第11回講演会報告と動画「脱北女性の受難」講師 山本葉津子(脱北者)

アジア自由民主連帯協議会第11回講演会「脱北女性の受難」講師 山本葉津子(脱北者)
 去る7月7日、アジア自由民主連帯協議会主催講演会が、東京のTKPスター会議室お茶の水にて、1960年代日本から帰国事業で両親、兄弟共に北朝鮮に渡り、その後数十年を経て脱北、中国で数年間をすごし、日本に入国した山本葉津子さんを講師に開催されました。
今回は山本さんの講演要旨を正確に紹介いたします。脚注、文責は三浦小太郎です。

(山本葉津子)まず最初に、脱北者、特に女性がどういう目に合っているかをお話ししたいと思います。
 私は家族と1997年一度脱北し、99年、捕まって北朝鮮に戻されました。娘も同じように連れていかれて、北朝鮮で見たことですが、脱北した女性が仮に中国人の子供を妊娠していたら「敵国の子供を妊娠している」とみなし、堕ろすために、ものすごくひどいことをさせられます。山を登って走ったり歩いたり、腹を殴られたり蹴られたり、それでも流産しなければ、最後にはろくに消毒もしないで、医者が子供を強引にかき出すんです。で、女はすごく悲鳴を出すんです。それを聴きたくなくて、うちの娘は耳を塞いでいたといいます。もうこういうことは本当は話したくないほどです。
 北朝鮮の女性っていうのは、子供を産む自由もない。北朝鮮と中国は仲がいいとか言いますけど、じゃあ中国人の子供をみごもってきたと言ったら、北朝鮮はものすごく残忍なんです。
 そういうひどい目に遭っている、その女たちが、何とか韓国に行きたいと、救援団体とかブローカーとかに連絡する。そして何人かが集まって中国を脱出しようとして、時には団体のミスやブローカーとのトラブルで全員が捕まってしまうこともあります。すると、10人、15人、そういう規模で捕まってくる。すると、今度は中国の方でも、その中の頭のいい人間を教育して「お前は自由にしてやるから、外で脱北者を韓国に行く道があるからといって集めて来い、そして俺たちに引き渡せ」と、脱北者自身に脱北者をおびき寄せさせるんです。これがどれだけ卑怯なことか。でもその女の人は、自分の命のため、自分の子供のため、同僚の朝鮮人の女たちを集めてだますしかないんです。
 だから、朝鮮と中国の関係というものは、なかなか理解しがたいものであって、食べ物は朝鮮よりはちょっとマシかもしれませんが、中国の牢獄というものは、一番身に沁みるのは、この何十人もいる脱北者には祖国もないし、自分を守ってくれる国の責任者もいない、だから私の考えでは浮浪児と同じなんです。“国民”というのは首相か大統領か誰かがいるものでしょうが、北朝鮮で生まれた私たちには自分を守ってくれる国も政府もない。そういう哀れな人民たちだと、私はつくづく思いました。

三浦 言いにくいことなんですけれども、ブローカーって言葉がありますね。北朝鮮の女性を連れてきて、人身売買させるという。どうやって、そういったブローカーの皆さんは、朝鮮で活動するのでしょうか?

山本 そりゃ中国朝鮮族でしたら言葉が通じますから、北朝鮮の女性を「中国に行って結婚させるから」と言って連れ出して、自分が一晩一緒になって、それから、その次の日に中国人に売られていく。それがもう、普通になっていくんです。女たちがそうして行くのが当たり前になってしまっているんです。朝鮮民族の情けなさですね。

三浦 でもそういう売られていく女性のなかにも、北朝鮮に子供を残しているとか、一家を助けるために出稼ぎという形で中国に渡るという人も当然いますよね?

