【動画あり】第32回主催講演会「消されゆくチベットの今をどう救うか(チュイ・デンブン氏)」講演録


 アジア自由民主連帯協議会第32回主催講演会「消されゆくチベットの今をどう救うか」講師 チュイ・デンブン氏が、3月17日、東京で開催されました。
 以下はその講演録です。
 



 
 皆さん、こんにちは。
 私は、17年前にチベット・アムドから留学生として日本にきました。この17年間、私は、自由、民主、平等、法の支配など人類普遍的価値観を基本とする政治学を学び、それに対する理解を深めてきました。いまの中共政府が生き残るためにも、いまの中国が抱えている人権問題や民族問題及び汚職問題などを上手に解決するためにも、いまの中国の道徳低下を改善し、周辺諸国の信頼と安心を得るためにも、これらの人類普遍的価値観を単なる言葉に留まるのではなく、現実の社会において確実に実現していく以外に良い方法がないと、私は固く信じております。

 今年のこの2018年は、チベット歴では2145年となります。この2145年は、我々チベット人も中国人と同様に固有の民族として独自の歴史を築いて2145周年を迎えた証でもあります。この2145年は、我がチベットの指導者ダライ・ラマ13世が再びチベットは独立国家であることを国際社会に宣言して105周年を迎えた年でもあります。

 この2145年間の間に我がチベットは中国の一部になったことは一度もありません。我がチベットのいまの現状も中国の植民地であって、中国の一部ではありません。第二次世界大戦後、世界の各国が自由・民主主義など人類普遍的価値観を現実の社会の中で実現して前進していく中、中共政府は逆に自由・民主主義など人類普遍的価値観を否定し、植民地主義的な政策を進めています。現在、世界で唯一植民地を持つ国は中国だけであり、14億人の中国人はこれに対して恥を感じるべきではないでしょうか。

 今年のこの2018年は、我々チベット人にとって、1950年の中共政府による軍事侵略と非合理的及び非合法的ないわゆる「17条協定」を強要されて68年目、1959年の3.10事件とチベットの指導者ダライ・ラマ14世の亡命から59年目、1988年のラサ事件から30年目、2008年の3.14事件から10年目を迎えた年です。この68年間で、我がチベットは、中共政府の圧政によって失われたものが計り知れません。

 この68年間の歳月の中で、我々600万人のチベット人は中共政府の残酷な植民地主義的な政策によって全く必要のない大量の命の犠牲や苦しみを余儀なくされてきました。この68年間の歳月の中で、中共政府は我がチベットの歴史や文化及び言語、人権を否定し、「チベットは古来より中国の一部だ」と世界を騙し続けてきました。我々600万人のチベット人は、もうこれ以上中共政府が嘘を付くことを望んでいません。我々600万人のチベット人は、我がチベットの象徴であり、国家元首であり、聖なる師として慈悲と非暴力の教えを説いてきたダライ・ラマが亡命先のインドで年を取り、亡くなっていくことを耳にしたくありません。我々600万人のチベット人は、もうこれ以上ポタラ宮殿のダライ・ラマの玉座を空席のままにして置きたくありません。我々600万人のチベット人は、もうこの中共政府の植民地主義的な支配から早く脱出すべき時が来ています。

 本日、私は、「消されゆくチベットの今をどう救うか」をテーマにして、中共政府の支配下で民族的危機に直面している我がチベットの現状と未来へのビジョンについてお話をして参ります。

 我がチベットの現状は、今から52年前に起こされた中国の文化大革命の時代と全く変わりはありません。1949年に新しく誕生した共産主義の中国政府は、「チベットを外国の帝国主義による支配から解放する」と嘘を付いて、我がチベットに15万人規模の中国軍を派兵し、近現代的な殺傷能力の高い武器でチベット侵略を開始した。同時に「民主改革」と言う名のもとで、いわゆる「大躍進」や「人民公社」及び「文化大革命」などの政策を強行し、大量のチベット人の虐殺、餓死、強姦、投獄、拷問及び文化と言語の破壊、財産の略奪などにも力の限りを尽くしました。文化大革命が終了するまでの約20年間で、中共政府の圧政によって、120万人以上のチベット人の命が奪われ、6000年以上の仏教施設が破壊され、その中の金、銀などカネになるものが全て略奪されました。7世紀にネパールから迎えて来た8歳のお釈迦牟尼仏像も文化大革命後にパンチェン・ラマ10世が中国・北京のある工場からバラバラな状態で取り戻して来たわけです。

