【報告と動画】「3・10チベット蜂起記念日シンポジウム」基調講演 酒井信彦先生 他

3・10チベット蜂起記念日シンポジウム

チベット蜂起記念日シンポジウム
基調講演「チベット問題の本質」
酒井信彦 先生
2016年3月10日

 表題が「チベット問題の本質」となっていますけれども、これはチベットだけに限ったことではなく、ウイグル、東トルキスタン、いわゆる内蒙古、南蒙古に共通した問題ですから、そういう3地域の共通の問題の本質ということです。チベット問題はよく人権問題と言われるのですが、これははっきり言って間違いです。正しくありません。人権問題は中華人民共和国全土にあるわけで、別にチベットやそういうところだけの問題ではないわけですから人権問題であるわけがないのです。人権問題と言っているのは一種のごまかしです。わざとごまかしている。本質を見ないようにごまかしている、すり替えているだけの話です。

 では、チベット問題などの本質とはなにか。これは民族独立問題です。これは明らかです。民族独立問題ということは、逆から言えばシナ人の侵略問題です。侵略問題というのは内政問題ではありません。侵略があった場合は国際問題です。内政問題であるかのように装っていますが、これははっきり言って国際問題です。ですから、国際的に世界中が非難しなければいけない問題なのですが、必ずしもそうはなっていないというのが大変な問題です。

 このアジア自由民主連帯協議会では自由民主ということを求めているわけです。この自由と民主は歴史の進歩と密接に関係があるわけで、この自由と民主が実現されることが、すなわち歴史の進歩であるわけです。この歴史の進歩にのっとって考えてみれば、チベットなどが独立するということは誠に正当なことであり、本来はなんの問題もないということをこれから私が世界の歴史、特に近代史、現代史がどのように展開してきたかということに基づきながら説明したいと思います。

 一番最初に言いたいことは、今から100年前に世界でなにがあったかということです。100年前には、なにがあったと思いますか。これは第1次世界大戦という大きな戦争が100年前にあったわけです。100年前の1914年に始まり1918年まで続きました。ですから、今から100年前というと1916年ですから、第1次世界大戦の真っ只中だったわけです。それが18年まで続き、翌年の1919年にベルサイユ講和会議という会議がありました。ここで示された民族自決、民族独立などを含むウィルソンの14カ条は第1次世界大戦中にウィルソン大統領が提示したことです。この第1次世界大戦が初めての世界大戦であり被害が大きかった。

20160310_01酒井信彦 氏

 第1次世界大戦は、もともとバルカン半島の民族問題から発しているわけです。バルカン半島は、もともとはイスラム教徒のトルコ人のオスマントルコ帝国だったところで19世紀の初めの頃から征服された人たちの独立問題が起こり、バルカン半島の民族はかなり独立したのですが、さらにオーストリア帝国が西のほうから介入するようになります。ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアという国は今でもある国で、もう独立していましたが、そこのサラエボというところでセルビア人の青年がオーストリア帝国の皇太子夫妻を暗殺するというところから始まり、セルビアとオーストリアの戦争になった。そして、オーストリア側にドイツやトルコなどがつき、セルビアに同じスラブ民族であるロシア、さらにイギリス、フランスが参戦しました。そうするとドイツとオーストリアは東と西と両方からはさみうちになりました。東のほうはロシアが戦争していたのですが、ロシアは途中で共産革命が起こり単独講和してしまいます。西部戦線のほうが非常に激しい戦争になり大きな犠牲者を出したわけです。

 これは、今われわれは忘れているのですけれども、フランスやイギリスは第2次世界大戦の犠牲者よりも第1次世界大戦の犠牲者がはるかに多いのです。特にフランスです。何倍も死んでいるのです。これはなかなか膠着状態になり、それにアメリカが参戦してようやく終わるわけです。従って、アメリカがかなり発言力を持つようになります。ウィルソン大統領が、このベルサイユ講和会議を主催して、それによって世界の歴史にどういう変化が起こったか。これは民族独立が広範に実現したわけです。ただし、それはヨーロッパの中で実現しました。

