【報告と動画】第19回講演会「チベット問題 真実と嘘のはざまで問題解決の新しいアイデアを提唱する」講師 チュイ・デンブン

第19回講演会「チベット問題 真実と嘘のはざまで問題解決の新しいアイデアを提唱する」講師 チュイ・デンブン氏

 2016年4月16日、東京の会議室にて、チュイ・デンブン氏によるチベット問題への新しいアプローチについての講演会が行われました。まず講演会に先立ち、ペマ・ギャルポ会長から、次のような挨拶とチベット情勢についての報告がなされました。


ペマ・ギャルポ会長

 チベット問題に関しては、最近、皆さんはいろいろな媒体を通してフォローしていると思います。そこで特に私から話したいことは、一つは1980年5月、胡耀邦がチベットを訪問して、それまで禁止されていたチベット語を再び教えてよいということになった件に関してです。以来、チベットにおいて例えば道路表記とか、それこそトイレまでも中国語だったのが、チベット語で表記するようになりました。

 ところが去年の終わりごろから、習近平体制の下において、再び「チベットの学校でチベット語を教えてはいけない」ということになったのです。そのことで最近、チベット人のある実業家が捕まったと報じられました。彼の場合、政治的にはむしろチベットは独立しない方がよい、中国の支配下において経済が成長し、そしてみんなが少し自由に幸せに暮らせればそれでよい、という立場だったのです。しかしチベット語に関しては、やはり教えるべきだということを主張していました。そして、そのことについて協力をし始めたということで捕まり、下手をすると15年間も刑務所にいれられるというのです。

 そしてもう一つは、全人大会において、チベット自治区の代表からダライ・ラマ法王に対して非常に手厳しい批判をされたことです。法王はあくまでもチベットの独立を主張している、というのです。そして独立を主張しているということは、わが祖国、彼らのいう祖国ですが、わが祖国中国の分裂を謀っている、分裂主義者だと。そして分裂主義者とは徹底的に戦うのであって、妥協の余地がないということも明確に言われました。

 また政治協商会議でも同様です。だいたい中国の場合には、共産党部関係以外のことは民族統一工作部を通してさまざまな政策を立案し実行するわけですが、ここのナンバー2も、法王に対してかなり手厳しい批判をされました。

 皆さんご存じのように、法王ご自身は1979年から北京政府との対話を開始しました。北京政府は対話の条件として、公の場で法王が「独立を求めない」と発言すること要求しましたが、法王は中国の条件通りにおっしゃいました。

ペマ・ギャルポ会長

 しかし途中から、中国は条件をさらに変えて、チベットはもちろん、台湾までもが中国の一部であると、…?…であると、言わなければならないと言い出しました。今回もまた再び北京政府は、チベットとの対話に際して、まったくチベットと関係のない台湾について、中国の一部であると言わなければならないと言ってきているわけです。

 なぜ彼らがそれを要求するかというと、おそらく1970年代において、台湾とチベットが共通の敵に向かって協力関係を持ちました。実際、これが89年の法王のノーベル平和賞などにも関係したと思います。台湾とチベットがお互いに協力することは、北京政府とっては非常に脅威になるわけです。おそらく今回また、台湾に民進党政権ができたこともあって、北京政府が今後、ダライ・ラマ法王との対話をする条件として言い始めたのだと思います。

 法王は誠心誠意、中国と平和裏で問題解決したいと考えています。しかし高度な自治、新聞では高度な自治と書いていて、法王ご自身はgenuine autonomy、「真の自治」という言葉を使っていますが、その真の自治を目指して対話をするにもまず、中国は一つであり、そして現在すべての中国を代表するのは北京政府であって、台湾も中国の一部であると認めなければならない。そんな条件を、今回もまた中国は出してきております。

 そうした動きを見ていると、きょうは台湾の方もみえていますが、おそらく中国はチベットと台湾が協力し合うことを恐れているのです。だからむしろわれわれは、それをさらにやるべきだと思います。李登輝総統の時に、ダライ・ラマ法王は台湾訪問を初めて実現しました。陳水扁の時も法王の訪問は可能だったけれども、馬さんになってからはビザが出ないということで、法王の訪問がなかった。しかし今年の5月、新政権ができたら、もしかしたらまた法王の訪問なども可能になるのではないかと思います。

 日本の大学などでは、特に政教分離ということを非常に重視して教えると思います。「政治に宗教が介入すべきではない」ということを言いますが、今、世界の国際政治は、もろに政治に宗教が介入するということが現状だと思います。例えば、ロシア正教会とローマ法王庁のトップが1000年ぶりの会談をやったり、それからローマ法王の仲介でアメリカとキューバの関係が改善されたりしています。

 また中国も最近では、孔子学院をつくったりしました。中国は、孔子を一つのソフトパワーとして使おうとしましたが、それが失敗して、現在は仏教外交を積極的にやっています。NHKも今回、中国における仏教の復活、というようなことで特集しています。一見、大胆に見えますが、私からすると、あれも中国から頼まれてやっていることだと思います。

