独裁政権による国民への核戦争 セミパラチンスク(旧ソ連)と北朝鮮

セミパラチンスクの悲劇を伝える写真集
 
 私の手元には、「セミパラチンスク 草原の民 核汚染の50年」(高文研)と題された森住卓氏の写真集がある。1999年に出版されたこの写真集で、私は始めて旧ソ連の核実験による被害の深刻さと、それが特に少数周辺民族に甚大な被害を与えることを知った。それ以前にも同様の文献に眼を通したことは会ったように思うが、このように実際の写真でその被害の有様を見る事は強烈な印象を覚えたことを今も思い出すことができる。

 旧ソ連時代の核実験は、カザフスタン共和国のセミパラチンスク核実験場で一九四九年に開始された。以後四十年間、ソ連崩壊までに四六七回に渡って繰り返された核実験は、周辺住民に甚大な被害を与え、その被爆者は推定で百数十万人とも言われている。

 この地はかって作家ドストエフスキーも政治犯として送られていた、ロシア時代からの「僻地」だった。いや、この地は本来シルクロードの要地として、カザフ人たちが平和に自らの遊牧生活を行ってきた場所なのだが、ロシアとその専制体制と大ロシア民族主義を引き継いだソ連政府からすれば、そのようなカザフ人の生活などは考慮の外だった。この地は核兵器産業を支えるウラル、シベリアの工業地帯に近く、鉄道もあり、交通の便が良い、と言うだけの理由で、カザフ人の運命などは意に介さなかったのだ。草原からカザフ人は追い払われ、セミパラチンスクは核実験場となった。中国における東トルキスタン(新疆ウイグル)と殆ど同じ構図なのだ。

 セミパラチンスクから約200キロ西に、核秘密とし「クルチャトフ市」が築かれ、ここは重大な秘密都市としてソ連時代は決して公開されず、地図の上にも示されなかった。ここで軍人と科学者による核開発が進められていたのだ。

 しかし、旧ソ連が解体し、ロシア共和国が出現したからと言って、この核の悲劇の全貌が明らかになっているわけではない。ソ連解体以後、このクルチャトフ市にいたロシア人科学者達は、実験処理の後始末もせずに早急に引き上げてしまった。

 本書「セミパラチンスク」には、一九五三年八月一二日、セミパラチンスク南のカイナール村における、一九五三年、ソ連最初の水爆実験(核実験は勿論四九年にすでに行われているが)の際の衝撃的な証言が記録されている。実験の僅か3日前に住民の避難が命じられた。しかし何と、その翌日やってきた軍人は、四二人の男性に「重要な任務があるから村に残れ」と命じたと言うのだ。実験当日、「彼らは近くの山に連れて行かれ、爆発の光を見せられた」。そして、この四二人のうち四〇人はガンや白血病で死に、一人は自殺した。この事実を伝えたのは、ただ一人の生き残り、ヌルガリエフ・エレオカ氏だった。実験後村に戻った村人の中にも、白血病、様々なガン、奇形児出産、流産、死産、免疫不全など、それまでこの村では見られなかった様々な病気が多発した。それなのに、これが核実験の影響である可能性を語ることは、ソ連時代には殆ど出来なかったのだ。何と死亡した場合も医者のカルテには「精神衰弱」などという診断名が記されていた。いや、それどころか現在でも、ロシア政府は核実験による放射能の被害を認めようとしない。

 そして、セミパラチンスクから東に300キロの工業都市、ウスチ・カメノゴルスクは、一九九一年までは完全に外国人立ち入り禁止区域であり、現在も核コンビナートが建設されていると指摘される。この地域のガン発生率は本書によれば他地域より遥かに高い(80から90%)。この地域は、中国のロプノール核実験場とセミパラチンスクの双方から被爆の影響を受けていたのだが、ソ連時代も今も充分な医療対策は採られていない。

 さらに本書が伝える驚愕の事実は、一九四九年か五三年の核実験の際、この地域で一つのコルホーズが完全に全滅させられたという証言である。これは最早確実には確かめようがないのだが、コルホーズ・タイラン(コルホーズ・エンゲクテーズという名称だとの説もある)人工は四五六人の村だったが、元KGBの証言によれば「避難が間に合わず、住民は全滅、被ばく線量は1000レントゲン、村全体をブルドーザーで埋めた」という。

 ロシア民主化の偉大な先駆者で科学者のサハロフ博士は、ソ連軍部に対し、実験の際は住民の避難、保護に力を尽くすよう訴えたが、実験の責任者であるある元帥はこう冷たく応じた。

 「あなた方は何も良心の呵責を感じることはない。軍の作戦にはいつも犠牲がつきもので、20人か30人の犠牲が出るのが普通だ。しかもあなた方の実験は国や防衛にとって遥かに重要なんだから」「心配するな、カザフ人の子供のことは心配ない。昔物語になるよ。皆うまく行くさ」

 このような残酷な論理がまかり通る中、核実験は繰り返された。本書はそこまで語ってはいないが、私(三浦)は、核実験の被害そのものを「研究」「人体実験」しようという意志がソ連には(特にスターリンとその取り巻き軍人には)有ったのではないかとすら疑ってしまう。

 そして、本書には被爆の被害と思われる人びとの痛ましい障害の姿を赤裸々に写し取った写真が収録されている。しかし、逆に私たちが驚かされるのは、彼らの殆どは全く卑屈さを見せていない。写真家との信頼関係もあるだろうが、その殆どが真っ直ぐカメラを見据えている。その眼は単なる告発でも被害を訴えるのでもなく、理不尽な運命に決して屈しない姿と、どのような苛酷な状況下でも、遊牧民としての誇りと生活を守り抜いて生きてきた無告の民の心を表しているように見える。


