【報告と動画】第21回講演会「ウイグル難民の現状と今後の課題」講師 イリハム・マハムティ氏

第21回講演会「ウイグル難民の現状と今後の課題」講師 イリハム・マハムティ

2016年7月30日、東京、飯田橋でアジア自由民主協議会第21回講演会「ウイグル難民の現状と今後の課題」講師 イリハム・マハムティ氏、が開催されました。講演会の文字起こしを掲載します。


 皆さんこんにちは。こんな暑い日に集まっていただき、ありがとうございます。連帯協議会の学習会として、今回はウイグルの難民問題に関して皆さんにお話ししておきたいと思います。今、ウイグル民族全体がどういうことになっているのか、ウイグル人に何かが起こっていることを世界に伝えられ、世界が再び注目することになってきたのは、この難民問題がきっかけになっていると私たちは思います。

 最近の難民問題の状況については後でお話ししますが、まずはウイグルの難民の歴史から少し伝えることができれば、今の難民問題も少し理解されるようになってくるのではないかと思います。ウイグルの難民、あるいは亡命者の歴史は、古代までさかのぼるとモンゴル高原から、8世紀ごろ、キルギスという集団に敗れてモンゴル高原から西へ、つまり今の地域に移動したという話につながるのですが、現代になると、清の時代から1930年代の前までは、集団的に移動(亡命)することはウイグル地域ではありませんでした。

 20世紀になると、1930年代、東トルキスタンのカシュガルで1933年11月12日にイスラム共和国が独立宣言をしました。残念ながら、この国は長持ちせず、実に短命で、1934年6月末から7月にかけ、国として完全に終わります。そして、今のウイグル地域の東トルキスタンの南方のアクス、カシュガル、ホータン、アトシュの4つの地域から、多くの知識人、金持ち、軍人、政治家たちが、国民党の報復を恐れ、集団的に第1回目の大規模な亡命生活を始めます。ただ、このころの亡命者は一部しか遠いところまでは行かず、主にインドのカシミール地方に移動しました。

 当時のカシミールは、世界から認められているかは別として、独立した王国として存在していたのですが、そこから亡命者の一部分はアフガニスタンに行き、一部の人はいろいろなルートを使い、サウジアラビアに行きました。これが最初のウイグル難民の形成の状態で、移動するルートでした。このとき移動した人たちは1000~2000人規模で、政治家、軍人、富裕層、有名人、知識人たちが自分たちの家族だけを連れ、ネットワークのある人たちだけが一緒になって亡命する形であったわけです。

 第2回目は、国民党と東トルキスタン共和国政府が一緒になって連合政府をつくり、そこでウイグル人なり中国人が政府の中で働くことになりました。その状態は2年間続きましたが、1949年10月、中国共産党がこの地域を治めることになってしまった途端、国民党あるいは東トルキスタン共和国で働いていた政府関係者、またそれを支援してきた富裕層、知識層を加えてカシュガルにみんなが集まり、そこからインドに向けて移動しました。インドとカシミール地域に来て、そこで一時的に滞在したのです。インド政府は、そのときはウイグル人の亡命を受け入れていました。

 ただ、そこに行ってから、彼らは自分の文化に最も近いところに行きたいということがあり、トルコ政府と接触してトルコに彼らが渡ったのは5~7年後の話です。当時、トルコ政府は彼らを受け入れましたが、このときも100人前後の人たちはトルコにとどまることなく、サウジアラビアに向かいました。それ以前もメッカに行くためにサウジアラビアに行き、そのままそこに居残ったウイグル人がいたそうですが、こういう集団がサウジアラビアに行き、ウイグルのエリート集団が一緒に生活する状況をつくったわけです。ですから、サウジアラビアでは、今もウイグル系3世の人たちが1000人近く、かなり高いレベルの生活を送っていると言われます。

 1949年10月にインドに亡命した人たちがその後、トルコに行き、ウイグルの独立運動をトルコで起こし、正式に世界にアピールしていろいろな活動を始めました。そして、彼らの子どもたちがその後の世界ウイグル会議を創設したわけで、議長のアルプテキンさんのお父さんも49年10月に亡命した一人です。