山本 私はひどい精神状態の女性を見ています。ある人は、子供の為に中国に出稼ぎに行ったのですが、中国で捕まって、その間に子供たちは浮浪児になってしまって、ついに死んでしまった。その女性たちは北朝鮮に戻されてそのことを知って、もう頼るところもないと、また中国に戻ってきたんです。そして一時は漢族の男性に嫁に行ったらしいんですが、そこで子供のことを思っていたらついにおかしくなって、家に火をつけて、牢獄に入れられた。そして、そこで巻いたタオルを抱いて、それが死んだ子供に見えるんでしょう、ひたすら泣いたり、タオルを取り上げられるともう暴れたりする。もう朝鮮人というのは、母親と子供が静かに暮らすこともできないのかと思いました。

三浦 今、子供さんの話が出ましたが、コッチェビという言葉があります。コッチェビというのは、要するに北朝鮮では餓死でたくさんの両親が亡くなったり、或いは中国に出稼ぎに行ったけどそのまま帰れなくなったりして、たくさんの孤児が生れました。コッチェビについて何かお聞かせください。

山本 コッチェビのために、私は北朝鮮を逃れて中国に行こうと決心をしたんです。97年の3月に、うちの近所である男がコッチェビ2人を殺して、釜に入れて焼いて食べたという噂を聞いたんですけど、普通に私はそれを聞き流していました。でも、その噂の事件は。私がいつも見ていたコッチェビの二人兄弟だったらしい。その子たちを「親と会わせてやるから」って言って連れていって、殺して釜に入れたんです。これを誰かが安全局(警察)に通報して、安全局の人が蓋を開けたら、釜の中に手と足があったらしいんです。頭はどこかに隠したんでしょう。この事件以来、私は「これは北朝鮮にいる訳にはいかない、ここまでひどくなった国に未来はない」と思いました。
 でも、この他にもコッチェビたちをいっぱい見ました。コッチェビたちは、中国に行ったら食べ物はいくらでもあるってことですから、河を渡り、中国でまたつかまって、北朝鮮に戻されて、でも生きていけないからまた渡って、その繰り返しです。でも、その子たちは親が居ない分、すごく賢い。

三浦 その子たちは、実際の数はわかりませんけれども、その子たちだけで集まって暮らしたり、物乞いしたり、食べ物を拾ったりして暮らしている。お父さんとお母さんが餓死してしまったり行方不明になってしまったりでは、子供はもう、他にそれしか生きる道がないですからね。でも、この子供たちは頭は良くても、しつけとか道徳とかは教えられていないし、韓国に仮に行けてもそこで教育するのも大変かもしれませんね。

山本 私は一度、こういう経験があります。昔の闇市場、チャンマダンという所で、コッチェビが、メリケン粉のようなものを売ってたんです。で、私はちょっと汚いと思ったんですけど、可哀想だから買ってやったんです。それを買って家に行って中を見たら、中に石が入ってるんですよ。キロ数を増やすために、1キロに足りないものだから、その分石を入れてるんですよ。そういう具合に、頭が狡くなってしまっているんです。
 それで私は、次の日にチャマダンに行ったら、そのコッチェビは来てなかったんです。何日か後に、道で会ったんですよ。それで「この前お前が売ったものに石を入れていただろう、私だからいいけど、他の人にこんなことしたら、お前は殴られるよ。人間いくら苦しい目にあってるからって、そんなことしたら駄目でしょ」って。
 メリケン粉じゃなかったんです。木の皮を粉にして、その中に石を入れて売っていた。確かにここまでしなければいけないのはかわいそうだけど、私なりにこの子に教えようと思ってしばらく話していたけど、ただにらむばかりでした。もう、こういう言葉は耳に入らないんでしょうけど、子供達だけではなく、あの国全体の人が、そういう具合になってしまってるんです。このコッチェビだけではないんです。大人も同じです。男も女も、悪賢い頭を使うようになってしまうんです。人を騙して、何を咎められても恥ずかしいとは思わない。この場を逃れれば、それでいいんだ。ここさえ、今は我慢すればいいんだ。そういう具合になってしまって、あの国全体の人たちが悪い頭を使うようになってしまってるんです。それが、今のあの国そのものだと思います。

