9月1日北朝鮮人権問題についての特別講演会報告 : 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会

9月1日 北朝鮮人権問題についての特別講演会報告(上)
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9月1日午後12時半から、東京の韓国民団本部8階会議室にて、北朝鮮人権問題についての特別講演会が開催されました。参加者は民団を中心に約150名。

まず講演会は小川晴久NO FENCE副代表のお話にはじまり、小川氏は、自分は青年時代、1960年に平壌で出版された朝鮮哲学史という東洋思想研究書に多大な影響を受けたことから語り始めました。当時の自分が持っていた西欧に対するコンプレックスをこの本が打ち破ってくれたこと、東洋思想にも西欧に匹敵する論理性や科学的な見地があることを教えられたこと、何よりも公正な学術的研究で、金日成讃美などこの本には全くなかったことを語りました。

しかし、その後北朝鮮で主体思想が登場し、その思想にはまったく興味を持てなかったため、北朝鮮への関心は薄れていったこと、同時に、三浦梅園など日本、そして朝鮮半島の実学思想への関心が高まり、韓国への留学、さらに東洋思想への研究を深めていった学者としての人生に触れたのち、90年代初頭、在日コリアンの方々から、北朝鮮帰国者が政治犯収容所で無実の罪で殺されていることを聴かされた時の衝撃を語りました。

その方は今は亡き女性ですが、総連の活動を誠実に行い、息子たちが帰国事業で北朝鮮に渡ったのち、何度母親として祖国訪問をしても、北朝鮮政府は言を左右して息子には合わせてもらえない。母親としての直感で、これは何かがあったと思い問いただすと、実は息子は収容所に送り込まれて、しかも拷問で殺されていたことが分かった。このような非道なお話を、さらに何人もの帰国者家族に聴かされ、政治犯収容所をなくすための運動を始めなければならないと決意したと小川氏は語りました。

そして、朝鮮総連の妨害にめげず運動を展開していく中、カンチョルファン、アンヒョクという二人の脱北者の北朝鮮政治犯収容所体験記の証言にであい、まさに直接の被害者でなければ語れない悲惨な収容所の現状を知って、このような証言を読まない限り収容所の悲劇は理解できないし、また、読んだ限りはこの問題を訴えずにはいられないはずだと述べ、政治犯収容所廃絶の思いを述べました。

そして、残念ながら日本では人権や平和の価値を語る人が、北朝鮮の政治犯収容所問題には沈黙している、またマスコミも取り上げ方がきわめて少なく、国民にこの深刻な問題を訴える姿勢が乏しい、北朝鮮では反逆者とみなされれば家族、親族全員がとらえられる連座制のシステムを取っているため、東欧や現在のアラブでおきているような民衆決起による民主化運動は困難であり、この政治犯収容所廃絶の運動は外部の我々が訴えるしかないのだと、日本の人権運動の欠陥を厳しく批判しました。

そして、現在世界は北朝鮮人権問題に注目し始めている、また、国際司法裁判所や最先端の国際法の世界では、国家主権の枠を超えて、各国政府が国民を保護する責任を放棄し、ジェノサイド、戦争犯罪、人道犯罪から守る責任を果たさない場合は、国際社会が変わって国民を守らなければならないという発想が2005年には確立されている、もはや人権人道問題においては国家主権の枠を超えて国際機関が動くことは内政干渉には当たらないことが法的には認められているのだ、北朝鮮政府は明確に国民を収容所に強制移送し、強制労働で死に至らしめ、また拷問を行っているのだから、この原則は適応されるはずだと述べ、国際社会の先進的な人権水準に、わが日本国もアジア全体も学ばなければならない、北朝鮮政治犯収容所における人権侵害がこれ以上続くことは許されないと講演を結びました(終)


9月1日 北朝鮮人権問題についての特別講演会報告(下)
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続いて、在日韓国人で、兄夫婦が1962年北朝鮮に帰国事業で渡り、その後消息を絶ったチョヘンさんが登壇しました。

チョヘンさんはまず、こうして民団中央本部主催の集まりで証言をするのはおそらく初めてであること、もっともっと早く、このような場所で証言ができれば、自分の訴えもきっとさらに良い形で広がっていっただろう、まず、民団の皆様に感謝したいと述べました。