 つまり今、中国は世界に対して自分たちのソフトイメージをつくらなければならない。そしてそのために、仏教を利用しています。

 中国のある将軍で、中国の軍人会の副主席を務めた方の論文の中に、仏教、インドは、2000年間、武器を一つも使わないで中国を支配したとありました。つまり、中国に今ある文化・文明はインドからの影響である、ということを認めるような発言までしています。

 それからルンビニ計画です。中国は何十億というお金を提示して開発をしています。ちなみにネパールの共産党のトップが、ルンビニ計画の委員長です。百十数年前には、共産主義は、「宗教はアヘンである」、「宗教は政治や社会から排除しなければならない」と言っていました。そう言っていた共産党のトップが、今は仏教の聖地の開発のトップに立っています。もちろんその資金は、全部中国が出すと言っています。

 それから台湾には、1人の悪いお坊さんがいます。悪いお坊さんというのは言葉は善くないのですけれども、星雲老師といいます。この方はかつて蒋介石の右腕で、蒋介石の顧問みたいなものだったのですが、台湾の佛光山というところの住職でした。この星雲先生は、本来は反共であって、一時はマレーシア、シンガポールなどの華僑の仏教のトップでもありました。

 彼はサンフランシスコに教団をつくりまして、ダライ・ラマ法王が訪問した時も、ぜひ法王に立ち寄ってほしいと言ってきました。法王は、彼のお寺には行かなかったのですが、彼自身がわれわれのいろいろな行事に参加したり、法王にお目にかかったりしました。それからマレーシアでも、わざわざマレーシアまで来て法王と会食する、そんなお坊さんでした。

 しかし、のちに彼はマスコミなどで「法王は政治的な活動はすべきではない」、「北京政府と話し合いをした方がいい」、「北京政府は寛大である」というようなことを言い始めました。その後、法王が台北へ訪問した時も、彼は上手に逃げてしまって国内におらず、その次の尼さんが法王をお迎えする、なんてことをやったのです。

 彼はその後、北京にすっかり気に入られて、北京から仏舎利を借りてきて、台湾では非常に歓迎されたのです。それが国民党と中共政府との交流を高める、一つの要因となりました。彼はもう相当な高齢ですが、最近また再び、北京政府の意を受けていろんな仏教の団体に参加しては、できるだけ法王を排除しようとしています。

ペマ・ギャルポ会長

 今、北京政府は、外国の首脳が法王と会わないように積極的に働きかけていて、英国をはじめフランスなどにはその効果がかなり出ています。次は宗教もということで、特に仏教関係の国際会議などにも、法王が出たら北京政府は出ない、ということをやっています。特に日本の全日本仏教会などは、そういった国際会議などに法王をお迎えしたくても、北京政府の顔を見て、チベット、少なくとも外にいるダライ・ラマ法王の代表のような形の人は受け入れない。そういうことが少しずつ始まってきております。

 かつてチベットの特に東チベットに、シンガポール、マレーシア、台湾などから尼さんやお坊さんがたくさん行きましたが、北京政府はそういう人たちを追放したり、宗教施設においても場所によってはブルドーザーでぶち壊したりもしています。しかし、他方においては、あたかも仏教を保護しているかのような動きもあります。

 これはチベット人自身も気をつけなくてはならないことですが、ダライ・ラマ法王が単なるチベットの仏教の一宗派のトップであるかのようなイメージを、中国は一生懸命つくっています。

 仏教では「観学」という学位が最高の学位というか称号ですが、チベットでは「ゲシェ・ラランパ」というものがあります。今週、中国政府はわざわざ、今年はチベットにゲシェ・ラランパが11名合格した、というような発表をしております。中国共産党の監視の下でのゲシェ・ラランパですから、もちろんこの方々の中にはきわめて学術的にも優秀な人もいるでしょうが、おそらく半分は……。

 今、亡命先ではラランパのゲシェが増えています。北京政府はそれに対抗するような形で、「今年はチベットでもゲシェ・ラランパを輩出した」と、中国のいろいろなメディアなどを通して外に向けて伝えています。
 一方においては、今年になってからもチベット国内において、またインドの亡命先においても、若者が自ら、自分に油をかけて中国の政策に反対すると同時に、チベットの独立を訴えています。中にいる人は「チベットの独立を」とはっきり言い、外にいる人は、ダライ・ラマ法王がチベットに帰ることと、そして「チベットに自由を」と言っています。

 自由といった場合にはfreedomと訳すか、あるいは個人的なlibertyと訳すか、いろいろな訳し方があると思います。チベット語のラワン、…?…ラワンということは、場合によっては自決ということにもなると思うのです。自らが主体性を持って、自分の人生、あるいは民族としての主体性を持つのだ、という提言をしていることですから、そこは訳し方によって微妙です。人によってはそれを自由と訳すし、自決というような訳し方も、決してできないことではないのです。