 世界史をちょっと思い出してほしいのですが、ヨーロッパの真ん中あたりに北から南にかけて八つの国が一挙に独立したわけです。北のほうからフィンランド、バルト3国のエストニア、ラトビア、リトアニア、それからポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビアです。そういう国が一挙に独立しました。では、それ以前はどうだったかというと、ヨーロッパには四つの帝国があったのです。それはドイツ帝国であり、オーストリア=ハンガリー帝国であり、ロシア帝国であり、もう一つはアジア中心ではありますが、オスマントルコ帝国です。この四つの帝国が第1次世界大戦をきっかけに一挙に崩壊するわけです。これは世界の歴史上において非常に大きな変化だったわけです。

 フィンランドはロシア帝国の中から、バルト3国もロシア帝国から独立しました。チェコスロバキアは、オーストリア帝国から独立しました。それからハンガリーもオーストリア帝国の中から独立。ユーゴスラビアはちょっと複雑なのですが、すでに独立していたセルビアなどとオーストリア帝国の中に含まれていた部分とが一緒になってユーゴスラビアという国ができました。
 それから、今、言い残したのはポーランドです。このポーランドという国はロシア帝国から独立した部分とドイツから独立した部分とオーストリアから独立した部分があります。ポーランドという国は民族独立問題を考えるときに非常に重要な国であり、このポーランド王国というのは日本の江戸時代の中ごろまではありましたが、18世紀、1700年代の後半に、その頃はまだドイツ帝国はできていませんけれどもドイツ人と、このドイツ人というのはプロシアとオーストリア、それから東側のロシアです。結局、ドイツにしてもオーストリアにしてもドイツ人の国ですから、ポーランドという国はドイツ人とロシア人により侵略され国がなくなったのです。それが100年以上経って第1次世界大戦によって復活するという運命をたどります。これはチベットなどの歴史を考えるときに非常に参考になる事例です。それからもう一つのバルト3国については後で述べますけれども、この第1次世界大戦でヨーロッパの国の真ん中に八つの国が一挙にウィルソンの14カ条によって独立した。これは非常に重要なことなのです。

 その前にも民族の独立ということはあるのですけれども、世界史の中ではっきりと民族自決、民族独立を打ち出されたのが、この第1次世界大戦であるということです。ただし、ヨーロッパで民族自決、民族独立は実現しましたけれども、そのほかの地域はどうだったかというと、それは実現しませんでした。アジアやアフリカに植民地はまだまだ広範にあったわけですけれども、その植民地は独立しなかった。

 ドイツの持っていた植民地がどうなったかというと、これは戦勝国側が取りました。だいたいはイギリスとフランスだったのですが、アフリカにもドイツの広大な植民地がありました。東アフリカと西アフリカ、それから赤道直下などにもあったのですけれども、それはだいたいイギリスとフランスがぶんどりました。それから太平洋にもありましたが、それもイギリスとフランスが取りました。それから、これは日本も関係があるのですけれども、赤道より北側の太平洋の真ん中の島はドイツの植民地でした。これは日本のものになりました。日本は第1次世界大戦に参戦して参戦国になっていましたので、太平洋の真ん中の赤道より北側のドイツ領の植民地をもらうことになりました。それを委任統治と言いますけれども実際は植民地です。それが南洋諸島と言われるところです。この南洋諸島は後の第2次世界大戦で激戦地になり、人がたくさん死んだのですけれども、そこを日本がもらった。それからドイツの租借地であったチンタオも日本のものになりました。ですからアジア、アフリカにおいては、この民族独立という原則は全く適用されなかった。そこのところに不十分と言えば不十分があったわけです。

 1919年という年に皆さんに注目していただきたいのですけれども、これはベルサイユ講和会議の年ですが、アジアでどういうことが起こったか。重要な事件が起こった。これは日本が関係しているわけですけれども、朝鮮半島でなにが起こったかというと三・一独立運動が起こります。日本が朝鮮半島を支配していたことに対して独立運動を起こしたのが三・一独立運動です。これは、やはりベルサイユ講和会議が影響しています。