 そこからまた10年後、1962年になると、1955年には新疆ウイグル自治区がつくられますが、その自治区が立ち上がり、そこから中国内部で起こったいろいろな運動が起こります。この運動は、今日は右翼を批判して攻撃したかと思えば、また明日は左翼を攻撃するという形のものでしたが、それらがすべてウイグル地区で起こるわけで、これに対して次第に知識人たちは自分らが危ないと思い始めます。また、中国人らが、この地域になじんでくる現地の人々をひどく弾圧することが始まってくるので、知識人がトップで亡命した大規模集団が危険を感じだすのです。この集団はダライ・ラマがインドにいたころの集団と比べられるぐらいの大集団になっていました。

 その当時、ウイグルの北方のアルタイ、タルバガタイ、チョチェク、イリ、グルジャの地域では、人がいなくなりました。このころに亡命した人たちは40万人近くに上りました。中国で発表した数字が正しければ、500万人人口のウイグル人がいたということなので、その10分の1の人間が亡命したという話です。そのころは旧ソ連が中国ともめていた時期なので、ソ連はウイグル人全員ロシア側に来ればいい、ここからまた祖国に戻すからと言っていたわけで、ラジオでもそういう宣伝を流していたそうです。そのころはまだ私も生まれていないので聞いた話にすぎません。

 昔からカザフスタンにはウイグル人がいたり、ウイグル地域にカザフ人がいたりしたから、そのことは私たちにとっては当たり前のことでしたが、後になって国として境界線がつくられ、それにより、私たちがそこに行けば亡命したことになってしまうわけです。昔は亡命とは言いませんでしたが、それにより、カザフスタンにもウイグル人が増えたのです。彼らはカザフスタンの昔の首都であるアルマトイの周辺で生活していましたが、この場所がウイグル地域の国境線に最も近いところであるという理由もあったようです。

 1992年、旧ソ連の中のすべての自治共和国が独立したとき、カザフ政府が最初に発表したウイグルの人口は89万人でした。それがなぜか1カ月後には、データが間違っていたといって一気に50万人減の39万人になってしまいました。その後もカザフ政府は、自前で調査したいという動きが出ると、すぐ阻止するような状況になっています。ですから、今ではカザフスタンにいるウイグル人は100万人と言えば本当は200万人いるのだとか、いろいろな説があります。その時期が、ウイグル人が難民として外国に亡命した数としては規模の最も大きいものでした。

 90年代になり、中央アジアの国々が独立してから、ウイグル人の中でもわれわれにも独立するチャンスが来たじゃないかという動きが強くなってきました。そして、政治活動も盛んになり、民間のクラスでも独立をしようという思想がウイグル地域で広まってきて、それにより、政府の取り締まりも厳しくなってきた。そして、90年代に入ってからは、近隣のパキスタン、カザフスタン、キルギスタンといった地域に亡命する人が増えました。もちろん、いろいろな国に出ていき、再びウイグル地域に戻ってきて独立のために貢献したいという人たちもいました。特に17~22歳の若者たちは何百人もアフガニスタンに行っています。彼らも一応、難民として逃げていったわけです。

 最初、パキスタン以外の国々ではウイグル人の亡命者を親切に受け入れていましたが、その後、中国の経済的な攻勢が強くなり、それらの国に利益を与えるようになります。旧ソ連から離れて独立した当初はみんな貧しかったのですが、当時、中国は既に改革開放後10年たっていましたから経済的には余裕があったため、その地域を経済的側面で自分の国に従わせるという動きが活発になってきました。

 そして98年には、国連の高等弁務官事務所が亡命を認めて難民として認定した後にもかかわらず、最初にカザフスタンから4人を中国に送還したわけです。あるいはパキスタンに中国のパスポートで入国して、イスラム系の大学で勉強し、卒業後も中国に帰らないでパキスタンに、これも国連難民高等弁務官事務所から難民の認定を受けて亡命した学生たちも、まず5名送還されました。ただ、カザフスタンから送還された4名はわずか1カ月後に死刑となり、全員殺されています。パキスタンから送還された5名のうち3名は死刑にされ、2名はいまだに行方不明のままです。中国では死刑の処刑場面は公開され、見せつけの意図から多くの人の前で銃殺されるわけです。