アジア自由民主連帯協議会第11回講演会「脱北女性の受難」講師 山本葉津子(脱北者)
※三浦小太郎
 
三浦 これも女性の人権の問題ですが、それこそ北朝鮮の国内で、女性が自分の夫に暴力を振るわれていたという話をよく聞くんですけど、葉津子さん自身にそういう経験があるかということと、北朝鮮の国内で、男尊女卑じゃないですけど、ある時期まで男性が非常に暴力的だったとか、そういうことってありましたでしょうか?

山本 うちの近所には、そういうのはなかったですね。だけど、うちの娘自身が、質の悪い男に嫁に行って、もう両足で蹴り飛ばされたり、雪の中に埋められたり、そういうひどいことをうちの娘自身が経験しています。
 だけど、日本に来た脱北者たちの話を聞いたら、全部が全部男に殴られてたって話を聞くようになって、ああ、うちの娘だけじゃなかったんだなと思いました。
 私はそういう目には合いませんでしたよ、はっきり言いまして、夫は私のお陰で喰ってるんですから(笑)、離婚したら明日死んでしまう夫なんです。生活力もないし(笑)。まあ私の事はともかく、娘の経験で言えば、離婚させてくれないんですね。
 あの国は日本のように、離婚ってそう簡単じゃないんです。離婚するのに、ちゃんとした条件があるんです。殴られたといっても大怪我とか障害が出るほど殴られたなら理由にはなりますが、ただ殴られた位なら、それはあの国では「普通じゃないか」になってしまっているので、日本のように騒いだりしませんよね。
 日本で他の脱北者からもそういう話はよく聞きました。もう頭が割れるほど殴られたとか、10年間殴られ続けたとか、あの国は、離婚するのは大変なんです。あの国で離婚したっていうのは、相当な条件があったってことなんです。 で、北朝鮮の男の暴力っていうのは、別に理由も意味もあまりないんです。ただ弱い者をいじめる。それで、何かクシャクシャしたら、家に行って女に当たる。で、食べ物がまずかったら殴る。買ってこいと言った酒をすぐに買ってこなければ殴る。そういう具合に、殴る習慣が癖になってしまってるんです。私はそういう経験がなかったんですけど。

三浦 北朝鮮ではいつも密告されるのではないかと恐れて、自由に発言はできませんし、不平不満も言えませんから、確かにストレスはすごくたまる。そしてどんなに努力しても、未来が見えない。そうなるとつい、弁護ではないですが、男性たちも絶望して来て、中には弱い人、妻などに不満をぶつけてしまう人もいるんじゃないかと思います。
 それではここで、日本人妻、朝鮮人と結婚して北朝鮮に帰国事業でわたって行った日本人女性について。大体全体の印象と、そういう人たちがどんな目にあったのか、少しだけお話ししていただけませんか。

山本 日本人妻は、私の住んでいたところに20人以上いました。その中に、日本に帰りたいと公然と口にする人はいませんでした。それを口にしたら、大変なことになっていたと私の経験から思います。
 だけど、ある日本人妻が、田端義夫の「帰り船」を聴きながらすごく泣いて、「あんたたち(在日朝鮮人帰国者)にはこの気持ちはわからないだろう。帰国者と日本人は、違うんだ」と言ったのを聴いたとき、その言葉から私は、日本に相当帰りたかったんだな、と。ただ、この女性ははっきり言えば、自分の意志があって朝鮮半島に来たのではなく、夫が行くので、何となくついて来たんじゃないかなって感じでしましたね。でも、その寂しさ、その後悔を紛らわすために、毎日のように日本人妻たちはお酒を飲んでいました。酒の飲めない日本人妻はいなかったですね。
 で、日本人妻たちが集まって一緒に歌ったり踊ったりする、それを唯一の楽しみにしてましたね。でも正直なところ気の毒ではあるけど、私のあった日本人妻は、大抵が学校にも行ってない、勉強も特にしてない、親に水商売に売られて、それをお金を持った朝鮮人が安く買い上げて、一緒に朝鮮人と暮らし、それから朝鮮について行った。で、朝鮮人に嫁に行くというのは、あの時代では大変なことでしたからね、家から皆勘当されて、親からも兄弟からもろくに手紙の来る日本人妻もいなかったですよ。だから、日本人妻の家には送金とか、品物が送られてくるということはなかったんです。でもほとんど今ではなくなっているでしょう。

