来、友人や親戚、メディアが彼らと連絡を取ろうとしても、全く取れない状況が続いています。

信頼できる情報によると、2012年6月10日、李氏の友人の数人が、地元警察による厳重な監視下に置かれたそうです。一方、以前李氏とともに香港メディアのインタビューを受けた李氏の友人の朱承志と、さらに唐荊陵とも連絡が取れず、彼らの所在は不明のままです。

アムネスティは、全国人民代表大会常務委員会に以下のことを要請いたします。- 李旺陽氏の死亡の原因と状況について、迅速かつ徹底的で独立した調査を行うことを命じ、その調査結果を公表すること。

- もし調査により、李氏の死が不法行為の結果ということが明らかになった場合、国家人権行動計画(2012~2015年)に謳われているように、そのような行為を行ったいかなる容疑者をも、公正な手続きに基づいて、起訴すること、また、李氏の家族が補償を受けられることを保証すること。

- 李旺玲と趙宝珠、李氏の親戚、友人が、恣意的に拘禁されないことを保証すること、また彼らの移動と表現の自由が完全に守られることを保証すること。

- 釈放後、李旺玲と趙宝珠、李氏の親戚、友人の、他人と自由に通信する権利が守られることを保証すること、また、彼らが、いかなる形態の制限、嫌がらせ、あるいは脅迫も受けないことを保証すること。

敬具

アムネスティ・インターナショナル
アジア太平洋地域プログラム
副部長
キャサリン・バーバー

2012年6月12日
公開書簡


中国:李旺陽氏の死亡に関する公開書簡 : アムネスティ・インターナショナル
http://www.amnesty.or.jp/news/2012/0621_3160.html

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