国連人権理事会が調査委設置を 決議-増元家族会事務局長が訴え : 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2013.03.22)

 昨日3月21日、国連人権理事会(ジュネーブ)は、拉致問題や組織的な拷問など北朝鮮の人権状況を調べる調査委員会を設ける決議案を全会一致で採択した。

 これまで、マルズキ・ダルスマン国連北朝鮮人権問題担当特別報告者が孤軍奮闘して調査に当たってきたが、今後は特別報告者が3人体制になり約10人のスタッフも加わる。そして国連が組織的に北朝鮮の人権問題を徹底調査することが北朝鮮への圧力になる。期限は1年で、9月の理事会で中間報告し、来年3月の理事会に正式に報告書が提出される。

 この人権理事会理事会開催に合わせ、家族会の増元照明事務局長がジュネーブを訪問して、3月13日、国連内でNGO主催の集会で訴えを行った。

 以下はその訴えの全文である。

■国連人権理事会が調査委設置を決議-増元家族会事務局長が訴え

 ここで、発言の機会をいただいたことに感謝します。

 私は、1978年北朝鮮の工作員によって日本領土内より拉致された“増元るみ子”の弟の照明と申します。現在、北朝鮮が認めた「拉致被害者の家族」で構成される「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の事務局長をしています。北朝鮮による拉致は国家犯罪であり、大きな人権侵害です。

 拉致された被害者のみならず、残された家族の人生をも変えてしまいました。平和に暮らす一市民を暴力的に拉致したとき、被害者の姉の恐怖と緊張がどれほどのものだったか想像できないほどです。きっと、自身におきた出来事が何を意味するのかさえわからず、今後の自身の運命に不安を抱えながら事態を受け入れるしかなかったことを考えると非情な犯罪に怒りを覚えます。

 家族も同様、突然奪われた肉親の安否について悩み、嘆き、生きていることをひたすら祈る毎日が続いていました。長く嘆いておりましたが、いつしか家族の間で被害者のことを話すことさえタブーとなっていきました。何故なら、いなくなった家族のことを話すたびに母親の涙を誘うことになり、再び家族を失ったときの記憶を呼び起こさせ沈うつな気持ちとなるからでした。

 残された家族にも生活があり、日々の暮らしを営んでいかなくてはならず、時に笑う場面もありましたが、そこに本当の笑いはなく、常に被害者のことが頭に浮かび、真の意味での「楽しい」という感覚を失っていきました。私は、兄弟という立場でしたが、私でさえ愛する姉を失った傷がいつまでも癒えなかったのですから母や父はどんなに辛い毎日だったかと思います。

 北朝鮮による拉致という事実が浮かび上がったのは、それから1年半経ったときです。しかしながら、北朝鮮が何故姉を拉致したのか、何故姉だったのかが理解できず、確かな証拠もないまま10年という月日が過ぎていきました。

 1987年、大韓航空機爆破テロが起き、実行犯である「キム・ヒョンヒ」の証言により北朝鮮が工作員の日本語教育のために日本人を拉致したことがわかりました。つまり、北朝鮮は拉致していた被害者にテロ行為の補助をさせていたのです。そのキム・ヒョンヒに日本語を教えていたのが「田口八重子さん」(わが会の代表・飯塚繁雄の妹)であることも判明しました。

 それでも、北朝鮮にいる被害者の安全を確保できるかどうか心配で、名前をあげて救出運動を展開するまでには至りませんでした。北朝鮮がどのような措置を被害者に対して取るのかが不安で表立った救出運動を実行することが躊躇されたからです。

 それから更に10年が過ぎ、1997年「横田めぐみさん」という13歳の少女の拉致が北朝鮮の元工作員の証言により明らかになり、日本国中に北朝鮮による拉致が知られることになりました。姉が拉致されてからほぼ20年という月日が経っていました。ここに到って北朝鮮に拉致された被害者の家族が結束して「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成し救出運動を始めたのです。

 それでも、日本政府と北朝鮮の交渉は進まず、北朝鮮は常に「拉致」という行為そのものを否定し続けて解決に向うことはありませんでした。

 私たちはその間、日本国中で被害者救出の署名を募るために街頭に立ち、あるいは個別に家々を回りながら書名を集めました。その数が150万を越えようとしていた時期に、金正日とわが国の総理との直接交渉の中で北朝鮮は一部の拉致を認めるに至りました。

 この時、北朝鮮が認めた拉致は「13人の日本人を拉致し、そのうち『5人は生存、8人は死亡』した」というものでした。しかしながら、死亡とした「8人」の死亡報告書は出鱈目なものであり到底信用に値するものではありませんでした。生存とされた5人は一ヶ月後に帰国を果たしましたが、それは「子供たち」を北朝鮮に残したままの帰国を強いられ、一時帰国と言う形でした。被害者の家族は結束して被害者を北朝鮮に戻させないために政府に働きかけ、被害者本人をも説得して、彼達の意思として「北朝鮮に戻らない」という決断をさせました。

 その後、1年半を費やし生存していた5人の被害者の家族を取り戻すことは出来ましたが、死亡とされた8人に関する報告は、めぐみさんの遺骨と称するものを提出してきて、それがわが国の医療科学の力によって「偽物」であることが明らかになり、北朝鮮の報告が更に信用できないものとなりました。

 2002年以降、当会が入手した情報には多くの被害者の生存情報と更に被害者が北朝鮮の報告による『13人』だけではなく、100人を越えるものであること、そして、被害国はわが国と韓国だけに止まらず、世界13カ国に及ぶことが少しずつ明らかになりました。

 私は、タイに出向き、マカオで拉致された「Anochaさん」のお兄さんにお会いし、私たち日本人被害者家族が抱いていた被害者に対する思慕と北朝鮮に対する憤怒を共有しました。更に、マカオでは、「Hong Leng-iengさん」のお父さんと弟さんに面会し、同様の思いを知ることになりました。マカオからは2人の中国人と一人のタイ人が拉致されていました。又、ルーマニアに出向き、「DoinaBumbeaさん」のお母さんと弟さんとも面会し、悲痛な心を知りました。

 北朝鮮による拉致被害者は世界中に広がりを見せ、未だに解決されていないことにより家族の悲痛な気持ちは続いています。

 ほかにフランス・レバノン・オランダ・イタリア等々、すべての被害者の家族が私たち同様に悲痛な思いを抱いていることを考えると北朝鮮の犯した罪を憎みます。

 今、拉致被害者を待つ家族も高齢化が進み、又、被害者本人も高齢となりつつあります。一時でも早く被害者を取り戻し、祖国で待つ家族との再会を実現しなければなりません。北朝鮮の身勝手な犯罪により悲しみを負い続ける家族のためにも、「外国人拉致被害者の救出」を実現する新たなメカニズムを国連人権理事会の下に早期に設置していただくことを強く望んでいます。皆様にもご家族がいらっしゃると思います。その家族が北朝鮮の邪悪な計画の下に突然奪われることの悲しみを共有していただきたいと思います。

 有難うございました。

以上


国連人権理事会が調査委設置を 決議-増元家族会事務局長が訴え : 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
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