ペマ・ギャルポの証言「現在のチベットは文化大革命時代と同じ弾圧下にある」(2019年6月30日 講演会報告)

ペマ・ギャルポの証言 (2019年6月30日報告)
「現在のチベットは文化大革命時代と同じ弾圧下にある」

 6月30日の講演会にて、当会会長のペマ・ギャルポより、チベットの現状についての報告が行われました。以下の文章は、その際の報告をまとめたものです、(文責:三浦小太郎)


 先週の日曜日、親戚のチベット人が国内から帰ってきました。彼の話を聞いて、現在のチベットの状況がいかにひどいものになっているかが改めてわかりました。

 1970年代、文化大革命の後、鄧小平が復活し、胡耀邦の改革があった時代では、一応、チベットにおいては、チベット語を教えてもいい、お寺で仏教のお経をとなえても仏教の修行をしてもいい、という寛容さを示したんです。しかし、約一年前から、中国は各お寺、たとえば私の生まれたニャロンという所には60件以上のお寺があるんですけど、そのお寺全てに、中国の公安関係の幹部、4名が入って監視をする。そしてこの4人は、若い、18歳未満のチベット人はお寺に入れないようにしています。

 そして、チベット人の各家ごとに番号をふり、そこに住んでいる人たちの身分証明書を作っています。そしてその証明書には、その個々人の細かいプライバシー、学校はどこへ行ったか、どのような地方に行ったかなどが全部書いてある。そして、自分たちの住む村から他の村に行くのも、いちいち許可をもらって、また、そこから帰る時にもいちいちチェックを経なければならない。

 例えば、私の故郷の、あるお坊さんが病気になって、成都まで治療に行かなければならなくなった。それはお医者さんの書類もあったから認められたんですけど、成都までいって、今度は帰る時に、途中に親戚がいるから、そこに二日間くらい休もうと思って泊まったら、電話がかかってきて、「今、お前がどこにいるのかはわかっている」と言われたそうです。つまり、GPSのような機械を使って、今監視しているチベット人がどこにいるか、24時間わかるようにしている。

 そして、ニャロンの人たちは全員パスポートを取り上げられ、今外国にいる親戚、留学生たちに、帰国するように伝えなさいと言われています。これはニャロンだけではなく、ほぼチベット全土において行われているようです。

 また、ニャロンでは1960年代、人民裁判、人民集会のようなものがよく行われていたのですが、これもまた復活しました。朝から晩まで共産党を讃美する話を聞かねばならず、トイレに行くのも許可がいりますし、少しでも動くと銃剣の先で刺してくる、これは、60年代以来初めてと思います。

 後、ヤチンというところがあります、ここには以前1万数千人のお坊さんがいたのですが、そのお坊さんに対して、自分の生まれたところに帰りなさい、と命じ、2千人くらいはやむなく戻ったんだけれど、9千人くらいのお坊さんは強制的に追い出して、そのお坊さんたちの宿舎をブルドーザーで壊してしまい、そのあとに、観光客を迎えるための施設を作っている。残りのお坊さんにも、共産党政府は、説法は絶対禁止し、観光客にみせるためだけに、お経を唱えたり儀式をすることだけは認める、という、まるで観光のためのアトラクションとして仏教を扱おうとしています。

 そして、残りのお坊さんや尼さんには、ウイグルと同じようにある種の収容施設を作って、そこで共産主義の教育をするとともに、わざとお坊さんと尼さんを同じ部屋に入れたり、お坊さんの嫌がる肉食をむりにさせたりしています。他にも、大きなお寺はいずれも共産党の支部にしてしまい、そのお寺の上には共産党の赤旗をあげることを命じています。

 先ほど、肉食をしないお坊さんに無理に肉を食べさせると言いましたが、逆に、普通のチベット人には、人民集会への参加を義務付けていながら、食事は麦焦がし、ツアンパしか食べさせない、バターもチーズも、もちろん肉もありません。肉食をしてはいけないお坊さんには肉食を強制して、一般の人にはろくな食事も与えない、そんな状態が起きています。

 そして、チベットの各お寺には、仏画のかわりに、毛沢東や習近平の掛け軸や写真をかけて、これを拝みなさいということを強制している。これはニャロンだけではなくて、チベット全土にそれが拡張されているようです。集会の強制、説法の強制、僧侶と尼さんの同居、また、文化大革命当時と同じ「好まざる人物」(国家反逆者)というレッテルが復活しています。そして、東チベットのお寺にいるお坊さんや尼さんも次々と追放され、この人たちは再びお寺に入ることはできないかもしれない。チベットにおいては、1987年に戒厳令が敷かれ、それは実はまだ解除されていません。ですから、5名以上が集まれば、それは今でも処罰の対象となります。

 今回の香港の事態について、もともと、今問題になっている一国二制度というのは、1951年に、中国とチベットの間に結ばれたものです。そこでは、ダライラマ制度を頂点とする、チベットの政治システムには手を加えないという約束でした。香港の場合も、鄧小平と、当時のサッチャー首相の合意によって、香港を返す代わりに、向こう50年間、中国の特区として、一国二制度でやっていく、香港の政治制度や企業活動には手を加えないということが約束でした。

 このチベットと香港の、一国二制度についての条文を比較しますと、その前文がほとんど同じ意味で書かれていて、それは「祖国に戻ってきた」ということです。チベットも外国の支配から中国に戻ってきた、もちろん香港も、英国の支配から中国に戻ってきた。それと似たような言葉を、今、台湾の一部の政治家、特に国民党の中でも使い始めています。その意味では、チベットやウイグル、モンゴルで起きたことが、今、香港で起きていて、次には台湾で起こりそうになっている。ですから、今チベットや香港で起きていることは、もっと世界に訴えることが必要になっていると考えています。(終)



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