守る会関東学習会 南新一さん(脱北者)講演会報告 : 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会

2013年7月28日、東京星陵会館会議室にて、関東学習会として、関西に在住の脱北者、南新一さんの講演会が開催されました。

南さんは、他の多くの脱北者とは異なり、1970年代初頭に北朝鮮に渡っています。南さんはその立場から、自分の体験について率直に述べ、確かに60年代とは違うかもしれないが、70年代初頭の段階では、未だに日本にも差別も残り、また、自分の周囲でも、北朝鮮は決して地上の楽園ではないかもしれないが、差別とは無縁の、平等な国としての幻想が残っていたと述べました。

しかし、実際に15歳で家族とともに北にわたって後は、失望の連続であり、清津港についた時点でもう60年代の帰国者同様、現地の人たちの貧しさに衝撃を受けたこと、そして食べ物自体が自分には受け入れがたく、家畜用のトウモロコシが混じった食事はとても帰国者の胃には受け付けられるものではなく、さらにいえば、日本語が自由に話せる人以外には、相互監視の徹底した北では全く自由な会話もできなかったと、すべてにおいて耐えられる社会ではなかったと述べました。

そして、南さんは一時的には、あまりの北での生活のみじめさに絶望してうつ病になりかかかったこと、北への帰国を決意した両親が、年老いて疲れ果てていく姿に絶望したことなど、北での生活の辛さを切実に語りました。

しかし同時に、一部の脱北者証言には疑問もあり、帰国者だから大学に行けなかったとか、そういう差別は少なくとも自分が行った70年代にはなくなり、むしろ、学業意欲さえあれば大学に進学できたこと、自分自身、北で生き抜くために頑張って大学に行き、技術者となったことを述べました。しかし、それだけでは食べることも子供を育てることもできず、商売をやることを考え、日本語ができることを活用し、当時の北と日本との貿易上の交渉役を引き受け、一定の成功もおさめたことも率直に語り、帰国者の中でも北で成功した人もいたと自分の体験をもとに語りました。

特に北と日本での貿易で自分が成功できたのは、自分が15歳まで日本にいたことで日本語がネイテイブで、日本企業との交渉で、日本語を本で勉強した北朝鮮の交渉役と違い明確な日本語で要領よく説明できたことを挙げました。特に、自転車、自家用車の中古品がどれだけ北で有用なものかを語る南氏の証言には大変興味深いものがあり、日朝の国交なき密貿易の実態をリアルに感じさせるものでした。

しかし、現実には90年代飢餓の中、もはや希望も失い、両親の死後妻と子供とともに脱北し、様々な仕事を体験しつつ現在は教職員として働いていること、そして北に渡った原因の一つとしては、朝鮮総連が北への帰国を宣伝したことがあるのに、自分が日本に戻ってきたことには一つのあいさつも総連からはない、朝鮮総連はこの歴史的悲劇に対し、何の責任も取らずに、朝鮮学校を無償化せよとかいう資格はないと厳しく指摘しました。

参加者は20数名、充実した学習会ができたと思います、今後も皆様のご参加をよろしくお願いいたします(三浦)


守る会関東学習会 南新一さん講演会報告 : 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
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