その上で、まず自分の両親の話をはじめ、父はコリアン、母は日本人だったこと、幼い時に確かに差別は受けたけれども、日本人の母が、自分たちが朝鮮民族であることは少しも恥ずかしいことではない、とかばってくれたこと、父がバイタリテイのある、商売も上手な人だったこと、戦前、戦後の二回、疑われて警察に拘留されたことはあったが、いずれも無罪で解放されており、また、そのようなことがあっても、決して日本人を恨むようなことはなく、堂々とここ日本で実力で生きていくことを自分の生き方で見せてくれた人だったと語りました。

しかし、朝鮮総連と北朝鮮はもちろん、かって帰国事業に賛同し、総連同様にそれを煽ったマスコミ、政治家、そして事実上協力した日本赤十字が、未だに責任を取ろうとも謝罪しようともしないことをチョヘン氏は強く批判し、拉致問題だけがクローズアップされる傾向があるが、日本側が北朝鮮帰国事業に賛同し、今日に至るまで朝鮮総連を野放しにしてきたことの責任をもっと考えてほしいと述べました。

そして、朝鮮総連に対して、今もメンバーでいる総連の人はもちろん、今はやめたとはいえ、かって総連に属し北を支持し帰国事業を支持した人たちは、全員、そのことの責任を深く帰国者、日本人妻に謝罪してほしいと訴えました。そして、私は兄夫婦と3人の子供が、いずれも北朝鮮で殺されている、少なくとも北政府は正式に、兄、チョ・ホピョン、日本人妻小池秀子、そして3人の子供について、ホピョンはスパイ罪で逮捕され、脱獄し、妻と子供を伴って、船を奪い海に出ていこうとしたので、全員を射殺した、遺体は海に沈んで見つからないなどの途方もない嘘を語っている。しかし、おそらく兄は無実の罪で収容所に送られそこで死んだのだろう、妹として、拷問と強制労働、そして囚人たちが乏しい食料を補うためにネズミを食べ、家畜の糞に混じった未消化のトウモロコシが見つかれば拾って食べるような収容所で、兄が死んでいったことを思うと、北朝鮮のこの人権侵害と独裁を許せるはずはないと強く主張しました。

そして、兄はどちらかといえばノンポリで、家でも音楽や文学、映画の話などを一過で楽しむような教養人だった。その兄が北朝鮮に帰国するといったのは、たぶん学者の道が日本ではまだまだ閉ざされており、モスクワ大学に無料で留学できるという総連の言葉、そして、日本人妻小池秀子さんも総連の宣伝の影響を受けたのか、3年たったら、統一もできてすべてがうまくいくと思い込まされていたことなどからの行動だったろうと述べ、父親は北朝鮮に行くことに大反対だったけれど、ついに息子を止められなかったと語りました。

そして、父も母も必死で北朝鮮に物を送ったけれども、結局兄を助けられず、また、朝鮮総連に何度申し込んでも家族訪問の船に乗ることもできなかった、結局今思えば、その時はもう兄は殺されていたか収容所で、北朝鮮としては来させるわけにはいかなかったのだろう、父は怒って、家にしつこく金をせびりに来る総連に、お前たちの新聞は嘘ばかりじゃないかと怒っていると、総連の人間は脅すように、あなたがそういう口をきくたびに、あなたの息子さんの首にかかった縄が1㎝ずつ縮むのですよと語ったこと、このように脅すのが総連の姿勢なのだと述べました。

そして、韓国は立派に発展してきたけれど、同時に、北朝鮮にいる人たちも同じ民族であり同胞のはずだ、この人たちを救い出すために、北の独裁政権を倒すために、やらなければならないこと、出来ることは、ここ日本で民団にまだまだたくさんあるはずだ。今日お話をされた小川先生はじめ、さまざまな日本の市民団体の方々が、北朝鮮で苦しむ人々のために運動し、また貴重なお金を出してくださっている、せめて民団が、そのような方々をもっともっと応援してあげてほしいと述べて講演を結びました(三浦)

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