第十回講演会報告と動画「我が人生と我が祖国チベットを語る」講師 テンジン・テトン氏

第十回講演会報告と動画「我が人生と我が祖国チベットを語る」講師 テンジン・テトン
4月14日東京にて、チベット亡命政府の元主席大臣、テンジン・テトン氏の講演会が開催されました。まず、ペマ・ギャルポ会長が、テトン氏を、チベット青年会議の創始者の一人であり、かつてダライ・ラマ法王のチベット亡命政府で主席大臣をつとめられたことを紹介。本日の題目は「我が人生と我が祖国チベットを語る」というテーマでお話を聞くことを述べました。

テトン氏は、現在自分はカリフォルニアのスタンフォード大学教鞭を取りながら、ダライ・ラマ財団の責任者と共に、今後はラジオ・フリー・アジアのチベット班の責任者を務める予定であることを述べた上で、ラジオを通じてかってソ連や東欧が民主化されたように、自分たちチベット人も情報の力で中国を民主化していきたいと述べました。

わが団体名でもあるアジアの自由と民主主義の連帯というテーマに触れ、チベットを例に取れば、かっての4,50年前に比べて現在は大きな変化があること、そのころは日本でも欧米でもごく少数のひとしかアジアの自由やチベットについては関心がなかったけれども、現在アメリカではほとんどすべての大学において、文化、歴史、宗教、そして政治にわたってチベット関係の研究室や講座が存在し、日本でもチベット学会に300人くらいの学者が名を連ねるようになったと、テトン氏は隔世の感があると語りました。

第十回講演会報告と動画「我が人生と我が祖国チベットを語る」講師 テンジン・テトン

そして、この7月にモンゴルのウランバートルでチベット国際学会が開催される予定であることに触れた上で、チベットとモンゴルは歴史的にも何百年もの深い関係があることを指摘。チンギス・カンからクビライ・カンの時代、モンゴルは世界帝国というべき領土を征服したけれど、チベットとは特別の関係があり、武力による併合ではなく、モンゴルの皇帝もチベットの高僧や信仰に深い敬愛と信頼の念を寄せ、ダライ・ラマという称号を与えてきた、ダライとう言葉そのものがモンゴル語で海という意味であり、知識が海のように広く、そして深いという意味だとテトン氏は指摘しました。そして第5代ダライ・ラマ法王の時代、モンゴル帝国の後押しのもとで、チベットが祭政一致の国家となり、この後のチベットの歴史は大きく方向づけられたと、モンゴルとチベットの歴史的関係を指摘しました。

テトン氏は、その後モンゴルは南モンゴルと外モンゴルにに分割され、現在のチベットは中国の占領下にあり、これまでは本来の交流ができなかったが、今回の国際会議は極めて重要なものになると述べ、かつての両国の絆を復活し、また同時に新たな関係を生み出すものとなるだろうと述べました。

現在の中国は一見強大に見え、チベット問題は進展していないように感じるだろうけれど、実は大きな意識の変化がチベット人におきていて、それは、自由と民主主義という価値への認識と、そしてそれは自分たちの努力によって勝ち取れるのだという希望が芽生え始めていると指摘しました。ここ1年間、多くの方々が命を捧げてチベットの弾圧を訴え、自らの命を公の為に捧げるという行為が行われたが、それによって、中国政府の、チベットを自分たちが解放して幸せにした、批判しているのはごく一部の、中国の言う「ダライ一派」にすぎないという指摘はまったくの嘘だったことが世界に明らかになったとテトン氏は述べた上で、命を捨てて抗議している人たちは、チベットに自由を、そしてダライラマ法王のチベット帰還を訴えているけれど、ここでいう自由とは、中途半端な自由でも小さな自由でもない、限定され、許可される範囲の自由ではなく、チベット人として完全に自由に生きることだと述べました。

第十回講演会報告と動画「我が人生と我が祖国チベットを語る」講師 テンジン・テトン

そして、ダライラマ法王の帰還についても、これは単にチベットに戻ることを意味しているのではなく、ダライラマ法王本来の姿で、チベットのリーダーとして戻ってほしいと訴えている。今、自らの命を絶って訴えている人たちは、何か特別の思想や過激な信仰を持っている人でも、もちろん精神を病んでいるわけでもなくて、あくまで普通の皆さんと同じ人間が、今の現状にやむにやまれぬ思いで行動している。このことの意味をぜひ深く受け止めてほしいとテトン氏は述べました。