 私たちが亡命者になって一番自慢できることは、チベットの社会において、チベット自ら、段階的に民主化の実践ができたということだと思います。

 きょう、チュイ・デンブン先生の新しいアイデアの講演があります。この新しいアイデアも、私たちは師弟関係ではあるけれども、もしかしたら私と同じアイデアではないかもしれない。それは、今のチベットの一つの世代であるチュイ・デンブン先生たちの世代ならではのアイデア、あるいは、チュイ・デンブン先生は中国で教育を受けたことがあるので、そのことからくるアイデアかもしれない。しかし、そうした自分のアイデアを自由に言えるということは、これはチベット社会、特に外にいるチベット人の社会がきわめて民主的になったということであろうと思います。

 例えば先生と弟子でも、必ずしも同じ考え方になる必要はない。そのことも、チベット民主社会の確立の一つの象徴だと思います。北京政府からチベットを自由にする、解放するということをしなくても、全地球は回っているのですから、その中でチベットも段階的に、民主主義とは何かとか、そのようなことを知るようになるのです。

 世界には民主主義、あるいは民主的な憲法がいくつかあります。民主的な憲法というのは、一つはアメリカとかあるいはフランス革命のように、下から盛り上がってつくった、国民からの要求によってつくった民主主義。もう一つは、例えば明治憲法やチベットの民主化もそうですし、ブータンの民主化でもそうですが、時の天皇とか国王から、国民に対して民主的な憲法を提唱し、国民の権利や国民を保護することを目的につくった憲法があると思います。

 チベットの民主化は、そういう意味では、ダライ・ラマ法王からいただいた民主主義です。法王が1963年、亡命先で暫定憲法をつくりました。インドをはじめ外国のいろいろな学者に相談をして、民主的な憲法をつくったのです。当時まだチベットの国民は、「そんなことやめてください」、「法王がすべての権限を持つべきだ」ということを言っていましたが、法王は国民を説得して憲法をつくりました。

 日本の今の憲法もアメリカからの押しつけではありますが、形の上では明治憲法の改正というような形になっているわけです。当時の議会が一応それを承認して、前の憲法を改正したということになっています。そういう意味では日本の民主主義も天皇からいただいた憲法で、国民から革命を起こしてつくった民主主義ではないのです。

 そのような民主主義の中において、私たちがダライ・ラマ法王からいただいた憲法に基づいて、今、二代目の直接選挙によって首相が選ばれようとしています。二代目になるか三代目になるかは分かりませんが、選挙の結果はまもなく発表されます。きょうあしたにでも発表されると思いますが、そういうことも行っているし、亡命先での議会制民主主義も確立してやっております。一方、国内においては依然としてまだ、中国の事実上の植民地支配を継続的に受けている、というような状況です。ではこれからは、チュイ・デンブン氏の、新しいチベット世代からのお話をお聴きください。


続いて、チュイ・デンブン氏による「チベット問題 真実と嘘のはざまで問題解決の新しいアイデアを提唱する」と題した講演が行われました。これも重要なものですので全文を紹介します。


チュイデンブン氏講演

 私は2001年に日本に来ました。それからずっとチベット問題をめぐる国際社会の動きとチベット亡命社会の動きに大きな期待を込めながら注目し続けてきました。しかし、2010年頃からある種の危機感をも持つようになってきました。なぜかと言うと、1950年にチベット政府は中国のチベット侵略を国連に起訴した時、アメリカやインドをはじめとする国際社会はインドシナ地域やアフリカ地域における侵略主義や植民地政策を強く非難し、その植民地の独立を支えながらも中国のチベットなどに対する侵略行為や植民地政策を黙認し続けてきました。

 また2000年7月6日、この日はチベットの指導者ダライ・ラマ法王の誕生日でもあります。この日に、ヨーロッパ連合は、今後3年以内に中国とチベット亡命政権の間の対話に進展がなければチベット亡命政権をチベット人民の正当な代表として認めるという決議を出しました。それから3年経って対話に何の進展も無かったにも関わらず、ヨーロッパ議会は何もできませんでした。

 他方、チベット社会においてもチベット亡命社会では亡命後毎年チベットの自由を取り戻すために様々な活動を行われてきました。チベット本土においても50年代から大勢のチベット人が中国のチベット侵略・占領に抵抗し続けてきました。その中で多くの人々が虐殺されました。現在も政治犯として投獄されたり、拷問を受けたりしているチベット人もたくさんいます。

チュイ・デンブン氏

 更に2009年からチベット人は最も苦しい手段として焼身抗議でチベットの苦しみを世界に訴えました。今年の2月29日までに149名のチベット人が焼身抗議で亡くなられていますが、これに対しても国際社会から前向きな反応が見られませんでした。

