守る会関東支部学習会報告 民団から見た帰国事業 民団中央本部 呂健二議長 : 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会

民団から見た帰国事業 民団中央本部 呂健二議長
2015年8月23日
高来れい

 現在、世の中に出回っている「北朝鮮帰国事業」に関する資料や書籍の大部分は、日本あるいは朝鮮総連=北朝鮮の立場でのみ書かれているといっても過言ではないだろう。また、この事業に対する批判も同様といえるだろう。そのため、「帰国事業」は、日本と北朝鮮間の問題と捉えがちである。だが、実は、ここに、また別の当事者がいる。すなわち、民団=韓国の存在である。(その他に米国やソ連も関わってくるのだが、ここでは触れない)。

 民団は、この「帰国事業」をどのように捉え、どう対応したのか、これが今回の講演のテーマである。
 講師の呂議長は、自身の体験と先輩や友人、知人から聞いた話を織り交ぜながら、民団側の「帰国事業」についての対応を語った。
 周知の通り、民団は「帰国事業」に対し、当初から猛反対をしていた。それは、韓国こそが朝鮮半島の正規の国家であるという立場に加え、北朝鮮が世間でいうような“楽園”ではないことを知っていたためである。
 話は少し遡るが、1950年に朝鮮戦争が勃発した際、在日の青年たちの一部も韓国軍として参戦していた。彼らは、実際に北朝鮮の貧しさを目にし、統治の酷さを体験したのである。
 また、日本ですら、当時は、まだ戦後の貧しさから抜け出していないのに、休戦から数年しか経っていない北朝鮮の経済がそんなに良いはずがないという、常識的な判断もあった。
 民団は、こうしたことを集会等を通じて世間に訴え、また赤十字や朝鮮戦争時“国連軍”として参戦した十六カ国の大使に、北朝鮮への帰還反対のメッセージを送ったのだが、効果はなかった。
 一方、当時の日本では、社会主義は善であると考えられ、メディアもそうした姿勢で報道を行なっていた。加えて、当時の韓国の李承晩政権に対しては“李ライン”の問題等で印象が良くなかった。このような状況の中では民団の意見は受け入れ難かった。

 そして、遂に帰国事業は始まるのである。
 様々な興味深い逸話を交えながらの呂議長の講演は終わり、続いて質疑応答となった。参加者からは様々な疑問や意見が出て、活発な遣り取りが行なわれたが、その中には、重要な成果もみられた。
 それは、これまで民団側の帰国事業については、あまり語られず、活字にもなっていないので、ぜひ纏めて後世に伝えてほしいという要望で、これに対し呂議長は快諾した。これにより、今後、帰国事業の実体が更に明らかになるであろう。

 ところで、今回の講演は、筆者にとっても得ることが多かった。
 まず、在日の青年たちも朝鮮戦争に参戦していたこと。この事実は韓国内でもあまり知られていないようなので、もっと伝えられてよいだろう。
 次に、こうした青年たちを通じて、民団側は当時としてはかなり正確に北の実情を把握していたこと。民団は、むやみやたらに帰国事業に反対していたのではなかったのである。

 「帰国運動」に関わった日本人は、一部を除いて善意から行なっていた。それゆえ、今度も善意で帰国後苦しんでいる人々を救おうではないか。


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