 それからもう一つ、いわゆる中国、シナ、中華民国でなにが起こったかというと五四運動という反日運動が起こりました。これも1919年5月4日に北京大学の学生が始めたとされています。抗日運動はこれ以後盛んになって、結局は日中戦争、いわゆる太平洋戦争、大東亜戦争に結びつくということです。シナにおける民族主義、特に反日民族主義は1919年以後非常に盛んになってくるわけです。この第1次世界大戦の途中に日本が対支21カ条要求という要求を出したものですから、それがずっとシナ側の反日、抗日運動に結びついていくことになります。

 今、申し上げたのは第1次世界大戦で民族自決、民族独立を明確に打ち出されたのだけれども、アジア、アフリカには及ばなかったということです。

 では、そのアジア、アフリカにおける民族独立の問題が大幅に解決されたのはなにかというとこれはまた戦争が関係するわけです。第2次世界大戦によって、第1次世界大戦で残された世界的な民族独立の課題というのが解決されるのです。第2次世界大戦も非常に大きな犠牲者を出しました。けれども、第2次世界大戦における1番の成果はなんなのか。普通はファシズムに対して民主主義が勝ったということが第2次世界大戦の最大の成果だと言われますが、私の見解ではこれは間違いです。うそです。

 なぜ第2次世界大戦で民主主義がファシズムを打倒したことが成果だということがうそかと言いますと、ソ連という国がドイツを打倒するために非常に力があったわけで、ソ連は民主主義国家ではありません。私は共産主義のことを「赤色ファシズム」と言っていますが、赤色ファシズム国家なのです。ソ連という国は第1次世界大戦の後のほうになるとドイツと戦争をするのですが、初めはドイツと一緒になってポーランドなどを侵略していたのです。このことは第2次世界大戦を考える場合すっかり忘れられていることなのです。ヒトラーとスターリンは一緒になって第1次世界大戦後に独立したポーランドを再分割するのです。東のほうと西のほうから再侵略します。これを普通ポーランド分割というのですが、実はもっと前の18世紀の後半にドイツ人とロシア人によるポーランドの分割があって、それをスターリンとヒトラーが再現するわけです。
 けれども、途中からヒトラーがソ連を攻めることになってから、ようやくソ連とドイツが戦争をすることになるわけです。このへんは、ソ連と今のロシア人は巧妙にすり替えていまして、今のロシアでは第2次世界大戦のことを大祖国戦争と言っています。この大祖国戦争はソ連とドイツが戦って以後のことしか言わないのです。はじめのほうでドイツと一緒になって、ポーランドとフィンランド、それからもう一つ重要なこと、バルト3国を侵略して併合するわけです。それから、フィンランドの領地やいくつかの領地をソ連は第2次世界大戦で侵略するのです。ただし、このソ連のやったことは容認されるのです。

 ですから、私はヨーロッパにおいては第2次世界大戦によって歴史は逆流した、後退したと考えています。表面的にナチス・ドイツが倒されたことをもって第2次世界大戦のヨーロッパにおける意義かというとそうではないと思います。第2次世界大戦の最大の歴史的意義はなにかというと、その結果によって、その衝撃によってアジア、アフリカの民族が独立をした。すなわち、数百年続いたヨーロッパ人を中心とする植民地体制が崩壊したということが第2次世界大戦の最大の意義なのです。

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 アジアにおいては日本の軍国主義がナチス・ドイツと一緒になって戦って敗北したということを歴史的意義のように言いますけれども、そうではなく、これは習近平がそれにすがっているわけですけれども、アジアにおける第2次世界大戦の最大の意義はアジア、アフリカに独立国が出現したということです。

 簡単な数字を申し上げておきますと第2次世界大戦以前に世界の独立国というのは70ぐらいしかありませんでした。そのうちの50はどこかと言いますと、ヨーロッパと南北アメリカで70のうちの50を占めていたわけです。あとの20はアジアやアフリカの少しだけ、アジアでも日本や中華民国。ブータンなどはどう数えるのかちょっと分からないのですけれども、中近東にも少しありました。これでだいたい20カ国と言われるわけですけれども、第2次世界大戦以後独立国が一挙に増え、今はだいたい200と言われているわけです。アフリカだけで50カ国ぐらいある。それ以前は非常に少なかった。それが第2次世界大戦で民独独立が実現したということが非常に活気的な意義なのです。