 1951年にチベットと中国の間に結ばれた『17条協定』の中では、中共政府は「中国はチベットから針一本も糸一本も取らない」と約束しています。しかし、実際には、中国政府は「公有制」と言う名のもとで一般チベット人の私有財産さえ針一本も糸一本も残さずに奪い取ったのです。今の中国の指導部や知識人の中には依然として、今までの人民に対する摂取では満足できず、「財産の私有制を消滅させることは社会主義発展の客観的及び必然的な趨勢だ」として私有制を批判し、「公有制を徹底的に確立し、維持すべきだ」と言う人がいますが、私有制を批判し、公有制を擁護したいなら、まず、自分たちが先に自分の財産をすべて差し出すべきでしょう。

 1980年代には、いわゆる「改革開放」政策とパンチェン・ラマ10世の努力のお陰で、我がチベットにも明るい未来が訪れて来たかのように見えました。つまり、チベット人の母語となるチベット語による教育も認められ、チベット人の仏教に対する信仰も認められたのです。これによってチベット人の人材も急速に増え、破壊された多くの仏教施設も再建され、チベット文化が再び活気を取り戻すようになりました。

 しかし、1990年代に入ると、中共政府は、そうしたチベット文化の復活を恐れたかのように再びチベット人及びチベット文化や言語に対する弾圧を強めるようになりました。特に21世紀に入ってから、いわゆる「西部大開発」と言う名の下で、今度、政治的及び軍事的な実力に経済的及び人口的な実力を加えてチベット人とチベット文化及び言語への弾圧を強めたのです。例えば、1980年にパンチェン・ラマ10世が自ら名誉校長となって建立した青海民族師範専門大学は、1989年のパンチェン・ラマ10世の死と共に中共政府の政策によって廃校の危機に直面し、2004年頃には事実上廃校され、学生や教員などは中国人のみが通う青海師範大学に編入されました。私もこの大学の出身であり、チベット社会におけるチベット語教育については、この大学の貢献は最も大きく、一般チベット人の評判も非常に高い。なぜ、人材不足に苦しんでいたチベットに、このような人気の高い大学は一つも存在してはいけなかったのでしょうか。

 2008年3月10日、チベット・ラサでは例年のように中共政府への抗議デモが始まりました。14日には抗議デモは暴動へと発展したため、中共政府の武力による弾圧を受け、多くの死者が出た事件となりました。この抗議デモは、本来は例年と同じように平和的なデモ行進であったが、中国の警察や軍が一般チベット人に変装して、平和的な抗議デモを暴動化へと誘導したことが後になって判明されました。

 2009年2月27日、チベット・カムのキルティ僧院では、タベーと言う20歳の僧侶が自ら自分の身体にガソリンをかぶって火をつけ、炎に包まっていく中で「ダライ・ラマの帰還」や「チベットの自由」を叫びながら中共政府に抗議した。しかし、中国の警察は、その火を消して助けようとしたのではなく、銃で発砲して、怪我をしたまま連行していったのです。この焼身抗議の直接的な原因は、その二日前の25日に例年のように行われていたチベットのモンラムと言う新年祈禱祭を行おうとしたらところ、中共政府によって厳しく規制されたためでした。

 その翌年の2010年、チベット各地で多くの住民は焼身抗議をして犠牲になった同胞たちを悼むため、新年の祝賀をしないことにしていたが、中共政府は逆に一般住民やチベット人の政府公務員たちに対して、お正月を祝福するよう強要し、それを「楽しげに祝福させる」ために、新しいチベット衣装、お金、爆竹などを配りました。その様子を、中国のテレビは、「…農奴から解放されて豊かなになったチベットで、人々は喜びに満ちた新年を迎えた」とナレーションを付けて放送しました。中国の文化大革命時代には、中共政府は、「反革命罪」として殺害した人の墓の上には、その人の遺族や学生たちに踊りをさせたことがあります。ナチス時代のドイツとスターリン時代のソ連でもそんなことをしたことを聞いたことがありません。中共政府は、現在もチベット各地において大量の監視カメラや盗聴マイク及び検問所などを増設し、一人であっても抗議行動に出る前に直ぐにその人の姿を消せるようにしています。それにもかかわらず、中共政府は、「チベットに自由がある」と宣言し続けていますが、死者を悼むことを許されず、逆に、それを祝賀させる暮らしに「自由がある」と言えるのでしょうか。

 この写真でもはっきりと分かるように、今年のチベットの新年祈祷祭の時も、チベット各地の重要な仏教寺院に大量の軍人や武装警察が配備されています。中国の各寺院には大量の軍人や警察が配備されているのでしょうか。チベット人は、大量の軍人や警察による威嚇のもとで参拝している状況を「解放」と言えるのでしょうか。