 そうした中、中国のチベットに対する弾圧もより厳しくなっているし、中国の学界におけるチベットの歴史を攻撃したり、歴史的な事実を歪曲したりする動きも止まりません。例えば、今年3月21日に、龍西江と言う中国チベット学研究センターの研究員は、「チベット民族と漢民族の起源を論じる」という論文を発表して、「チベット民族は古来より中国民族の一つの構成員であった。だからチベット民族は中国民族の一部だ」とか、「チベット語と中国語の起源も同じだ」とチベット社会の反応を無視して嘘を付いていました。

 また、張海洋と言う北京中央民族大学の教授も2014年5月13日に中国人民大学人類学研究所主催で行われた民族問題をめぐるシンポジウムで、「チベット人を含むすべての少数民族は自らの願望で新中国に入った」といわゆる「17条協定」を巡る事実関係を歪曲しています。

20160317_zu_01 では、いったい問題はどこにあるのか。真剣に考えてみると依然としてチベット人自身の中にあるのではないかと思います。2500年前にお釈迦様は「四つの真実=四諦」の教えを説きました。四つの真実とは、簡単で言えば、苦しみの実態をめぐる真実(苦諦)、その苦しみには必ず原因があるという真実(集諦)、その原因を無くす可能性があると言う真実(滅諦)、その原因を無くす方法があると言う真実(道諦)のことを意味します。お釈迦様は苦しみには8万4000種類があるとして、それをなくす方法として8万4000種類の教えを説きました。同時に「自分は自分の救済者であり、自分は自分の破壊者でもある」とも説きました。その視点からチベット問題を考えてみると、私たちチベット人はまだチベットの自由を取り戻すための「道諦」を明確な表現で示すことができていないのではないかと思わざるを得ません。もしそれを明確な表現で示して行動しないと、私たちチベット人も満州人と同じように「自分は自分の破壊者」となってしまう恐れもあります。

 そうした問題を意識して、今日、具体的には、まず、チベットの問題とは何か、それと関連するチベットの歴史とチベット問題を作り出した原因及びチベット問題が解決される可能性があるかどうかなどについて簡単に言及した上で、今後への展望として、いまの中国を1本の木の仕組みをモデルにして再設計する必要性についてお話しをしたいと思います。

 まず、チベット問題とは何かについてですが、私たちチベット人は1000年前から自分たちのことを「བོདボゥ」と呼んで来ました。また「ཐུ་བྷོདトゥボゥ」とも呼びます。中国語の「吐蕃」と英語の「Tibet」はこのチベット語の「ཐུ་བྷོད」から音訳されたものだと思います。面積は334万平方キロメートルで、日本の陸地の8倍以上もあります。つまり、いまの中国の中で「チベット自治区」全体、「青海省」全体、甘粛省の「天祝チベット族自治県」と「甘南チベット族自治州」、四川省の「阿バチベット族羌族自治州」と「甘孜チベット族自治州」と「木里チベット族自治県」、雲南省の「迪慶チベット族自治州」などはチベット固有の領土です。

 私たちチベット人は、伝統的に今のチベット自治区を「ウィツアン」と青海省のほぼ全体と甘粛省のその二つの地域を「アムド」と、今の四川省と雲南省のそれらの地域を「カム」と呼んでいます。この三つの地域に住んでいるチベット人は少なくとも2000年前から共通の文字、共通の言語、共通の文化を共有しながら一つの人間の共同体を作ってきました。つまり、私たちチベット人も日本人や中国人とまったく同じように共通の歴史を築いてきた固有の民族です。

 しかし、その2000年の歴史は必ずしも平和であったわけではありません。世界のほとんどの国々と同じようにチベットも時に侵略者となり、時には非侵略者になって来ました。例えば、帝国の時代の763年にはチベットは唐を侵略し、西安の首都を占領したこともあります。しかし、王朝崩壊後、チベットは周辺諸国から専ら侵略や内政干渉を受けてきました。例えば、1240年にモンゴル帝国の侵略を、1723年及び1910年には清朝の内政干渉や侵略を、1904年にはイギリスの侵略を、1912年頃には中華民国の侵略を受けました。しかし、これらの侵略は一時的で限定的なものでした。

 それらより最も残酷で全面的かつ長期的な侵略は、今の中華人民共和国による侵略です。しかし、中国は、それを「侵略」と認めず、「チベットは昔から中国の一部だ」と主張しています。その根拠として、王朝時代にチベットと唐との婚姻関係があったことやチベットはモノゴル帝国に一時的に支配されたこと、清朝の対チベット政策などを持ち出しているが、それらはいずれも合法として正当化し得るものではありませんでした。

 その後、中国は、「チベットを列強帝国から解放した」と主張しました。その時の帝国主義とはイギリスを指していましたが、イギリスは1947年にインドの独立と共に撤退していました。そもそもチベットには1910年代に中華民国の勢力を排除した後、帝国主義の勢力は何も存在していませんでした。そのため、今度、中国は「農奴制度から解放した」と主張しました。しかし、これもチベット人の人口の大部分は遊牧民であったため、正当化し得るものではありませんでした。実際、今の中国こそがいまのチベットで奴隷制度を押し付けているように見えます。