焼身抗議をしてる人たちの年齢を見ても、ほとんど20代とか、若い方が多い、この人たちは決して絶望しているからやっているのではなく、自分が未来に向けて一石を投じることによって、必ず未来が切り開かれるという希望を持っている、だからこそ私たちも、未来に責任と、そして希望を持ってやって言うべきではないかとテトン氏は強調しました。そして、このような崇高な行為を観れば、チベットが何を求めているか、そして私たちが何をすべきかは明白なはずだと述べました。

そして、チベットが自由を勝ち取り、再び自分たちの意志で生きることができるようになれば、チベット人はチベットのみならず、世界に大きな貢献をなすことができるだろう、それは何かと言えば、今、チベットの特別なアイデンティティーとして、世界中にし圧れているものは、チベットの仏教であり、チベットの精神文化であるとテトン氏は誇りを持って述べました。そして、このチベットの精神文化の豊かさにおいては、アメリカをはじめ世界の各国が高い評価をしていると述べ、このチベット本来の伝統文化と、そこに通底する価値観を世界に広めていくことは、アジアや世界への貢献も非常に大きいはずだとテトン氏は繰り返し強調しました。

第十回講演会報告と動画「我が人生と我が祖国チベットを語る」講師 テンジン・テトン

その上でテトン氏は、欧米諸国においては政治的にも経済システムも一定の安定を有しているけれども、アジアにおいては未だに不安定な状況にある、安全保障の面でも、政治体制においても、経済システムにおいても、平和的な安定や民主的なシステム、法治のステムは実現していない。その中で、このようなアジアの自由と民主化を求める集会や活動が定期的に持続していることの意義は大きく、将来のアジアの発展と安定、平和にもつながっていくはずだと激励の言葉をかけていただき、講演を閉じました。その後、会場では積極的な質疑応答が続き、いくつもの問題提起がなされましたが、それは動画の方をご覧いただければと思います。チベットの未来を切り開いてきたテトン氏の価値ある講演会でした。
(文責 三浦小太郎)

第十回講演会報告と動画「我が人生と我が祖国チベットを語る」講師 テンジン・テトン
西村幸祐副会長とイリハム・マハムティ専務理事。


動画

第十回講演「我が人生と我が祖国チベットを語る」講師 テンジン・テトン
https://www.youtube.com/watch?v=axADE0BZfJ8

2013年4月14日東京文京シビックセンターで行われた、アジア自由民主連帯協議会第十回講演会、テンジン・テトン氏来日記念講演「我が人生と我が祖国チベットを語る」の動画です。

※テンジン・ナムギャル・テトン氏 略歴
1959年 ダライ・ラマ法王の亡命に従って、インドのムスーリーに亡命し、学生生活を送る。
1967-1968年 チベット亡命政府の教育省で翻訳官として勤務。
1971-1973年 チベット亡命政府の情報省(現在の情報・国際関係省)で副長官補として勤務。
1973-1986年 ダライ・ラマ法王代表としてニューヨークで勤務。
1980年 中国への第二使節団の代表を務める。
1987-1990年 ダライ・ラマ法王特別代表としてワシントンD.C.で勤務。
1990-1993年 チベット特別大会議の閣僚に選出され、財務省、内務省、情報・国際関係省の初代大臣を務める。 
1994-1995年 チベット亡命政府主席大臣を務める。
・兄のテンジン・ゲチェ氏、友人のソナム・トプギャル氏とともにチベット亡命社会初となる民間主導の教育雑誌を創刊。
・1970年、インドのダラムサラのチベット青年会議の4名の発起人の一人。この会議が現在のチベット青年会議の礎となった。チベット青年会議はチベット亡命社会における代表的な組織であり、その会員は世界で約3万人に及ぶ。
・最近では、ラジオ・フリーアジアのチベット班の責任者に任命された。

講師
テンジン・テトン(元チベット亡命政府主席大臣)
ペマ・ギャルポ(アジア自由民主連帯協議会会長)

登壇
西村幸祐(副会長)
イリハム・マハムティ(専務理事)

司会
古川郁絵(事務局長)

制作・協力 ラジオフリーウイグルジャパン

http://rfuj.net

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