 2009年から今月の7日までに152人のチベット人が中共政府の圧政に対して焼身抗議し、そのほとんどが命を落としています。この152人が求めていたのは、「ダライ・ラマ法王の帰還」や「チベットの自由」「チベット語とチベット文化の自由と保護」「チベットの自然環境の保護」などの声でした。この声は、我々すべてのチベット人の声にしなければなりません。この声は、自由と平和など人類普遍的価値観を愛する世界のすべての人々の声になってほしい。我々すべてのチベット人は、この声にはっきりとした行動で応えなければなりません。自由と平和など人類普遍的価値観を愛するすべての人々はこの声にはっきりとした行動で応えて頂きたい。

 中共政府は、この焼身抗議を「テロ」と呼んで非難しています。しかし、彼らは、その焼身抗議で他の人を一人でも殺していません。彼らは、その焼身抗議で他の人に害を加えたことも一切存在していません。彼らは、その焼身抗議で建物や交通機関などにも一切の損害を与えていません。そのようなすべての他に対する完全な非暴力の焼身行為を「テロ」と言えるのでしょうか。中共政府による残酷な植民地支配下で、ダライ・ラマ法王14世の非暴力主義に導かれてきた我々チベット人には、自分たちの未来への希望をそうした焼身抗議でしか繋げることができなかったのです。つまり、この焼身による抗議は、「絶望の淵からの選択」だったのです。

 今から55年前の1963年のベトナム戦争中に、ティック・クアン・ドックと言うベトナム人がベトナム戦争に抗議し、大勢の前で焼身しました。これは、世界に衝撃を与え、アメリカでは軍人の中にもそれに同情を示すために反戦運動を起こしたことがあります。なぜ、「5000年の輝かしい歴史を築いてきた」と自慢する中国人の中には、チベット人の焼身抗議に同情心を示す人が一人も現れてこないのでしょうか。中国人の人間性はどこへ消えたのでしょうか。そうした民族に国家の政治を任せることはどう見ても危うい。

 2010年には、中共政府はチベット・アムドでもチベット人が通う保育園から高校までにおけるすべての教育施設で使う第一言語を、母語のチベット語ではなく、中国語にして220年までに普及を完成させる政策方針を発表しました。それに対して、チベット・アムド各地で数千人規模に及ぶ小学生、中学生、高校生及び大学生が「民族平等」「言論自由」などのスローガンを挙げて抗議行動に立ち上がりました。この抗議デモを鎮静化させるために、青海省の教育庁長が当該政策の「延期」を発表したが、2012年の新学期で生徒たちに配られた教科書はすべて中国語に変わった教科書でした。これに対しても学生による抗議デモが発生したが、抗議デモに参加した生徒たちが逮捕されたり、投獄されたり、それを事前に阻止しなかった担任の教師や関係教員にその責任を押し付けています。いまもチベット人の小中高校生の行動は僧侶と同様に厳しくコントロールされており、一般チベット人も母語のチベット語とチベット文化の保護を訴えると、「民族分裂主義者」或いは「国家転覆罪」として逮捕されたり、投獄されたりしています。

 我がチベットの国家元首・ダライ・ラマ法王14世とチベット亡命政府は、30年前からチベットの未来について「独立」を求めていないにもかかわらず、中共政府はダライ・ラマ法王とチベット亡命政府を「民族分裂主義者」と非難し続けてきました。私から見れば、中共政府はそれをチベットの言語と文化の消滅及びチベット人の中国人への同化を加速させる口実にしているようにしか見えません。民族分裂活動をしているのは中共政府の方であって、我々チベットの方ではありません。

 中共政府は、我々チベット人の中国人への同化を加速させるために、いまチベットの農村地帯や遊牧地帯における保育園や小学校を廃止して、それを都会の保育園や小学校に統合しています。都会の保育園や小学校では、「双語教育(チベット語と中国語による同時教育)」と言う政策方針を強調しながら、実際には中国人の教職員を増やして、中国語を中心とする教育を進められています。この都会の教育施設では、子供たちが親から離れて学校の寄宿生活をしなければならないため、家庭におけるチベットの伝統の教育と文化を受けることができなくなっています。そうした教育の制度は、子供たちの精神の正常な発達を破壊してしまうことになるだろう。