 またどのように解放したかについては、中国側は、いわゆる「17条協定」を持ち出して「平和的に」と主張しています。しかし、17条協定は、中国側が一方的に作成した協定に軍事的な威嚇、強制的にサインさせられたものであり、それはチベット人から見ると、中国人がチベット人の頭にピストルを突き付けて締結させたものと同じようにしか見えません。かつてナチス・ドイツがボヘミア・モラビアの保護関係を設定するためにベルリンにチュコスロヴァキア大統領ハーハらを呼び付けて、協定に署名を強制したことがあります。その意味で、この17条協定には合法合理性がありません。そのため、ダライ・ラマ法王もインドに亡命する前にもその「無効」と宣言したわけです。

 いずれにしてもチベットは中国の一部になったことは一度もありません。中国の史料の中にも「チベットは中国の一部だ」と言う記述は存在していません。かつて清朝と中華民国がチベットを中国の版図に描いたり、チベットに主権を主張したりしていましたが、それは軍事力を持たない平和な国・チベットに対する「虐め」であり、わがままで自己中心的な非礼外交に過ぎないのです。過去においては、例えば、822年にチベットと唐の間に結ばれた「永世平和条約」の内容を見てもチベットと中国とは別々の国であることが分かります。この条約の条文には、「…チベット並びに唐は、現在各自が支配する国境を尊重する。東方のすべては大唐国、西方のすべては疑いもなく大チベット国である。これより以降、両者ともに戦争を仕掛け、領土を奪うことは許されない…」。「…両国間にはいかなる戦塵、戦雲の兆しもあってはならない。突然の警戒や敵なる言葉は決して吐かれてはならない。国境警備隊員ですら、恐れることなく日夜その場に安心して暮らせなくてはならない。すべてのものが今より一万年もの間平和に生活し、幸せと祝福を分かち合えなくてはならない」。「…この厳粛な条約は、チベット人はチベットの地において、唐人(中国人)は唐の地で共に幸せに暮らせる…」。「…永久に続くように三宝、聖者の集会、太陽、月、惑星、星々が証人として喚起された。誓いは厳粛な言葉と動物の供犠をもって宣言…」と明記しています。そして、この約束を子々孫々まで守り続くために、チベットと中国は条文を両国の言葉で石碑の上に刻んで1本の石碑をチベットの首都ラサに建て、1本の石碑を当時の中国の首都・西安に建てました。もう1本の石碑をチベットと中国の国境地帯に建てました。これを「唐蕃会盟石碑」と言います。

 この条約を締結する40年前の783年2月20日にも中国とチベットの間に条約を結んでいます。この条約では今の中国のゴビ砂漠や陝西省の大部分を「両国の緩衝地帯として両国がそれを支配しない」ことを明記していると言う。そして、「四川省の西側の半分と雲南省の北部、甘粛省などはチベット側が支配してもよい」とも明記しているという。しかし、国境地帯に住む中国側の住民たちはどんどんチベット側に侵入してきたため、チベット軍が中国側に攻撃を仕掛け、今の陝西省をも占領したことがありました。そうした状況の中で、唐から「和解」を目指して4回も書簡を送られてきました。822年の永世平和条約は、そうした状況の中で両国間の永遠の平和を目指して結ばれたものです。

 しかし、いま中国側の石碑と国境地帯の石碑は行方不明となっています。唯一確認できるのはチベット側の石碑のみです。これは、チベット人は1194年間に渡って中国人との約束を守り続けてきたことを意味します。従って、もし中国人は真の文明人なら、周辺諸国から信頼され、尊敬される民族になりたいなら、この唐蕃会盟石碑に刻んでいる約束を再確認し、遵守してほしい。

20160317_zu_02 また現在もチベットは中国の一部ではありません。なぜなら、いまの現状の実態は外国・中国によって「占領」され、「植民地化」されているからです。1951年に強制的に締結させられた「17条協定」の内容にその事実がはっきりと反映されています。その第1条の条文には「チベット人民は中華人民共和国の祖国の大家族に戻る」と明記していますが、それは、それまでのチベットは中国の外にあったということを意味します。また第2条の条文にも「中国軍のチベット入りを許可する」「チベットの外交権を中国政府に委譲する」と言う内容があります。これもそれまでのチベットに中国軍が入れなかったことやそれまでのチベットの外交権はチベット政府自身で行われたことを意味します。更に第4条、第5条、第6条、第11条の条文には、「チベットの内政に一切干渉しない」とも明記し、第13条の条文には「中国軍はチベット人から針一本も糸一本も取らない」とまで明記しています。しかし、中国は、その約束をすべて自ら破って一般チベット人の針も糸も一本残さずに略奪し、いわゆる「3.10事件」ないし「3.10蜂起」を起こしました。この事件で、8万人のチベット人の命が奪われ、多くの人がいまも投獄ないし拷問を受けています。そうした恐怖の中でチベットの指導者はインドへの亡命を余儀なくされました。亡命先のインドではチベット亡命政府を作って、今度「独立」ではなく真の自治を求めて中国側に対話を呼びかけ続けていますが、中国は真剣に応じず、逃げ続けています。