 第1次世界大戦の場合は、いわゆる敗戦国から民族独立が実現しました。先ほどロシア帝国のことを言いましたが、ロシア帝国から独立することができたのはロシア、ソ連は本当の意味での戦勝国ではないからなのです。途中でドイツとの戦争をやめてしまって単独講和した。従って、ちょっと立場が悪かった。本当の戦勝国ではなかったので、ロシア帝国だったところから民族独立が実現したわけです。

 では、第2次世界大戦の場合はどうなのか。これは完全な戦勝国からも民族は独立しているのです。日本のような敗戦国から朝鮮が独立した、台湾が独立したということはあるわけですけれども、イギリスなどは完全な戦勝国です。フランスもそうです。それからオランダも戦勝国です。その戦勝国だった国から民族が独立していったということは、これは民族が独立することが世界史のあるべき流れ、潮流、正しい流れだったからこそ戦勝国が解体したわけです。ですから大英帝国や大日本帝国も解体しました。それが正しい歴史の流れであったから、それが実現したわけです。それが第2次世界大戦の意義です。

 次に第2次世界大戦後世界はどうなったか。先ほども言いましたように、第2次世界大戦の結果、ソ連という国が膨張し、まずいことがいろいろ起こりました。ヨーロッパにおいてはソ連が占領したところが共産化しました。これは民主主義が否定されたということです。これは明らかに歴史の後退です。それから、先ほど言いましたバルト3国が代表的なところですけれども、バルト3国は第1次世界大戦で独立したにもかかわらず、今度はソ連に占領されて併合されてしまったわけです。

 ですから、ソ連という国は客観的に言うとドイツを敗北させるための力があったわけです。従って、アメリカはソ連が占領して共産化させるということを容認したわけです。ただし、民主主義と共産主義、赤色ファシズムは両立しませんから、その後、世界は東西対立、いわゆる冷戦構造になったわけです。ただし、この冷戦という言い方も本当は正確ではありません。対立しているけれども戦争をしないことを冷戦というわけです。

 ヨーロッパでは冷戦だったかもしれませんけれども、アジアはどうだったのか。これは明らかに朝鮮戦争やベトナム戦争などという膨大な犠牲者を出した戦争が行われたわけです。従って、冷戦の反対はなにかと言うと熱戦です。熱い戦争です。ですから、アジアは熱戦体制であって、熱戦構造であったと言わなければいけないのですけれども、すぐ冷戦、冷戦と言うのは欧米中心の価値観でものを考えているからです。頭がヨーロッパ人に洗脳されているというのが私の考えです。ヨーロッパ、欧米人に洗脳されて、その目でしかものを考えないから簡単に冷戦、冷戦と言ってしまうわけです。

 第2次世界大戦の問題はソ連という国が存続したこと。これが民主主義ではなく赤色ファシズムであった。ソ連という国はもともとロシア帝国です。ロシア帝国の後身であって、第1次世界大戦のときに西のほうの民族は独立しましたが、まだまだ広範な土地を領有していて、そこにいろいろな民族を抱えた多民族国家でした。このソ連という国が存続したことともう一つは、今度はアジアにおいてソ連と同じかたちの国が出現したことです。

 それが、皆さんに一番関係のあることです。それはなにかというと中華人民共和国という国が出現したことです。共産主義の多民族国家が出現してしまった。ソ連と中共は非常に似た国です。ソ連がロシア帝国の後身だとすると中華人民共和国はなんなのか。これは清帝国のそのままの後身ではなく、一旦解体した清帝国を再建したものです。清帝国の支配者は満州人ですけれども、中華人民共和国の支配者はシナ人です。シナ人が1911年の辛亥革命で一旦解体した清帝国をわざわざ再建したのが中華人民共和国という国です。ですから私は中共帝国と言うべきだと思っています。