 中共政府による民族同化政策は、学校の教育現場に留まるのではなく、一般チベット人の人名表記、地名表記、動植物の名前さえ中国語の漢字の表記で統一することを進められています。このようなやり方は、事実上の植民地政策ではないでしょうか。このようなやり方は、事実上の文化の「ジェノサイド」ではないでしょうか。

 3月9日、中国人権研究会の代表・扎洛は、国連人権理事会第37回大会において、チベット語の現状について、「…中国の憲法と民族地域の自治法は、各民族は自分の民族言語と文字を使用する権利を保障している」、「チベットではチベット語が公用語となっている」、「チベット語と普通語(中国語)は同等の効力を有する」、「チベット語は、チベット人の主要言語となっている」と発言していました。彼は、チベット各地でいまチベット語のできない村やチベット語のできないチベット人が急増している現実を知らなかったのでしょうか。彼は、西寧市に暮らしている数万人のチベット人の子供がいまだにチベット語の教育を受けることができずにいることを知らなかったのでしょうか。

 今年のチベットのお正月の二日目の2月17日夕方、チベットのジョカン寺で火災が発生しました。この火災について、中共政府は、「(12歳)の仏像が完璧で何の損害を受けていない」「世界遺産に登録している6510件の文化財も如何なる損害を受けていない」と報道していますが、火災の時の炎の勢いと火災後の仏像の帽子の違いと仏像の後ろ全体を大きな布で隠している様子を見る限り、12歳の仏像それ自体が損害を受けていないとしても、その他の仏像や金、銀、経典などの文化財が深刻な損害を受けているのが間違いないでしょう。

 このジョカン寺は、2000年に世界遺産に登録されており、その中に12歳の仏像を初めとする6510件の文化財が登録されています。毎年3000万元以上(相当5億円以上)の観光者や参拝者による収入を得ています。昨年、中共政府は、国連のユネスコに対して「ジョカン寺を初めとするポタラ宮殿とノルブンリンカ宮殿の防火を強化するため、十分な軍人と警察を配備している」と報告したばかりです。しかし、今回の消火活動に努めていた軍人が何の防火服をも着用していない様子を見ると、ジョカン寺に大量の軍人と警察を配備しているのは防火のためではないのが明らかです。そのジョカン寺の巨額な収入で防火整備をしていたなら、今回のような火災は発生していないはずでしょう。

 ジョカン寺の中の12歳の仏像は、2500年前にお釈迦牟尼仏が自ら加持をしているから貴重だと言うだけではなく、我々チベット人一人ひとりの魂を一つに結ばれている精神的な力であり、私たちは嬉しいことも苦しいことも願い事も恐れずに言うことができるのです。我々チベット人は、この12歳の仏像を1300年に渡って大切に護り続けてきました。1300年に渡って大切に護り続けて来た仏像を、もうこれ以上中共政府の汚い手によって汚されたくありません。

 「宗教を毒とする」中共政府は、このジョカン寺を初めとするチベット各地の寺院において「宗教管理委員会」と言う政府機関を設置しているが、これは、我がチベット人の信仰心と文化の正常な発展を妨げる最大の要因であり、一日も早くチベットの大地から消えてほしい。我々チベット人は、私たちの生存を脅かす中共政府のチベットでの存在を望んでいません。

 中共政府は、巨額のお金を出してチベットを豊かにしたと内外に宣伝し続けていますが、「チベットは中国から得た恩恵よりも中国によって失ったものの方が遥かに大きい(パンチェン・ラマ10世の話)」ことを知ってほしい。一部の中国人の中には、「チベットは中国の寛大さからどれほど恩恵を受けているのかを知ってほしい」と言う人がいますが、その人たちには、私は、「チベットは中国から得た恩恵よりも中国によって失ったものの方が遥かに大きい」と言うこのパンチェン・ラマ10世の言葉で返事しておきたい。

 中共政府は、本当に「民族平等」を「社会主義の核心的価値観」として考えているなら、我がチベットに対する封建的で植民地的な支配をやめてほしい。
 中共政府は、我がチベットに対しても、国際社会に対しても孫子の『兵法三十六計』と韓非子の『権術』を優れた政治・外交の「智慧」として使っているようですが、私から見れば、それは煩悩に汚染された智慧に過ぎません。中共政府は、本当の「和諧社会」の実現を望んでいるなら、そうした時代遅れの策略を放棄してほしい。世界の人々は、自由、民主主義など人類普遍的価値観を尊重していくなか、中共政府がそうした煩悩に汚された策略を智慧として使うのは時代遅れではないでしょうか。

