川島高峰「帰国事業の語られ方」講演資料、並びに「拉致と真実」(萩原遼責任編集) : 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会

3月9日に開催された守る会結成20周年記念講演会にて配布された、川島准教授の資料を紹介します。国際共産主義運動と帰国事業とのかかわりを論じた大変興味深い、これまであまり見られなかった視点と思います。

尚、萩原遼責任編集「拉致と真実」(星への歩み出版)は、
私、三浦小太郎(メール:miurakotarou@hotmail.com, ファックス03-3681-9310)にご注文いただければ郵送にて入金先など同封の上送らせていただきます。1冊800円です.

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http://araki.way-nifty.com/araki/2014/03/post-277f.html(三浦)


北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会結成20周年記念東京講演会
「帰国事業の語られ方」
川島高峰(明治大学准教授)

北朝鮮帰還事業の責任問題をめぐっては、これまでこの事業に関わった日本政府、日本赤十字、北朝鮮政府、朝鮮総連、当時の日本の保守政党、そして、左翼諸政党などが批判の俎上に載せられてきた。このような見取りに対して、私の研究では従来のとらえ方とはかなり異なる見取りをしている。結論を述べると北朝鮮帰還事業とは、一九五〇年代に展開した国際共産主義運動の成果であり、五〇年代から六〇年代にかけて展開した平和攻勢運動の最終形が北朝鮮帰国事業であった。従って、帰国事業の評価をするうえで、五〇年代の帰国時業開始前の一〇年間が重要である。

冷戦の封印を紐解く

この帰国事業実施に至るまでの全体像が正確に語られてきたことはない。論者の多くが左右両翼のイデオロギーの何れかに立場を置く場合が多いからである。明確にその立場を置かないまでも、社会主義に対する批判か、あるいはその逆に資本主義に対する批判が、無意識のうちに先行して価値判断や史料の選択が行われてしまう。このため責任主体への評価に偏りが生じていた。帰国事業は冷戦の産物であったが、これをめぐる語りや評価も冷戦のさなかにある。この冷戦的な発想や認識が、むしろ、帰国事業の深層に封印をしてしまったのである。

封印されてしまったものは大きく分けて二つある。一つは北朝鮮へ帰国した在日朝鮮人の来歴、つまり、そもそも、帰国事業の当時、在日コリアンとはどういう人々だったのかということへの客観的な分析と考察である。もう一つは北朝鮮帰国事業が実施へと至るまでの経緯である。この二つはいずれも、日本の植民地統治、敗戦、冷戦による分断、朝鮮戦争、独立講和の影響により極めて複雑な経緯と事情を持っており、そこには保守・右翼にとっても、革新・左翼にとっても、不都合な事実が多数あった。

左派は在日コリアンを被害者としての観点からしかとらえようとしなかった。在日が植民地統治の被害者であることは一〇〇%間違いないが、朝鮮差別の肯定や侵略の否定といった右派の言説へ対抗するために、在日の被害者としての立場にとって都合の悪いことがらには眼をむけようとしなかった。これが深層の封印となってしまったことは否めない。この結果、北朝鮮帰国を選んだ在日朝鮮人とは、朝鮮植民地統治下に強制連行により連れてこられた人々であり、日本での差別と貧困に苦しんだ結果、祖国北朝鮮へ希望を託し帰国を選択した、という一般像ができあがったのである。これは在日と北朝鮮帰国者の一断面に過ぎない。朝鮮帰国者をあまねくそのような鋳型に押し込めておけば、左派にとっても、朝鮮総連にとっても、そして、朝鮮差別の解消ではなく、差別対象そのものも消滅を後押しした右派にとっても、都合が良かったのである。

国際共産主義運動の中の北朝鮮帰国運動

もうひとつの北朝鮮帰国事業へ至る経緯は極めて複雑で多岐な要因を持つため、その大慨をここで記しておく。それは従来の捉え方と相当に異なる。北朝鮮帰国事業は、当初、「北朝鮮に残留していた日本人の帰還」を求めた交渉として始められていた。つまり、交渉の始まりと全く逆の結果となって行われたのが北朝鮮帰国事業であった。これまで、この点が余りと言えば軽視されてきた。また、在日朝鮮人による所謂、北朝鮮帰国運動は、従来、一九五八年、在日朝鮮人の帰国を受け入れるとの金日成の発言の前後から唐突におこったものと理解されてきた。しかし、この運動の起源は一九五〇年代、平和攻勢として行われた国際共産主義運動の中にあった。国際共産主義運動が北朝鮮に残留していた日本人の帰国問題を逆手にとり、これを在日朝鮮人の北朝鮮帰国へ巧みに転換していったのである。

一体、どうやって「逆手にとり」、「巧みに転換」したのか見当もつかないことだろう。これについては稿を改めたい。帰還事業の背景にある東アジア社会主義圏と日本との間での出入国をめぐる攻防と国際共産主義運動は、従来、殆ど語られてこなかった歴史である。ここではその複雑で長大な経緯の概観を記しておく。