 この中共帝国の場合、ほかの民族を支配する清帝国を継承するという考え方は、実は、共産主義者の考え方ではありません。共産主義者の考え方の前に孫文の辛亥革命の考え方に清帝国を継承するという考え方があったわけですが、中華民国の時代にはそれができませんでした。志はあった、考え方はあったわけですけれども、実力を伴わないで中が分裂していてなかなか統一できない状態ですし、共産主義勢力も出てきますし、日本との戦争も始まったことでできなかった。中華人民共和国が建国した段階で巨大な軍事力を手に入れてしまった。それによって、シナ人の願望であった清帝国を再建するということを共産主義者が実現したわけです。

 ですから、この考え方そのものは共産主義の考え方ではないのです。共産主義国家ですから共産主義の侵略主義かと考えたとすると、これは根本的に間違っているのです。それをまだまだ理解できない人が日本でもたくさんいます。根本的な考え方は、孫文が三民主義の中の民族主義のところに明確に書いていますので、そこを読んでいただければ分かるのですけれども、清帝国はほかの民族を全部支配してしまってもかまわない。もっと極端に言うと、それらの民族を全てシナ人に同化吸収して消滅させてもかまわないという考え方がシナ侵略主義です。この二つの巨大な国が生き残ってしまいました。

 中華人民共和国の構造を面積から考えた場合、中華人民共和国はだいたい960万平方キロメートルと言われているわけです。約1000万平方キロメートルです。きょうお話しするチベットや東トルキスタン、内蒙古、南モンゴルなどの面積を考えてみますと、チベット自治区というのが四川省や青海省なども含めて考えると230万平方キロメートルです。簡単です。新疆ウイグル自治区はもう中華人民共和国で正式に公表していますが160万平方キロメートルです。内蒙古自治区は110万平方キロメートルです。全部合わせると500万平方キロメートルになります。ということは960万平方キロメートルの半分を超えているのです。

 中華人民共和国という国は建国のときに内蒙古、南モンゴル、東トルキスタン、それからチベットの領域を侵略することによって侵略国家として成立したのです。このことを全然分かっていない人がたくさんいるのです。侵略国家ではないと思っている。本来、建国したときから侵略国家なのです。そういう中華人民共和国が存続してしまったということが第2次世界大戦で残された課題です。

 その戦後の歴史が大きく変化する時期がやってきました。それはいつかというと1990年前後の時期です。この1990年の前の1989年という年は非常に重要な年でありまして、これは日本でも非常に重要なことが起こりました。これは昭和天皇が亡くなられて今の平成天皇が天皇になられた年です。このときに東ヨーロッパの民主化というものが起こりました。いわゆるベルリンの壁の崩壊です。今まで共産主義だったのが、どんどん民主主義の国になっていった。ポーランドやハンガリー、チェコスロバキア、もっと前にあったものではブルガリアやルーマニアなど時間的には少しずれるかもしれませんけれども、今までのソ連のいわゆる衛星国、影響下にあったいろいろな国が民主化する。さらにソ連自体も崩壊する。ソ連自体が共産主義でなくなる。一応のかたちですけれども、民主主義になっていくというのが1990年前後の重要なことです。今まで取り残されていた大きな課題であるヨーロッパ、東ヨーロッパにおける民主化が実現したというのがこの活気的なときだったのです。

 それをなんと言うかというと冷戦体制の崩壊と言うわけです。東西対立がなくなって冷戦体制の崩壊と言うのですけれども、これもはっきり言うと全世界がそうなったわけではないにもかかわらず、世界がそうなったと錯覚しているのです。そのように話をすり替えてしまったわけです。ということはどういうことかというと、アジアではどうだったかということです。アジアでは基本的に東西対立構造というものは変わらなかったわけです。いわゆる共産主義国家がぶっ倒れなかったわけです。中華人民共和国しかり、北朝鮮しかり、ベトナムしかり。これは共産主義国家が続いたわけですから、本当は冷戦体制は崩壊したわけではないのだけれども、ソ連がなくなった時点でそのようにみんな考えてしまったわけです。