 では、チベットには未来がないのかと言うと必ずしもそうではありません。共産主義国家の父・ソ連もベルリンの壁も一朝一夕にして崩壊されてしまいました。中東地域やアフリカ地域における独裁政権も民主化の力によって崩壊されつつあります。いまの中国共産党もマルクス・レーニンの全体主義と独裁主義によって酷く腐敗され、崩壊の運命を避けられない状況に直面しています。つまり、いまの中国の政治構造は、この図形(図1)で示しているように官の腐敗権力が上昇して最高度に達し、他方、民の権利が下降して最低度に達して、方向転化線に近づいています。これは、いまの中国の現状を研究調査しても検証し得るものだと思いますが、いずれにしてもいまの中国共産党は近いうちに必ず崩壊されると私は確信しています。

 それとは別にしても、そもそもチベット民族の自決権ないし独立権をめぐる合法性は、国連憲章、世界人権宣言、国際人権規約、1960年に宣言された「植民地独立付与宣言」、2000年に宣言された「国連ミレニアム宣言」などからも確認できます。

 しかし、我々チベット人は、チベット民族の自決権ないし独立権或いは自由を取り戻すためには、まず、チベット問題を作り出した原因をはっきり認識する必要があると思います。この原因を三つに分類して説明することができます。第1に、自作因と言うチベット人が自ら作り出した原因があります。つまり、国政をすべて一人の人間・ダライ・ラマ法王に委託しがちな国民性と政治の領域におけるアイデンティティを十分形成できていないことです。第2に、他作因と言う今の中華人民共和国によって作り出された原因です。つまり、中国のチベット侵略です。これは、チベット問題を作り出した決定的な原因です。第3に、共作因と言う一部のチベット人が自分の利益のためにチベット全体の利益を犠牲にして、中国人と手を組むチベット人のことですが、この種類のチベット人は中国の統一戦線部や安全局、警察、党や政府の幹部の中にも多少存在しています。これはチベット問題を長期化・複雑化させている大きな要因ともなっています。従って、チベット民族の自決権、つまり、チベットの自由を取り戻すには、我々チベット人は以上の原因を十分認識し、反省すべきところをしっかり反省しなければならないと思います。

 では、結局、チベット問題は解決される可能性があるかと言うと、ゼロとは言えません。なぜなら、中国もチベットも絶えず変化し続けているからです。

 まず、中国の変化を見てみたい。その中でも、まず、民主化の動きに注目したい。2001年3月10日、吴邦国(全人代前委員長)は「五不搞(五つをやらない:多党制、思想の多様化、三権分立、連邦制、私有化、をやらない」と宣言しました。習近平も2014年3月に訪問先のドイツで「立憲主義や議会制などは中国に合わない」と述べました。しかし、実際、中国では人権、自由、民主、平等、公正、法の支配などを求めて政府に抗議する活動は急速に増え続けています。例えば、2005年度に8万7000件であったのは2015年に約25万件にも増加していますと言う。

 そうした政治腐敗の背景には中国人の道徳低下の問題があります。また道徳低下の背景に伝統文化の破壊があります。共産党の中国は伝統文化を破壊するために、5000年の歴史を持つ繁体字を今の簡単字に改造しました。この改造した漢字でたった200年の歴史しかない・かつヨーロッパで廃棄されたマルクス・レーニン主義を中国の伝統文化に代替させました。従って、いま中国人の「愛」の文化は、「心」を無くした「爱」の文化に変化し、「恥」の文化も「心」をなくし、聞く耳を止めた状態の「耻」の文化に変化しています。そして、国民への「指導」も「道」をなくした「指导」で官も民もいま迷子になって、しばしば邪道に落ちられています。

 そうした状況の中、今の中国人の中でチベット仏教に関心を持つ人が増え続けています。例えば、いまの四川省にあるセルタ寺には1万人以上の僧侶がいて、その中の2割は中国人だと言う。また中国の浙江大学や人民大学などにおいてもチベット仏教に関する研究所などが作られているようです。これは、共産主義の中國では新しい現象であり、チベットの真実を知る上で良い変化だと思います。

当然、チベット人社会においても政治意識が徐々に高まりつつあります。いわゆる2008年の3.14事件は、それを示す良い事例です。この中国への抗議運動は、最初はラサで始まり、その後カムとアムド地域にも広がって、史上初めてチベット全土における中国の占領への抗議運動となりました。それまではラサで抗議運動が発生してもアムドやカムでは何の反応もありませんでしたし、アムドやカムで抗議運動が発生してもラサでは何の反応もありませんでした。しかし、いま昔とは違って政治の領域においてもチベット人のアイデンティティが確実に形成されつつあると言えるのではないかと思います。