 こういう状況が2005年まで続き、いまだに続いているのですが、国連から亡命を認定されたり、あるいは国連に申請を出して亡命し、その後、中国に送還された人はパキスタンだけで30人近くいますし、カザフスタンでは15人以上、キルギスタンでも10人以上います。また、カザフスタンで国連に難民申請し、認定された直後に行方不明になった人だけでも10人ぐらいいます。キルギスタンでも7~8人います。認定されたのに行方不明になり、そのまま消息は不明です。なぜ、突然行方不明になったかというと、カザフスタンが国連から認定された難民のうち5人ぐらい送還されたという話になると、国際的な圧力がかかってきます。そこで送還されたのは間違いないと言うのですが、証拠はありません。そうでないとすると、その人たちはどこに蒸発したのかということでおかしな話になる。つまり、国際世論を恐れ、そういう汚い方法で送還されたと考えられるわけです。

 その後、日本で私たちが皆さんに伝えた難民問題が国際的に知られるようになってきたわけですが、あれも少人数の話ではないです。ウルムチ事件以降、今まで全世界に亡命したウイグル人は1万5000人以上になります。このウルムチ事件に関わったとか、親戚がそこに行った関係で自分も捕まってしまうのではないかという恐れがあり亡命した人は、恐らく3000~4000人ぐらいいると考えられます。

 もちろん、この中にはパスポートを持っていて、外国に行って外国籍を取得したいという人も少なくありません。当時、一番多数の人が行った国はオランダとベルギーで、ここにはウイグルの若者がたくさん行きました。何も持たないで行った人たちは別の国を経由してオランダに亡命する形になったのですが、直接中国から来た若者が亡命したい国の空港に行き、パスポートがなくなってしまったから亡命したいという人たちもいました。ウルムチ事件以降、そういう形で外国に逃げることが自分を守る唯一の手段だったのです。

 いま彼らに亡命の経緯を話してくれと言っても、つらかった経験を思い出したくないという人が多いです。そのことから、彼らがどのぐらいつらい思いをして、困難な環境を経てきたのかということが想像できます。もう一つは、自分が話すことにより、ウイグルに残してきた家族や親戚に迷惑をかけたくないということがあるのでしょう。自分のせいでほかの人に連帯責任を負わせたくないということで、告白する人はいません。

 2009年にウルムチ事件が起き、それから2年間ぐらい、少ない人数で亡命する人たちがいたのですが、2012年の年末から2013年にかけては、ものすごい人数で国外に出る人が出てきました。ウルムチ事件以降、ウイグル地域内の他の町へ行くときも、誰でも自分は善良な国民であるという良民証のような証明書を所持しないと、町から町へも移動できなかったのです。しかし、なぜかこの時期、一気に中国語を話せないし理解もできないような人たちが集団で中国の広東省、福建省、雲南省まで移動し、そこから東南アジア経由で亡命することができました。いまだにどういうことでそうなったかわかりませんが、今のISにウイグル人の兵士たちがいることを考えると、これは計画的なものではなかったのかなという思いはあります。

 なぜならば、この時期に逃げてきた人たちが受けた教育は、「民族」という言葉は宗教の中で禁止されているとか、ウイグルのために戦うのは間違った思想である。イスラム全体がわれわれのものであり、同じムスリムである兄弟のために戦うべきであるという思想をウイグル地区で宣伝する宗教的な指導者、知識人たちの活動に関しては、国は禁止していなかったからです。ジハードというのは、まずは自分の周囲、自分の国、自分の民族を自由にするものであり、他人のことは後で助ければいいのだという教えです。

