書評「中国の火薬庫 新疆ウイグル自治区の近代史」今谷明著 集英社

 本書は日本中世の歴史家として優れた業績を上げてきた今谷明氏による、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)とその周辺史の概略書だ。この問題についての簡略な解説書が中々入手しにくい中、本書は言葉の最もよい意味での「入門書」として大変優れた価値を持つものとなっている。

 本書第1章に描かれた、シルクロードを通じての様々な文化、宗教、そして人間の東西交流の姿は、日本国とは全く違った「国」のあり方について再考させられるものがある。近代国家が考えるような明確な国境、都市、農村などの区分はいまだ無く、遊牧と通商を主体に自由自在に草原を疾駆した人々の姿と、数々の王国の攻防、民族の移動・移住が、草原と砂漠の彼方に蜃気楼のように浮かび上がる。私達に馴染み深い玄奘三蔵がどのような危険と魅力に満ちた土地を歩んだのか、彼にとってのインドへの旅とは、伝奇小説「西遊記」以上に、荒々しくも逞しい様々な異文化「魔」との出会いだった事が伺える。

 そして、現在に至る東トルキスタン問題の根本が示されるのは、やはり第2章「清朝とジュンガル帝国」以降だ。清朝の民族抑圧は、それ以降の中華民国や中華人民共和国の政策に比すればむしろ寛容だった事は、本誌殿岡論文(中国民族問題研究)でも明らかにされているが、この新疆地区においてはその最も苛烈な一面を見せており、しかも21世紀現代の悲劇的な民族紛争の原型すら感じさせている。

 一七五七年、清朝の征服に抗して反乱を起こしたジュンガル盆地のオイラート族討伐の際、清国の乾隆帝は「種族絶滅」との命令を直接発し、現実にも非戦闘員も全て捕獲、男性は殺害、婦女子は外モンゴル族に与えられたという記録が残されている。最も、この例の場合は、残虐な処置とは言え、オイラート族自身にも、それ以前のジュンガル帝国の敗北により一度は帰順したにもかかわらず、その後清朝の駐留軍が少数である事を侮って、さしたる準備も目算も無く反乱を繰り返したという一面もあった。東トルキスタンを巡る回教徒の決起はこれとはかなり違う、まさに「文明間の戦争」を思わせるものである。

 一七五九年、清朝に併合された後の東トルキスタンでは、反清朝の有力な指導者は追放されたものの、かなり複雑な形であれ、支配は漢民族や満州族、自治という形で民政をウイグル人の首長達に封建領主として任せるという形での懐柔策をとった。この方法は一時期成功し平和が訪れるが、次第に増加する清国の植民政策と、清国それ自体の弱体化、ロシア帝国の南進、イスラム教の影響、そして様々な民族英雄の出現が、この地域を再び対清戦争へと導いてゆく。本書は、清国が19世紀から次第に国際政治のパワー・ポリテイクスの流れに巻き込まれ、それに対し有効な手段を尽くせないこと、イスラム教がスーフィー神秘主義などの様々な思想的展開をとげ、民衆に清国への抵抗精神を目覚めさせて行った事などを簡潔ながら的確に指摘している(著者は現在のイスラム原理主義の抵抗思想とこの当時のスーフィー主義との共通性をも示唆しているが、これは余り簡単に論ずべきテーマではないだろう)。清国の植民者が増えるに従い現地の民衆と衝突が増え、現地では激突が避けられなくなり、ついには漢民族の「自警団」が軍隊をバックに他民族の虐殺を行う過程などは、現在での中国民族問題で生じている構図がそのまま現れているようだ。これに対し、日本での明治維新、また清国では太平天国の乱が吹き荒れていた一八六〇年代から、イスラム教徒を中心とした反乱が続発する。これらの反乱に対し、清国側は、かってのオイラート族反乱の時にも見られなかった「民族浄化」の論理が見られると著者は鋭く指摘している(一四二頁)。