北朝鮮核実験
政治犯収容所の囚人が犠牲となる

 北朝鮮政治犯収容所の体験者であり、現在韓国に亡命し独裁政権の人権改善や民主化のために戦い続けている姜哲煥(「平壌の水槽」ポプラ社著者)は、かって日本での講演会で、北朝鮮の核実験と収容所の関係について語っている。以前も紹介したことのあるないようだが、あえてここに再録する。

 姜氏は、北朝鮮で行われた核実験の場所を、日米韓の専門家の分析によれば、実験場所は吉州郡の萬塔山(マンタプサン)だと確定しているが、その後の同地から脱北してきた難民に聞き取り調査を行った結果、核実験に関連しての住民の避難、退避はまったくなかったという。かつ、吉州郡の住民も核実験場がどこなのかを知らない。
そして、同時に取材の中で明らかになったのが、この萬塔山と気雄峰という山を境として、同地に化城(ファソン)政治犯収容所が一九八五年から存在し、この収容所は最も重罪の、一度入れられたら二度と釈放される可能性のない「完全統制区域」と認定されている。この化城収容所の北側には鏡城(キョンソン)収容所が隣接していたが、この収容所は一九八九年に解体された。

 この鏡城・会寧収容所で警備兵として勤務していた安明哲氏の証言によれば、「鏡城、化城、会寧の三つの収容所で約10年前から多数の政治犯が『大建設』の名の下に萬塔山にトンネルを掘りに行った」という。

 このいわゆる「大建設」に動員された政治犯は誰一人生きて帰っては来なかったが、安明哲自身、当時その大工事が何を目的としたものなのか知らなかった、今になって地下核実験場の建設だったと考えれば合点が行くと語った。

 また、会寧収容所に位置した国家安全保衛部第三局傘下の「予審局」とは、生体実験を総括している秘密部署だったが、90年代半ば、化城収容所に移動してきた。姜氏は、この予審局は会寧に位置していたときには生物化学兵器の人体実験を行い、化城に移った理由は放射能被害に対する人体実験を行っていたのではないかと推測する。

 地下核実験のための大規模なトンネル工事を、数万人の民間人や軍人を動員すれば、核実験の準備やその場所は噂で漏れ伝わり、脱北者などを通じて国外にも伝わる。しかし、現実には地元の人も含めて北朝鮮住民の誰も核実験場所について知らず、脱北者の中でもこの工事に従事した人はいない。姜氏は、おそらく秘密保持のために、政治犯が核実験場建設の為に動員されたのだと述べた。

 政治犯を動員すればひとまずこのトンネル工事の秘密は保持できる。さらに、トンネルの入り口を政治犯収容所の方に開けておけば、もし事故が起きてもその放射能被害は政治犯収容所にまず送られるので、民間への影響は抑えられる。北朝鮮の核実験場所についてこの秘密保持が徹底できた根拠は、この化城政治犯収容所と密接な関係があると姜氏は分析し、北朝鮮現体制の残酷さを告発した。

 人びとは戦争の危機や、戦争がもたらす悲劇についてはしばしば語り、平和を守らなければならないと主張する。それはそれで正しい。また、核戦争だけは人類が滅亡する為に避けなければならないと言うのは誰しも共有する真理であろう。しかし、現在早稲田大学研究院である洪ヒョン氏は、20世紀という時代が証明したことは、戦争による死者よりも、遥かに暴虐な独裁政権が自国民を虐殺した数の方が圧倒的に多いという事実を指摘している。

 洪氏は、平和は何よりも高い価値である、とする平和主義者を痛烈に批判し、彼らは口では平和や人権擁護、独裁政権批判を語るが、実際には、平和と安定のうちに、独裁者が自国民を虐殺する現実には何ら解決手段を示し得ない、また、彼らも時に独裁者や人権抑圧を批判するが、それは常に批判しても安全な相手に限られ、真に闘うべき巨悪の独裁者、毛沢東、スターリン、そして金日成・正日に対して有効な批判と民衆救援を成し遂げたことはない。そして、独裁政権に対しては、「自由」の価値を武器に戦うことが最も有効であり、金正日政権の打倒と自由の確立を明確に運動目的にしていき、その原則に従って市民も政治家も行動を起こさなければならないと述べている。

自国民に対する核攻撃

 スターリンやロシア共産党も、また金正日も、核実験の際民衆が被害を受けることなど何ら気にかけていないように見える。その理由は簡単であり、彼らにとってカザフ人のような少数民族も、また政治犯囚人たちも、国家から遣い捨てられても全く構わない人間達だったからである。特に金正日の場合は、基本的に「国家の敵」であり、むしろ滅ぼすべき人種である政治犯達の生命を危機に晒し、また奪うことに、何らの痛痒も感じなかったに違いない。中国が東トルキスタン(新疆ウイグル)で核実験を強行し、核汚染に注意を払おうとしないのも同じ論理ではないかと思われる。これはまさに、政府による意に沿わぬ自国民への「核攻撃」なのだ。

 カザフスタンの悲劇を思うとき、この様な事態が今まさに中国でも行われているのではないかと危惧せざるを得ない。我が日本は被爆国である。核武装の是非は個々人の意見があろう。しかし、核の被害、それも独裁政権による「人災」をとどめようと言う意志は国民共通のものであっていいはずだ。立場を超えて、中国の核実験にさらされている東トルキスタンへの連帯の声をここ日本から挙げていくことも、日本国の重要な歴史的使命であろうと思う。

※本稿は、「中国民族問題研究」(殿岡事務所 2009年5月発行)に発表した文章を加筆修正したものです。(M)




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