私たちの目指す台湾の独立とは「台湾が主権独立国家として国際社会に承認されること」です。台湾の将来を担う有望な人材が、1947年の228事件、及び、それに引き続く政府によるテロ(白色テロ)の時代、10万人余りも犠牲になりました。その「負の遺産」を語り継ぎ、将来に生かすことが大事だと考え、今年も講演会を行います。
講師に台湾から蔡焜霖氏をお招きし、無実の罪で10年間,火焼島(緑島)に投獄された体験談をお聞きすることにしました。なかなか聴くことのできない貴重なお話ですので、どうぞお誘い合わせてお出でかけ下さい。
【使用言語:日本語】
*蔡焜霖(さい・こんりん)氏のプロフィールについては下記をご覧下さい。
台湾2・28時局講演会のご案内
◆日 時 2014年3月2日(日) 14:00~16:30 (13:30 開場)
◆会 場 京王プラザホテル 南館4階 錦の間
東京都新宿区西新宿2-2-1 TEL:03-3344-0111
【交通】JR「新宿駅」西口徒歩5分、
都営地下鉄・大江戸線「都庁前駅」徒歩1分
◆講 師 蔡焜霖氏
◆演 題 台湾の白色テロ 1950年代-その実情と現代における意義
◆参加費 1,000円 (学生無料)
◆懇親会 17:00~19:00
住友新宿ビル(三角ビル)49階「番屋」 【参加費:4,000円】
◆申込み お申し込みフォーム、メール、FAXにてお申し込みを。
【当日受付可・ただし懇親会の申し込みは2月27日締め切りです】
お申し込みについては台湾独立建国聯盟のページをご覧ください。
http://www.wufi-japan.org/archives/378
◆主 催 台湾独立建国聯盟日本本部
◆後 援 在日台湾同郷会、在日台湾婦女会、日本台湾医師連合、アジア自由民主連帯協議会、日台交流教育会、日本政策研究センター、日本李登輝友の会、メルマガ「台湾の声」、台湾研究フォーラム、日本文化チャンネル桜
〈蔡焜霖氏略歴〉
昭和5年(1930)、台湾台中州清水街(現台中市清水区)に生まれ、清水公学校を経て、昭和18年台中台一中学に入学。中学3年第一学期に学徒兵として召集され、台中の陸軍航空隊飛行場に駐屯していた1945年の8月に終戦。
中国国民党政権の統治になってからは、旧制中学は初中3年、高中3年の新制に改編された。高中2年、17歳の時、先生の勧めで初中部の先生主宰の「読書会」に参加。それが仇となり、高中を卒業した一年後の1950年9月に逮捕され、数ヶ所の拘置所を転々とした後、保安司令部軍法処で「非法組織参加」の罪で懲役十年の刑を課せられた。台湾本土の拘置所で8ヶ月、残り9年4ヶ月は火焼島(緑島)で服役。
1960年9月に釈放されてからも、進学や就職で不当な差別的扱いを受け続けた。その中で、淡江大学(定時制)フランス文学科で勉強しながら、1966年、児童誌「王子」マガジンを創刊、大いに評価され部数を伸ばした。
1968年には台湾東部僻地の紅葉小学校の少年野球チームを援助して、台北で挙行された全国試合に参加させ優勝したことで、台湾少年野球の黄金時代を現出するきっかけを作った。
ところが当の雑誌社は脆弱な財務体質に加え、二回の連続台風で倒産。その後は台湾人が創業し経営する国泰企業の系列会社で、国泰生命保険教育センター講師、副会長秘書、国泰美術館長、百科文化公司編集長、儂儂(ノンノン)雑誌社会長等を歴任した。しかし、国泰企業は1985年春、「江南暗殺事件」騒然だった頃に「粛清」され、系列会社多数が解散を余儀なくされた。
1987年国華広告会社に再就職し、創始者会長許炳棠氏の知遇を得て、副社長、社長、副会長等を歴任し、その間、日本の広告会社最大手「電通」との資本提携を実現、1999年春、許会長が持株全部を「電通」に譲りリタイヤするのに伴って退職した。
その後は台湾の民主化が進展する中で、「人生最後のご奉公」をするべく、陳文成博士記念基金会、鄭南榕記念館、ケタガラン学校等のボランテイアの一人として働いている。また現政権が進めている「国家人権博物館」創設準備の仕事にも協力して多忙な老後の日々を送っている。
台湾2・28時局講演会のご案内 : 台湾独立建国聯盟日本本部
http://www.wufi-japan.org/archives/378