三浦 他のある帰国者の方に聞いたのですが、60年代に自分が北で住んでいた村の日本人妻の人たちは大体、記憶が間違ってなければ、16人でした。90年代末に脱北した時に生き残っていた人は、2人だけだと言っていました。

山本 ただ一人、ちょっと違う日本人妻もいました。日本である奥さんが、子供ができないので、養女をもらったんです。そしてその家は、その娘に、お茶からお花から、踊りから、教養の一切を教え込んで育てたんですが、一人前になったら、なぜか朝鮮人と結婚して、北朝鮮に渡って行った。そしてその奥さん、お婆さんは、娘について北朝鮮までついてきました。もうそのお婆ちゃんは、小さな人でしたが、日本に住んでた時そのままに、着物に下駄に、風呂敷包みを朝鮮人は頭に載せますけれども、いつも手に持っていましたけど、2,3年で死んでしまったかな。朝鮮には何の関係もないのに、娘についてきて、そして死ぬときには、朝鮮人は人が死んだら西に骨を埋めるんですけど、このお婆ちゃんは自分は東の方に埋めてくれと頼んで亡くなったんです。
 このおばあさんが亡くなってから、この日本人妻の子供への育て方をみて、本当に驚かされることばかりでした。北朝鮮では1か月に二回、わずかな配給が来ます。この配給を持たせて、水を混ぜてでも食べていかなければならない。仕送りもない。それで、この家は、食べ盛りの子供たちがいましたが、いつもいつも、食べ物が足りなくておなかをすかせていました。食べ盛りでもありますから、とうとう息子の一人が、お母さんに訴えたんです。学校の同じクラスで、自分のような粗末でわずかな食事をしているのは自分しかいない、なんでこんな惨めな思いをしなければならないのかと。
 もし私だったら、だれに頭を下げてでも、自分の食べ物を減らしても、子供の為に食べ物を集めると思います。もしくは、子供に自分たちの家の事情を言って、わがままは言うなとしかりつけたでしょう。それが朝鮮人の感覚なんです。でも、その日本人妻はそうじゃなかった。怒るでもない、もちろん心のなかはわからないけど、かなしい顔をするわけでもない。「そうですか」と静かに一言言ったんです。そしてその夜、子供たちは3人か4人だったと思いますが、紙の封筒に、子供たちと自分の数だけ、配給の穀物をきちんと同じだけ分けて入れました。そして、次の日子供たち一人一人に渡して、次の配給が来るのは何日ですから、これを自分で少しずつ食べなさい、と言って渡したんです。
子供たちは朝起きたら、自分の分の食べ物は自分で炊いて作る。一人一人やらなければならないから、時間がない子供は学校に遅れそうになるし、半煮えの物でも、生の穀物でもポケットにいれてかじりながら行くことも、全く食べずに行く日もある。子供たちも相当に大変だったんです。
 朝鮮人にはこういうことはできません。確かに、この日本人妻のしつけ方、育て方は、すごいと言えばすごいし、子供たちに現実を知らせることではあるんだけど、私は、これは厳しずぎるんじゃないかと思ったし、厳しいというより、子供への愛情の持ち方として冷たすぎるんじゃないかと、私は心底ぞっとしたんです。
 ここ日本のような国でなら、こういう育て方もいいでしょう。飢えている国ではないから。でも、あの北朝鮮という、配給のある時代だって生活が苦しい国で、子供にここまでするべきなのか。でも、確かにこの日本人妻の家庭は、他の家とは違いました。本当に静かだし、声を荒げる人もいないし。そして、この子供たちは確かに優秀で、確か医者になった息子もいたし、そしてすごく親孝行で、親には絶対服従でしたね。家に売るものも何もなくなった後、確か娘の一人がお金持ちと結婚して、お母さんを引き取って清津の方に引っ越していったはずです。そのあとはどうなったのかわかりませんが、もうなくなっているんでしょうね。
 あの紙袋に、わずかずつ配給食糧を夜分けていたとき、あの日本人妻はどういう風な思いでいたのか、多分、本当に悔しかったのか、それともひたすら心を固く閉ざしていたのか、私には想像もできないです。子供をしかるとか、大声を出すとかは絶対ない。でも、子供たちは、お母さんをすごく尊敬もしていたけど、同時におそれていたように思います。
 でも、この日本人妻はすごく上品だし、頭がよかった。私の出会った日本人妻の中で、一番優秀なのはこの人でした。他の日本人妻の人には、正直、知ったかぶりをしたり、労働党になるんだとか、意外と北朝鮮人以上に共産主義に染まってしまうような人もいたんです。もしくは、すべてをあきらめて受け入れ、只静かに、悪く言えばぼうっとして何も考えずに来ていく人。この人はそうじゃなかった。こういう日本人妻もいるんです。