 以上のように「チベット問題」の最大の原因は、中共政府によるチベットの植民地支配であり、この植民地支配によって我がチベット人はいま民族的危機に直面しているわけです。

 では、この民族的危機をどう克服していくべきでしょうか。
 お釈迦牟尼仏は、「自分は自分の救い主であり、自分は自分の敵である」と説いているように、我がチベットの未来は私たちチベット人が決めなければなりません。

 現在、我がチベットの未来へのビジョンについて、チベット青年会を初めとする一部のチベット人は、完全な「独立」の回復を求めています。ダライ・ラマ法王とチベット亡命政府を初めとする一部の人は、「中道路線」と言う方針でいまの中華人民共和国憲法の枠の中ですべてのチベット人居住地の真の自治を求めています。

 しかし、真の自治を求めている「中道路線」論も、完全の独立を求めている「独立」論もチベットの未来像をより具体的に示したものではありません。一日も早くチベットの自由を取り戻すために、一日も早くチベットの象徴であり、国家元首であり、聖なる師であるダライ・ラマ法王14世をポタラ宮殿に迎えるために、真の自治を求めるなら、「中道路線」を法学的視点からより具体化して示すべきではないでしょうか。独立の回復を求めるなら、チベット憲法の草案を急いで作るべきではないでしょうか。

 当然、自由、民主主義など人類普遍的価値観に共感を持つ国々や人々の結束も必要です。私は、2012年頃、ある研究大会で「国際政治のゆくえ」をテーマに、自由・民主主義諸国が結束して、自由、民主主義など人類普遍的価値観の普及に力を入れない限り、米中関係が逆転して、中国の独裁主義が世界の平和を乱していく可能性を理論的に示したことがあります。いま、その理論は現実的になりつつあります。自由・民主主義の守護神として自由・民主主義など人類普遍的価値観をリードし、守り続けて来たアメリカもヨーロッパもいま中国の人権問題や民族問題については大声で語れなくなっています。世界最大の民主主義国家であるインドも中国の人権問題や民族問題についてはほぼ沈黙を守り続けてきました。人類の拠り所として、人類の自由及び平和を守る根源として設立された国連も中国の人権問題や民族問題についてはほぼ沈黙を守り続けてきました。アメリカのマリオットホテルもデルタ航空も、ドイツの高級自動車メーカ・ベンツも、スペインのファストファッションザラも相次いで中共政府の圧力に投降しました。特にドイツのベンツは、ダライ・ラマ法王14世の「あらゆる角度から状況を見れば、もっとオープンになれる」と言う言葉を広告に使ったことについて中国人の批判を受け、「酷く誤った情報」を引用して、「中国における当社の社員を含む中国国民の感情を傷つけた」と中国に謝罪しましたが、この言葉に何の問題もありません。そうした普遍的価値を持つ名言に対しても理性を失うなら、それは、中国人のレベルの低さを改めて世界に示したことになるのではないでしょうか。

 いまの国際社会において、中共政府が台頭し、自由・民主主義など人類普遍的価値観を踏み潰している中、最も悲劇的なものは、それを否定し、破壊する中共の暴力ではなく、それを愛し、守り続けていた国々のそれに対する「沈黙」と「無関心」ではないでしょうか。自由・民主主義など人類普遍的価値観を踏み潰している暴力に対して、それを愛する国々や人々が沈黙と無関心でいるのは、その暴力の陰に隠れた同罪者になるのではないでしょうか。

 真の平和で繁栄した社会を作るには、自由、民主、平等、法の支配など人類普遍的価値観を使う以外に良い方法はありません。世界の自由・民主主義諸国は、この自由・民主主義の普及を「普遍的責任」として、中国の民主化を正々堂々と支えて行くべきではないでしょうか。

 中共政府は本当の「為人民服務(人民のために奉仕する)」の政府であるなら、中共政府は自由、民主、平等、公正、法の支配などを本当に「社会主義の核心的価値観」として考えているなら、中共政府は真剣に「和諧社会」と「民族団結」を考えているなら、習近平主席は、本当に14億人の中国の人民に尊敬され、愛される指導者になりたがっているなら、習近平主席は、本当に中国を「世界の舞台の中心に」立たせて、世界を指導していきたいなら、習近平主席は、本当に中国の政治腐敗を撲滅したいなら、自由、民主、平等、公正、法の支配など人類普遍的価値観を、単なる言葉ではなく、現実の社会において確実に実現していくべきではないでしょうか。

 この人類普遍的価値観を否定し、破壊する者は、如何なる者であれ、それは悪であり、長くは続かないだろう。



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