 彼らの教えを私は正しく理解しているかどうかはわかりませんが、まずは自分たちのことを考えるということです。「民族」という言葉はコーランの中では一言も使われていない。コーランでは、まずは自分の周囲、自分の集団を自由にしてから他人のことを考えるべきだという教えがあることは私も聞いていますし、昔からそうだと考えています。この時期に亡命してきた人たちの1〜2割の人は、東トルキスタンの旗さえもわれわれの旗ではないと言います。彼らはイスラムの教えが書かれている黒い旗こそが自分らの旗であると言う。そういう間違った考え方で洗脳された人間たちが逃げてきているのです。
 そして、例えばトルコにいる人々たちが彼らに、この考え方は間違っている、この思想は民族全体に悪い影響を及ぼすものだと説いても彼らは行ってしまうのです。彼らは、われわれはムスリムだからイスラム世界のために立ち上がるべきだ、ウイグルなど自分とは関係ないと言います。

 そういう人々が亡命したという話はすべて秘密のことですが、なぜかそれを中国は全部知っていたというわけです。どこに何人の人間がいることまで中国は把握していて、各国にそれを連絡し、ウイグル人はテロリストだと宣伝した。わずかな人間の行為のせいで、このような恐ろしい結果に私たちウイグル人全体が直面しているのです。今回の大量移民の問題から、私たちはあることをうかがい知ることができます。中から漏れてくる情報は外にいる人間が持っているものです。逃げてきた難民たちを自分の利害のために利用するという恐ろしいこともあったようです。

 もう一つ、雲南省から東南アジアに亡命する集団は、今まで3人、4人といった単位で秘密のうちに静かに亡命するから軍人がないときに移動しますが、今度は集団てきで70人から100人規模で移動します。その中には子どももいますから、それは単なる彼らの力でできるものではないし、ガイドにお金を払って道案内をしてもらって亡命するわけにはいきません。中国も国境線で警備をしていないわけはありませんから難しい。しかし、彼らは車に乗って越えるのです。お金がある人はマレーシアまで車で移動しましたが、チェックが厳しくなると歩くしかないわけです。

 皆さんご存じの2014年3月に発見された亡命者は380人の集団でした。あんなに大きな集団が移動すると、いくら人がいないところでも見つからないわけがないです。老人や子どももいる人間の集団ですからゆっくり歩くしかないわけです。いろいろな面から見ると、中国には自分たちの力でウイグル人の集団を世界的にやっつけてだめにするという計画は一貫してあるのではないかと思います。

 この難民問題で昨年タイ政府が発表した数字は109人でしたが、それは違います。強制送還された人間の前の番号をインターネットで見ると120番の人の写真が見えます。残った難民の140人以上が送還されたというのです。そして、世界に向かって発信したのは109人全員が男性だというのですが、違います。強制送還されたうちには25人の女性がいて、その女性たちの子どもだけはトルコに連れていったのです。母親から強制的に子どもを奪って母親を中国に送還したわけです。

 この送還された人たちの身分について、中国はどうやって知ったのか。これがもう一つの謎です。送還するとしても、資料を何も提供しないでただ返してといったら、残った70名も全部送還したはずです。タイ政府としては、頭の痛いことは1回で解決しようとしたわけですが、100人と200人でどう違うのか。同じじゃないですか。しかし、タイ政府が中国から情報提供された人以外も送還したのは間違いのないことだと私は思います。現地で仕事をやってきた私は絶対そうだと確信しています。

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 これについて、どのように情報を提供したのか。タイの入国管理局では、最初のころ、中国大使館がこの亡命者が中国人かどうかを調べたいと言ったとき、1回か2回、許可したことがあります。1回目は漢民族だけ、2回目はウイグル人を連れてきて、彼らの中に入ってしゃべったのですが、何の情報も得られなくて、その後、タイ政府が、中国が取り調べることを禁止したことを私は知っています。それなのに、この亡命者たちの情報を中国はどうやって知ったのか。タイ政府さえ知らないのです。彼らの誰一人として自分の身分を証明するものを何も持っていないからです。それまでにすべて捨てられているのです。