三浦 葉津子さんは以前、別に政治の専門家とかいうことではないんですけど、北朝鮮と中国と暮らしてきて、少なくとも共産主義というものだけはいくら何でもおかしいということを、すごく体感されたとおっしゃってましたが、まず、ある人がどう書いたからとかそういうことではなくて、共産主義体制というものに対して、これは一番おかしいと思ったのは、どういうことでしたか?

山本 まず、罪人の扱い方が同じだってことですね。朝鮮と中国とで約束したように、捕まえてきた女に対して、裸にしたり。他の資本主義の国には、そこはないと思います。女の罪人には女の監視員がつく筈です。だけど、朝鮮も中国も、それは同じです。
 それから、脱北者を捕まえた人間には200円やるとか300円やるとか、指名手配をしてそれに賞金をかけて捕まえさせる。これって、国家が奴隷売買というか、人身売買していることですよ。中国も北朝鮮も、言葉の上では共産主義ってきれいごとを言います、平等とかね、でも実態は、国の金を幹部たちが横領して、贅沢な暮しをするだけであって、普通の人間はものすごく、中国でも北朝鮮でも苦しめられるんです。ちゃんと働いても給料をくれない。これって、共産主義の実態じゃないですか。
 私が育った日本では、こうじゃなかった。私も日本で仕事をしたことがありますが、たとえ安くても、給料日には必ずその日に給料をくれたんです。ボーナスもくれます。だけど、朝鮮も中国もそれがないんです。労働者のためとかいって、結局は共産党の幹部だけが贅沢して貧しい人は苦しむ、だから私は共産主義が嫌いなんです。

三浦 最後に一つ、最近日本の中で北朝鮮や韓国や中国からの、例えば歴史の問題だとか慰安婦の問題だとかに関する発言に対しての日本の政治家の反応を見るとどんなふうに感じますか?たとえば橋本発言とか石原慎太郎とか。

