昭和54(1984)年6月4日、山梨県甲府市に住んでいた当時20歳の山本美保さんは「図書館に行ってくる」と家族に告げ、ミニバイクで家を出たまま「失踪」。彼女の手掛かりは、6日に甲府駅前で見つかったバイクと、そして8日に新潟県の荒浜海岸で見つかったセカンドバックだけだった。そのバックの中には、彼女の免許証と財布があり、お金は財布に入ったままになっていた。しかもこの場所は、蓮池薫さんたちが拉致された現場の近くである。
美保さんの妹、美砂さんは小泉訪朝半年前の平成14年4月、北朝鮮による拉致の可能性はないかと、新聞社を通じ柏崎署に調査依頼書を提出。その後小泉訪朝の衝撃もあり、地元山梨を中心に救援活動が波のように高まっていく。そしてその矢先の平成16年3月4日、山梨県警から「20年前に発見された身元不明の遺体と、美砂さんのDNAが一致した」という連絡が家族にもたらされた。この遺体は、美保さんが失踪した同じ年の6月21日、山形県の海岸に漂着したものであった。しかし、警察側の発表や遺体の情報は、「DNA鑑定」以外は、身長、体型、服装、身に着けていた下着のサイズ、そのほか全てにおいて美保さんとは似ても似つかない別人のものであり、それに対する警察の説明は、説得力がないどころか、質問に答えようともしない不誠実な姿勢としか言えないものだ。本書はこの山本美保さん失踪事件を通じ、これが警察側(もしくは日本政府中枢の可能性のある)拉致事件の隠ぺい工作ではないかという視点から、徹底的にこの事件の本質を追求し続けた記録である。警察側の矛盾点と欺瞞的姿勢は本書に全面的に論じつくされており、正直読後感としては、これでなぜDNA鑑定だけが「一致」したのか、その方に疑問が向かったほどだ。
しかし、本書の価値は「拉致(隠ぺい)疑惑」の存在を明らかにしただけではない。それ以上に私たちの心に響くのは、この闇と戦い救援の炎を燃やし続けている、美保さんを救おうという山梨の支援者たちの意志と行動が体現している、真の意味での「市民運動」「国民運動」の姿だ。
戦後、特に保守系の知識人は「市民運動」という言葉に違和感を表してきた。確かにこの言葉は、市民の人権、自治を美名に地域エゴを正当化し、公的意識や国家の大慶を軽視した無責任な運動や、時には単なる反体制運動の隠れ蓑にすら悪用された。しかし、小泉第一次訪朝後の皇后陛下のお言葉「何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々(拉致被害者:三浦注)の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。」という言葉をかみしめるならば、一人の山梨県民が、外国に拉致された可能性があり、しかも国民であるにもかかわらず日本の国家権力から見捨てられる危機にあるときに、家族と被害者の知人という最も近い人々が結束し、それを山梨の地域共同体が支援して、この国民の生命を国家が見捨てることは許さないと立ち上がった姿こそ、市民運動のあるべき姿といえよう。
さらに言えば、このような権力の悪しき姿勢、北朝鮮というテロ国家権力とすら、対決と自国民の奪還よりも、権力同士の妥協や交渉に重きを置く醜く卑劣な「現実追認主義」(その究極にあるのは「たった10人のことで日朝国交正常化が止まっていいのか」と語った某外務省担当者)の根本をなすものは、自国の防衛も外交も他国にゆだね、自国民が拉致されようと国内で総連と北朝鮮がスパイ活動をしようと、表層の「平和」を謳歌してきた戦後日本体制そのものである。山本美保さん事件をはじめとする特定失踪者問題は、この根本的な「内なる敵、拉致問題解決の『障害』」の姿を露呈させつつあるのだ。ここには、地域共同体を守り、住民の生命と人権を守る市民運動と、戦後の「平和」の偽善を根源的に撃つ国民運動の最前線がある。本書はこの闘いの当事者による途中経過報告の書であるとともに、日本国民の市民的意識覚醒と国民国家復興への希望の書として推薦したい(三浦小太郎)