 こういう状況で彼らは送還されたわけですが、2012年末から2014年にかけての2年の間に逃げてきた人々の中に、そういう恐ろしい思想で洗脳されてきた人たちがいることで、われわれとしても非常に警戒をしなければいけない状況にあると言えます。そして、こういう思想を持った人間がいまだにトルコで暮しているのです。彼らは穏健なウイグル人のイスラム教徒と自分たちは一緒ではないとしている。穏健派に対し、彼らは偽教徒だと言っています。私なども彼らから見ると偽教徒で死刑に値する人間かもしれません。彼らは自分たちだけが真のイスラム教徒だと思っています。そして、真のイスラム教徒は国土とか、民族という考え方を持っていないということです。将来的には地球全体がイスラムのもので、アッラーのものはすべてムスリムのものになるのであり、そのために戦うべきだと主張する。そういう恐ろしい思想でみんなが洗脳されています。

 私たち、外国にいるウイグル人の各団体としては解決しなければいけない目下の急務であり、ウイグル人全体がそういう考え方であると見ていることに対し、私たちはそうではないことを国際社会に対し、はっきり説明しなければいけないと考えています。今回、トルコに行って見たり聞いたりしたこと、自分が現地で実際に体験したことから、みんながそれに向かって頑張っていることがわかりました。洗脳された人々の考え方を柔軟にするために頑張らなければいけない。いまシリアで起こっている戦争が何を意味しているかさえ理解しないまま、自分が命を落とすことをアッラーの神は許さないのだということを、きちんと彼らの頭の中に入れなければいけないわけです。

 これからの私たちの課題としては、今までの難民、最近生まれた難民の間で何が働いているのかを見極める必要があります。外にいる人々は中にいる人たちにどういう協力をしているのかという問題も、私たちウイグル人が自分で調査をして明らかにしない限り、今後も恐ろしい思想で洗脳された人々がどんどん出てくるかもしれません。これはウイグル問題に大きな影響を与えることは間違いないと思います。ですから、私たちはこういうことがあったときに、ウイグルの亡命者を受け入れた国々の関係機関に情報を提供し、そこにいるウイグル人が安心して暮せる環境をつくることを最優先に考えなければいけないと思います。

 安心して暮せればそれでいいのかというと、私たちの問題はこれからです。人権が保障されればこの問題は解決するかというと、そうではありません。私たちの土地は他人に奪われているので、まずそれを取り戻さなければいけないのが本来の目的です。そこで連帯してできた人権問題も超えて国際社会にアピールしなければいけないと思いますが、最初の目的は、まず自分たちの土地を取り戻すことです。そして、自分の思想の下でつくった環境で暮らすという目的を達成することが私たちの目標であり、そのために頑張っていこうと思います。

 これがウイグルの難民問題であり、もっといろいろしゃべりたいのですが、現段階で無責任に話して悪い反響を与えてはいけないと思うので、さらに確実な話になってきたら、このような講演会でなくても、皆さんと一緒に討論会か何かの形でこの問題を検討していきたいと思います。どうもありがとうございました。

登壇したペマ・ギャルポ会長、三浦小太郎事務局長

吉田康一郎副会長、司会の古川郁絵


【動画】

第21回講演会「ウイグル難民の現状と今後の課題」講師 イリハム・マハムティ氏
https://www.youtube.com/watch?v=HqzWtmVow1A

2016年7月30日に東京、飯田橋で開催されたアジア自由民主連帯協議会第21回講演会「ウイグル難民の現状と今後の課題」の動画です。

※告知より
http://freeasia2011.org/japan/archives/4761
 この6月、タイの拘置所でウイグル難民が広義のハンストを行うという事態が発生しました。中国政府の弾圧が強化される中、ウイグルを脱出して第三国を目指した難民たちにも、厳しい運命が待ち受けています。今後、ウイグルのために私たちは何をすればいいのか、イリハム・マハムテイが難民の実情と今後の運動のあり方について報告します。

・講師
イリハム・マハムティ氏(日本ウイグル協会)

・登壇
ペマ・ギャルポ 会長(アジア自由民主連帯協議会)
三浦小太郎 事務局長(アジア自由民主連帯協議会)
吉田康一郎 副会長(アジア自由民主連帯協議会)

・司会
古川郁絵氏(アジア自由民主連帯協議会)

制作・協力 ラジオフリーウイグルジャパン
http://rfuj.net



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