山本 皆さんが私の言うことをどう感じるか分かりませんけど、日本の政治や歴史についてはわかりませんが、感情としては、私個人は橋本さんのように、思ったことをズバズバ言う人は日本人には珍しいと思うし、好きですよ。
 また慰安婦の問題も、私が朝鮮にいる時に、慰安婦をしていたとかいうおばさんたちに何人か会っています。ものすごく酒飲みばっかりでして、男癖がものすごく悪くて、慰安婦をやってたってことを自慢げに喋るんです(三浦注;これは慰安婦か、もしくは戦前の芸者などだったのかはわからない)。だから、橋本さんが言ったことにも何か意味があるんじゃないかな。日本人は遠まわしになんでもごまかして言いますけど、あの人は率直に言ってしまったなって思ってます。
 日本人は気を使いすぎるというか、一言でしゃべればいいことを、日本人は遠回りしてややこしく喋るじゃないですか。私のように単純な人間には、橋本さんのようにズバッと喋る、後がどうなろうとハッキリ言う人が好きなんだと思います。でも、ちょっと政治的意見が未熟だったのかもしれませんけど、日本人にはそれは受け入れられないということなんでしょう。
 
三浦 これは、今日の集会をやっている方々には敢えて不愉快に感じるかもしれませんが、葉津子さんは拉致問題に関しては、残念ながらいい悪いは別にして、ある程度は北朝鮮とはお金で解決していくしかないんじゃないか、日本に来た時から言ってますが、これについて少し思うことがあれば、お願いします。

山本 飯島さんですか、最近単独で北朝鮮に行って、何をしてきたのかわかりませんけれども、あんまり上手くいかなかったんだと思いますけど、私はいつも言うんですよ。「あの国は貧乏だから、貧乏なところを弱点として、そこにお金を落とせば必ず受けてくれる筈だ」。
 だけど、日本としては、「お前たちは悪いことをしているのに、何で金をやるんだ」と思うでしょう。それは正しいです。でも、だけど、先刻言った通りあの国は悪知恵を使うのであって、自分たちは絶対に他人に謝りません。「悪いことをしました」って言いません。
 だから、「日本人が朝鮮人をいっぱい殺したんだから、朝鮮人が日本人をかっぱらってどこが悪いんだ」、そういう具合に考えてるんだから、とにかく何を言われても我慢して、朝鮮には金がないから金をやる。これを実行するまでは、拉致事件は絶対に解決しないと思います。
拉致事件に関しては、私はいつも助かってほしい、日本に返してほしいと思っています多分あの人たちは、相当の恐怖を見ている、味わっているはずなんです。そういう目に合えば、とてもじゃないけど、脱北しようとか、逆らおうとすら思わないですよ。そういう気の毒な人たちのためには、国が多少頭を下げても、現実に人を救い出すしかないじゃないですか.だまされたふりをしても、金を出さなくちゃいけない時もあるかもしれない。私はそう思っています。

(三浦)異論ももちろんあると思いますが、北朝鮮で数十年を過ごした人の意見として、そのまま紹介させていただきました。(終)

アジア自由民主連帯協議会第11回講演会「脱北女性の受難」講師 山本葉津子(脱北者)
※登壇したペマ・ギャルポ会長


動画

アジア自由民主連帯協議会第11回講演会「脱北女性の受難」講師 山本葉津子(脱北者)
http://www.youtube.com/watch?v=UrcIumRKzBE

2013年7月7日、東京御茶ノ水で行われた、アジア自由民主連帯協議会第11回講演会「脱北女性の受難」講師 山本葉津子(脱北者)の動画です。

※講演会の告知
https://freeasia2011.org/japan/archives/2425
ラオスまで逃れ、自由まであと一歩だった脱北者9名が、再び北朝鮮に送還されてしまう事件が起きました。これも、脱北者やコッチェビ(難民孤児)の現状がまだまだ日本国内でも国際社会においても認識不足であることが大きいと思います。今回の学習会では、1960年代初頭、帰国事業で家族と共に北朝鮮に渡り、脱北して日本に帰還した日本在住の脱北者、山本葉津子さんをお迎えし、脱北者、特に女性の人権状況について語っていただこうと思います。

講師
山本葉津子(脱北者)
三浦小太郎

登壇
ペマ・ギャルポ(アジア自由民主連帯協議会会長)

司会
古川郁絵(事務局長)

制作・協力 ラジオフリーウイグルジャパン
http://rfuj.net

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