 これは、反乱に参加するか否かは別として、漢民族が「洗回」(「回」とは回教徒、ウイグル民族を指す)と呼ぶ民族の無差別殺害を、単なる暴発ではなく組織的に各地で行った事実を指す。これは、決して漢民族文化に同化、吸収されえない民族・宗教精神をウイグル民族側が明確に示し始めた事の逆証明でもあり、また、ウイグル側も漢民族の残虐な行為に対する「報復」を各所で示し初めた。

 このような闘いの中、まさに著者の研究分野である日本の戦国時代を思わせる、様々な英雄や戦略家達が現れる。乱世の英雄というに相応しいヤコブ・ペクの戦いと王国建国、清国からの残酷だが優秀な武将、左宗堂の6年にも及ぶ反乱鎮圧と再征服。この武将は現在の中国では最近まで民族弾圧、民衆虐殺の将軍としてほぼ抹殺されていたが、今は再評価されているという。著者は「文化大革命以降以前に反右派闘争などの粛清で、万を超す多くの地主や富豪・知識人を処刑してきた新中国が、宗堂に『民族の裏切り者』の烙印を押すのは実に誰が見ても矛盾であり皮肉である」と痛切に述べている。

 勿論この指摘も正当なものであるが、左宗堂再評価は、おそらく現中国が東トルキスタン征服と植民地化を歴史的に正当なものと見なし、独立運動そのものを否定し、かつ、『大中華帝国領土』を断固今後も維持しようという明確な国家意志の表れではないかと思われる。当時、清国宮廷には、この地域は保有のためにリスクがかかりすぎる、放棄したほうがよいという『海軍派』の意見も有力であったが、左宗堂は、新疆を失う事はモンゴルの動揺を招き、さらに周辺民族の離反は北京そのものの危機に繋がると明確にこの意見を退けた。この姿勢は、実は未だに中国共産党政権を支配している、ある種の『逆ドミノ理論』であり、最も平和的な解決が可能なはずのチベット問題の解決にすら乗り出さないのは、民族問題での妥協は大中華帝国の解体に繋がるという恐怖感の現れであろう。

 ヤクブ=ペクの敗北と自害の後、辛亥革命勃発。『大場』と呼ばれた馬仲英将軍による再度の独立決起戦争は、まさに遊牧民族の戦いそのものというべき勇気と行動の叙事詩である。父を漢民族に殺害された彼は、少年時から天才的な軍事的才能を示し、中国側から見れば『匪賊』と言われるような戦いの青春をすごした後、一九三〇年決起、草原の大帝国を夢見て戦い抜いた。しかし、最後には戦い破れ、ソ連軍の干渉に屈して同国に亡命、悲劇的な死をスターリンの粛清により迎えたようである。この時期の探検家スエイン=ヘデインや、今も尚過小評価されている日本の僧侶大谷光瑞による学術探検などの様々なエピソードの興味深さについては、是非とも本書に直接当たられたい。まさに、「アジアが若かった時代」の激動の人間像が垣間見られる。

 本書は一九三三年、そして一九四五年の、2度の東トルキスタン共和国の独立については簡単に触れた上で、第1章の伝説の時代と同じように、砂漠と草原に消えた一場の夢のように語って終わる。著者は政治的発言は抑制し、また、東トルキスタンの未来についても、またウイグル民族の欠点と見られる部分についてもかすかに触れるに留めている。これは決して本書の欠点ではない。むしろ、本書を入門として、読者がさらに「中国の火薬庫」に注意深く足を踏み入れるための道標を示しているのだ。本書巻末に付記された数多い日本語文献の紹介は、著者がさらにこの「火薬庫」に知的勇気を持って私達が前進してゆく事を激励している静かなるメッセージと取るべきだろう。この膨大な文献の中に、東トルキスタン独立・中華帝国解体への起爆剤が必ず秘められているはずである。(M)




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