 中華人民共和国は経済的には外国の資本や技術を取り入れて、経済のある程度の自由化はするかもしれませんけれども、政治体制などは全くそのままです。冷戦構造が変わったということは全く間違いなのです。
 ただし、アジアにおいても民主化を実現した例外が一つだけあります。それはどこかというといわゆるモンゴル国です。モンゴルはなぜ自由化したか。これはソ連の衛星国だったからです。ソ連が崩壊したために、子分と言ってはなんですが、子分のモンゴルもそれに連動して民主化したわけです。ただし、北朝鮮がそのようにならなかったということは、やはり北朝鮮は中華人民共和国の影響下にあった。今、北朝鮮は中共に対して非常に頑張っているようですけども、結局は中共の影響力が強かったために民主化しなかったわけです。

 それから、先ほどのソ連の崩壊で重要なことはなにかというと、ソ連だけではありませんが民族独立が広範に実現したということです。ソ連という国はもともと15の共和国で構成されていました。これはロシアを含め15あったのですが、それが全部解体し15に分かれました。西のほうから言うとバルト3国は併合されたのですが独立しました。それからウクライナや白ロシア、モルダビアの3カ国。今ウクライナが非常に問題になっていますが、それも独立します。それからコーカサス地方の3カ国。アゼルバイジャンやグルジア、アルメニアも独立します。コーカサス地方というのはカスピ海と黒海に挟まれた地域です。それから面積的に重要なのはどこかというと中央アジアの5カ国です。カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンなどの5カ国も独立します。ですから、ヨーロッパだけではなく、ソ連の領土であった中央アジアの国も独立することができたということです。

 では、中華人民共和国はどうだったかというと、中華人民共和国は民主化もされませんし、中華人民共和国の支配下の民族の独立などは全然できませんでした。ただし、例外があり、アジアでも東ティモールは独立しました。これは非常に例外的なものですので時間もありませんのではぶいて先へ行きます。

 この中央アジアの5カ国はロシアに占領されたのが日本で言うと幕末から維新ごろにかけてであり、そんなに古くはありません。その頃ロシアに占領されていたところをなんと言ったかというと西トルキスタンと言っていました。トルキスタンというのはトルコ系のイスラム教徒が住んでいる地域を言うのですが、その西トルキスタンが独立できた。では、新疆ウイグル自治区はなんと呼ばれていたかというと、東トルキスタンです。西トルキスタンの人が独立できたのに東トルキスタンが独立できないというのは変な話です。全く間尺に合わない。

 それからモンゴルの場合はどうでしょうか。モンゴルの場合は、北のほうはソ連の衛星国でしたけれども前から独立国だったわけです。南のほうのモンゴルの人たちは独立できない。これもまた変な話です。よく民族分断、民族分断と言いますけれども、モンゴル人の人たちは民族分断状態に置かれているわけですが、その問題をみんな注目しようとしない。モンゴル人の人口を考えてみますと、北のモンゴル国のモンゴル人人口よりも南の内蒙古自治区、中華人民共和国の国内にいるモンゴル人人口のほうが圧倒的に多いのです。だいたいどのくらいかと言いますと、モンゴル国のモンゴル人人口は大雑把に言って300万です。細かい数字は外務省のホームページなどに出ています。それでは中華人民共和国の中のモンゴル人はどのくらいいるか。中華人民共和国は10年ごとに人口調査をやっていますので、一番新しい2010年の人口調査でモンゴル人の人口を見てみますと600万です。ですから、北のモンゴル国にいる人口の倍のモンゴル人が中華人民共和国の中にいるわけ。それが民族分断状態になっている。これはおかしな話です。

 それから、チベットは面積的に言っても非常に広いですし、2010年の人口調査によると628万人と公式に公表されています。それからウイグル人はどれくらいいるかというと2010年の人口調査では1000万を超え1006万人というのが公式発表です。それだけ巨大な人口があって、広い面積を占めている。そういうところが独立できないで、そのまま置かれているわけです。