第二次世界大戦後、大量の日本人が東アジア社会主義圏に残留・抑留することになった。シベリア抑留が最も有名であるが、北朝鮮、中国、モンゴルといった東アジア社会主義圏に多くの日本人が残留・抑留を余儀なくされていた。日本にとってこれら邦人の帰還交渉は、言うなれば「人質」を取られた不利な外交交渉であった。敗戦後、抑留者の帰還が行われたが、朝鮮戦争が勃発すると、これは中断されてしまった。多くの家族にとって、事態は絶望的となったが、朝鮮戦争の戦線が三十八度線付近で膠着状態になるとソビエトは政策転換を始めた。ソ連はこれまでは社会主義陣営と資本主義陣営の間での戦争は不可避であるという見解をとってきた。唯物史観において階級闘争は不可避な歴史の必然ととらえてきたので冷戦の熱戦化もまた不可避と考えていたのである。しかし、戦線膠着という現実を前にソ連は平和共存論へと政策を転換した。

この路線転換と共に開始された国際共産主義運動が「平和攻勢」であった。平和攻勢とは、朝鮮戦争が資本主義陣営により引き起こされた侵略戦争であり、社会主義国家こそ平和を擁護し、民衆の権利を保護するイデオロギーであるというプロパガンダ運動であった。こうすれば「路線転換」の正当性を確保でき、社会主義国家陣営の優位性を宣伝することができる。在日本朝鮮人連盟(朝連)の解散と在日本朝鮮人総連合会(総連)の結成は、この路線転換を受けて行われたものであり、総連の結成そのものが国際共産主義運動の結果であり、帰国運動推進主体の形成に他ならなかった。

そして、後に多くの人から糾弾されることになる「北朝鮮楽園説」の起源は平和攻勢時に盛んに唱えられた「社会主義楽園説」にあった。五〇年代末からの北朝鮮楽園説は、むしろ、その一コマに過ぎなかった。当時の新聞報道から北朝鮮楽園説を信じることができたものは、余程、北朝鮮に強い関心を寄せていたものに限られる。確かに、報道は北朝鮮楽園説を報道はしたが、そもそも、北朝鮮報道等というものは、実際に計算をしたものではないが、当時の年間紙面構成の千分の一にも満たない膨大なトピックスの中の一つに過ぎない。従って、マスコミが北朝鮮楽園説を「喧伝」したと言うのは、明らかに大袈裟である。実際の紙面構成からより正確に言うのならば「社会主義楽園説」である。特にソ連・中国の記事は件数も、紙面構成も十分に「喧伝」と呼ぶに値するものであった。

平和攻勢と時を同じくして始められたのが、東アジア・社会主義圈に残留・抑留されていた邦人の帰還交渉であった。ソ連・中国・北朝鮮からの邦人の帰還交渉は、別個に行われていたのではなく、相互に密接な関わりを持ちながら展開されていた。その第一段がソ連からの抑留者帰還の再開であり、第二段が中共からの邦人帰還の再開であり、第三段が北朝鮮からの帰還再開であった。そして、第四段にこの北朝鮮からの残留邦人問題を逆手にとり、実現された在日朝鮮人の北朝鮮帰国事業があった。

帰国事業の深層には数々の不都合な真実がある。日本の国内左派勢力は社会主義圈からの邦人帰還を国交のなかった社会主義圈との出入国や交流の手段として利用することを企図していた。しかし、そのために彼らが同胞の抑留を政治利用したことの非は否めない。他方、日本の保守勢力は左派在日朝鮮人の「事実上の追放」という朝鮮差別と反共主義を人道の美名の下に成し遂げたのである。

まとめ

従来、北朝鮮機関事業は、これと連動した中共帰還・シベリア抑留と全く別個に、北朝鮮独自の展開として取り上げられてきたが、これら三つ、北朝鮮・ソ連・中共の国際共産主義運動の当事者は、密接に、時には殆ど完全に重なって活動を展開してきた。この活動の実態は今日において、理解されにくい、あるいは往年の活動家層にとって都合が悪い、余り覗かれたくはない過去のようである。また、五〇年代の過去の話は、四○年代の戦争の話と異なり、メディア・マーケットでのニーズが薄いために、発表の機会を得ることは困難である。これは左右両翼にとって不都合な過去の封印となっており、帰国事業の経緯は真相不明のまま未だに九万三千人が半島に封印されているのである。

「在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業」ではなく、これを「在日朝鮮人の帰還」とした場合の問題の起源が日本による朝鮮半島・植民地支配にあったことは言うまでもない。つまり、北朝鮮残留日本人の問題の原因と起源もまた、日本の朝鮮半島植民地経営にあった。しかし、これを「在日朝鮮人の北朝鮮への帰還」、あるいは「北朝鮮残留日本人の帰還」と限定すると、第一に北朝鮮の建国、もしくは三八度線の分断線の登場は戦後であり、本書は戦後からを物語の起点としたい。そして、第二に、帰国事業で北朝鮮に渡った人の殆どが南朝鮮出身であったという事実をここでは指摘しておく。


川島高峰「帰国事業の語られ方」講演資料、並びに「拉致と真実」(萩原遼責任編集) : 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01077

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