絶望を支えたもの、民を救ったもの
本書は、1993年に出版された中国の作家劉震雲のルポルタージュ文学「人間の条件1942」と同作品を2012年に映画化された際のシナリオで構成されている。
小説は、1942年河南地方で起きた300万人の餓死と、同数に及ぶ飢餓難民の発生を、当時を知る人びとを取材していく過程が描かれている。その中で最も印象に残るのは「飢え死にかい?そんな年はたくさんありすぎるんでね。いったいどの年のことをいっているんだい?」という老婆の、大躍進時代の数千万の餓死を示唆する言葉である。
1942年の餓死の原因は干ばつは蝗害だった。しかし、蒋介石は事態を知っていたにもかかわらず、アメリカ人記者ホワイトの直訴と、彼の記事が「タイム」に掲載されるまでは手を打たなかった。蒋介石にとって、国際情勢や外交は重要であっても、民衆の餓死はさしたる問題ではなかった。国際的な批判を恐れて蒋介石は支援を始めるが、それは形ばかりのもので、しかも支援を横領する地方幹部が続出した。
著者は民衆を単なる被害者としては描いていない。彼らは飢餓の中でモラルを失い、人身売買が常態化し、親が子を食うまでに至ってゆく。著者は「誰ひとり蜂起せず、ただ身内のあいだで共食いする民族には、いかなる希望も見いだせない。」と、蒋介石の専制権力を支えていたのは実は奴隷民衆だったことを暴いてゆく。
飢餓を救ったのは、海外からの支援物資と、献身的に現場で活動した宣教師たち、そしてなんと河南の被災地区に進駐した日本軍の支給した軍糧食料だった。命を救われた彼らは日本軍に協力し、中国軍の武装解除まで行った。この時、日本軍の力を借りたとはいえ、民衆は奴隷的状態から脱却していたはずである。
本書のあとがきによれば、本作は様々な制約下で映画化された。シナリオに散見する日本軍の残虐行為などは、公開の為のアリバイとして無視すればいい。一切の綺麗ごとなく飢餓難民の実態が地獄めぐりの悲喜劇のように描かれ、まるで黙示録の訪れのように戦場のシーンが登場するあたりの映画的カタルシスは、シナリオだけでも充分伝わる。私が最も共感した人物は、難民となった旧地主と中国人宣教師だ。当初は特権階級だった二人は、絶望的な情況の中、逆に人間として成長していく。宣教師は教会の偽善性を悟って狂気に至り、地主はすべてを失った後、一人の少女に出会い希望を見出すのだが、一方は悲劇、他方は希望に見えて、共に正面から状況に立ち向かった人間の姿として深い感動を呼ぶ。冒頭に紹介した老婆の言葉がいかに効果的にこの映画の最後のナレーションとして使われているかは、ぜひ本書に直接当たられたい。
評論家 三浦小太郎(「正論」平成28年4月号 読書の時間)
人間の条件 1942 | 集広舎
http://www.shukousha.com/information/publishing/4513/