 世界には人口がずっと少ないし面積もずっと小さい独立国がいくらでもあるわけです。ですから、これらの人たちが中華人民共和国の支配で独立できないのは、世界の歴史の進歩の考えからいって全く不当なことなのです。ですから、これらの人々は世界の歴史の流れから考えて、独立をする完全に正当な理由があるということです。

 時間がちょうどきましたのでこれで終わりたいと思います。


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 この基調講演の後、チベットのチュイ・デンブン、南モンゴルのオルホドノ・ダイチン、ウイグルのイリハム・マハムテイが、当協議会会長ペマ・ギャルポの司会でシンポジウムを行い、各民族の実情を訴えるとともに、今後の運動の在り方を語り合いました。

 チュイ・デンブンは、チベット問題解決のために、中国共産党も、また国民党も承認していたはずの民族自決による連邦制の実現を、まず中国政府に突き付けることを指摘しました・また、オルホノド・ダイチンは、世界中でモンゴルの運動は各団体、個人によって行われているが、それを総合するための連帯組織が必要なことを提言しました。また、イリハム・マハムテイは、ウイグル運動も、しばしば内部の対立で時間と労力をそがれていること、団結こそが力であるという運動の原則を忘れず、ウイグルその他各民族に現実的にテロや虐殺を行っている中国共産党政府に対し連帯して戦わなければならないことを述べました。

20160310_08ペマ・ギャルポ会長、チュイデンブン博士

20160310_09イリハム・マハムティ氏、オルホノド・ダイチン氏

 この集会とシンポジウムには、国会議員の柿沢未途議員、竹本直一議員も駆けつけて下さり、それぞれ、チベットをはじめとする中国の人権問題、民族問題に対し政治家として取り組んでいくことを宣言してくださいました。また、東京都都議会の古賀俊昭議員、新しい歴史教科書をつくる会の藤原信勝氏ら、多彩な方々のご参加をいただきました。参加者の皆様方に心から感謝いたします。

20160310_03竹本直一議員、柿沢未途議員

20160310_04吉田康一郎副会長、リ・ガ・スチント氏

20160310_05三浦小太郎事務局長、藤岡信勝氏

20160310_06司会、古川郁絵


【動画】


3・10チベット蜂起記念日シンポジウム 基調講演 酒井信彦氏他
https://www.youtube.com/watch?v=1LwI-TOLabM

2016年3月10日に東京、神田で開催された「3・10チベット蜂起記念日シンポジウム」の動画です。

※告知より
http://freeasia2011.org/japan/archives/4500
 1959年3月、チベットに不法に進駐していた中国軍は、ダライ・ラマ法王を観劇に招くという名目で拉致しようとし、それに抗議するチベット民衆は3月10日、法王の安全を守るために立ち上がりました。中国軍の残酷な弾圧にチベット民衆は最後まで抵抗し、法王はインドに亡命、現在にいたるまでチベットの自由と人権のために訴え続けておられます。
私たちはこの3・10チベット蜂起記念日に、チベット、南モンゴル、ウイグルなど、中国に抑圧されている各民族の現状を訴えるとともに、その民族自決権の確立に向けたシンポジウムを開催します。多くの皆様方のご参加をよろしくお願いします。

第一部
基調講演「チベット問題の本質」酒井信彦 氏

第二部
ペマ・ギャルポ 氏(アジア自由民主連帯協議会 会長)
イリハム・マハムティ 氏(日本ウイグル協会会長)
オルホノド・ダイチン 氏(南モンゴル自由民主運動基金)
チュイデンブン 氏(チベット)

登壇者※登壇順
竹本直一 氏(自民党 衆議院議員)
柿沢未途 氏(衆議院議員)
吉田康一郎 氏(アジア自由民主連帯協議会 副会長)
リ・ガ・スチント 氏(モンゴル)
三浦小太郎 氏(アジア自由民主連帯用議会 事務局長)
藤岡信勝 氏(新しい歴史教科書をつくる会)

司会
古川郁絵 氏(アジア自由民主連帯用議会)

制作・協力 ラジオフリーウイグルジャパン
http://rfuj.net



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