 またチベット人の法的意識も高まりつつあります。例えば、今年1月に、あるチベット人有職者が中華人民共和国憲法の中の「(略)各民族が自分の言語や文字を使用し、発展させる自由がある」(憲法4条)と言う条文や、2014年9月28日に開催された「中央民族工作会議」で述べられたとする習近平の発言・「(略)各民族はすべて平等であることは、党の民族政策の基礎である」「各民族はすべて平等であることを堅持するための前提条件は、民族の違いを尊重することだ」と言う内容、2014年10月12日に発表されたとする『中共中央、国務院の新しい情勢下における民族工作の強化と改善に関する意見』の中にある「(略)少数民族が自民族の言語や文字で教育を受ける権利を尊重し、保障する」と言うような内容を持ち出して、「チベット人がチベット語で教育を受ける平等な権利を保障すべきだ」と訴えています。以上のようにチベットの自由を取り戻すうえで有利な現象も現れつつあります。

 今後、チベット問題の解決に向けて、あるいは今後への展望として一番注目したいのはいわゆる「中道路線」です。中道路線とは、「チベットの独立を求めず、現状も認めない、中華人民共和国の憲法の枠組みの中で真の自治を求める」というチベット亡命政府の方針です。しかし、中国は、これも「形を変えた独立だ」とまた逃げています。

 そうした問題を意識して、私はその中道路線の中身も更に具体化しなければならないと思って、今の中国の在り方を1本の木の仕組みをモデルにして再設計する必要があると考えました。これについて話す前に、まず、中国側が主張している56の民族を初めとするすべての民族が一つの目的・一つの条件・一つの方法を共有しなければならない。一つの目的とは、平和のことです。これは人口力、文化力、経済力、歴史などの違いに全く関係なく、すべての人間が共に望んでいる共通の目的です。中国政府も「和諧」社会の建設を大声で呼びかけて続けています。しかし、この平和ないし和諧社会を実現していくにはすべての民族が共通のルールと共通の組織を共有しなくてはなりません。ここで言うルールとは共通の憲法のことと、組織とは共通の政府のことを意味します。当然、その共通の目的・平和を実現する方法については、自由・民主、平等、公正、法の支配の原則を導入する以外に良い方法がありませんが、いまの中国の政治システムの中にはこの平和ないし和諧を実現していくための条件と方法が十分備えていないのです。これは、いまの中国が抱えている諸問題の根本的な原因でもあります。

 そうした理念に立脚して、いまの中国を1本の木の仕組みをモデルにして再設計する必要があります。木は、根、幹、主枝、主枝以外の細かい枝、葉や実などでできています。いまの中国を1本の木に例えてみると、中華人民共和国憲法は木の根と同じ存在、中央政府は幹と同じ存在、各省と自治区は主枝と同じ存在、各省と自治区の都道府県市町村は主枝以外の細かい枝と同じ存在、衣食住や公共サービス及びインフラ整備などは葉と同じ存在、各民族ないし一人ひとりの人間は実と同じ存在です。

 木の美しさは、幹が根から吸収した養分を、各主枝を通じて葉っぱを作り、その養分の一部をバランス良く一つ一つの実の中に配分し、それを輝く成熟させることによって保たれています。中国の憲法と中央政府や各省及び各自治区も木の根と幹と主枝と全く同じような役割を果たすべきです。しかし、現実の中国では中国憲法と中央政府と各省及び各自治区はそれと同じような役割を果たせず、逆に民の自由や基本的人権などを奪い、破壊し続けていますし、それは中国の政治の正常な発展を妨げる要因でもあります。中国の国際的イメージが悪い背景にもそうした問題があると思います。

 当然、そうした役割を果たすためには、連邦制が一番相応しい。連邦制について、ノーベル平和賞受賞者の劉暁波も「中華連邦共和国」構想を提唱しています。しかし、その具体的な中身について特に何も述べられていませんでした。かつて、共産党も国民党もチベット人、ウィグル人、モンゴル人、中国人、満州人の五つの民族が中心になって「中華連邦共和国」を作ろうと提案していました。しかし、それは、結局、中国独自の政治的な目的を達成させるための道具になってしまいました。

20160317_zu_03 彼らの連邦制構想には私も賛成です。しかし、「中華」とは中国人の世界における概念であり、それは常に「中華思想」や「大漢民族主義」と結び付いて異民族の平和を破壊する性格を持っています。過去においてもそうでしたし、現在においてもその思想で私たちチベット人やモンゴル人、ウィグル人などを苦しめ続けています。その意味で、私は「中華連邦共和国」と言う名前ではなく、「中央アジア連邦」という名前を提案したい。略称は「中亜連邦」とします。当然、この「中央アジア(中亜)」はあくまでも仮定であり、最終的には連邦のすべての構成員で決めないといけません。

 従って、いまの中国を1本の木で示すとこの図形のようになります(図2)。ここでは、中亜連邦の憲法は木の根と同じ存在、中亜連邦府は木の幹と同じ存在、中国、チベット、ウィグル、台湾、香港、モンゴル、マカオなどは木の主枝と同じ存在として設定します。当然、木の場合、新しい主枝も同じ条件で出てくるのと同じように中亜連邦への新しい国の加盟も平等な条件で加盟できる法的環境を作っておかなければなりません。

 以上のようにいまの中国のあるべき本来の姿を一本の木の仕組みをモデルと連邦制を原則としてその基本的な在り方を再設計しました。では、具体的に何をすべきかと言うと、まず、いまの中華人民共和国憲法を中亜連邦憲法として根本から作り直す。これを中亜連邦の最高ルールとして、チベット亡命政府憲法、台湾の憲法、日本の憲法、アメリカ、ヨーロッパなどの憲法を参考にして、立派な憲法を作りましょうと言うことです。中亜連邦憲法は木の根と同じ存在です。木の根は、自然秩序から良いエネルギーを吸収し、それを幹を通じて葉を作り、その養分の一部を一つ一つの実の中にバランス良く配分しています。同様、中亜連邦憲法も自然秩序との調和を前提に自由・民主、平等、公正、法の支配の原則など人類普遍的価値をすべて吸収し、それを以って一人ひとりの人間の衣食住を確保し、一人ひとりの人間の人間性を高め、平和を守らないといけません。

 それを可能にするためには、木の場合、しっかりした根があれば頑丈な幹を作ることもできるのと同じように中亜連邦の真の平和共存を図るには、まず、しっかりした中亜連邦憲法が必要となります。しっかりした憲法を作るには自由・民主、平等、公正、法の支配の原則など人類普遍的価値を徹底的に反映させなくてはなりません。

 次には、いまの中国の中央政府を中亜連邦府として根本から作り直す。これは、中亜連邦の共通の最高組織として設定する。中亜連邦府は木の幹と同じ存在です。幹は根から養分を吸収し、それを各主枝を通じて葉を作り、養分の一部を一つ一つの実の中にバランス良く配分し、それを輝く成熟させています。同様、中亜連邦府も中亜連邦憲法の中身をしっかり守り、それを以って中亜連邦の一人ひとりの人間の衣食住を確保し、一人ひとりの人間の平和を守らないといけない。そうした役割を果たすためには、中亜連邦府の政治システムを三権分立の原則に基づいて設計する必要があります。つまり、中亜連邦府を中亜連邦行政部と中亜連邦議会と中亜連邦裁判所の三つの機関に分けて、中亜連邦行政部には連邦の行政権を、中亜連邦議会には連邦の立法権を、中亜連邦裁判所には連邦の司法権を付与する。

20160317_zu_04 そうしたシステムの中で、中亜連邦府のトップを総統と称し、それが中亜連邦行政部と中亜連邦裁判所の長の任命権や罷免権、中亜連邦議会に対する拒否権・命令権などを行う。その権限の使用範囲や対象についても具体的な法的基準を設ける。中亜連邦議会は中亜連邦の最高の権力機関として連邦の立法権を行う。中亜連邦行政部は予算案の提出、法案や政策の執行などの行政権を行う。この連邦行政部には国家レベルと同じように複雑な機関を設けない。中亜連邦裁判所は連邦行政部や連邦議会及び加盟諸国に対する違憲審査権や裁判権などを行う。そして、中亜連邦公務員には国と民族を代表しないことなどを前提条件にして厳格な公務員法を定める。

 中亜連邦政府の財源は、全加盟国の国民の市民税として納める。例えば、中亜連邦府の1年間の活動費に15億円が必要としたら、ひとりの人間から1円ずつを納める。それに法人税を加える。当然、被災地などには優遇制度を導入する。

 中亜連邦公務員の選出方法は、総統の場合、その被選挙権と選挙権を全加盟国の国家元首と首相及び中亜連邦議会の議員のみに与える。中亜連邦議会議員の場合、それは人口力に関係なく、全加盟国の国会議員から同じ人数を選出して構成する。中亜連邦裁判所の職員も同じ人数で構成する。中亜連邦行政部の職員は、例外として加盟諸国の人口比率の割合で構成する。中亜連邦軍も人口比率の割合で構成する。そして、中亜連邦公用語は、すべての民族の文化の保護を目的に、文字を持つすべての民族の言語を公用語とする。

 中国のあるべき本来の姿を以上のように考えました。これからは、中亜連邦憲法草案や中亜連邦公務員法草案などを幅広い分野の人々との議論を重ねながら具体化する必要がありますが、そのためにはアジア唯一の世界的な自由民主主義の先進国・日本の方々からの協力や支援が必要ですし、日本も日本国憲法の中に「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と決意しているように、世界に対するこの約束をしっかり果たしてほしい。そうすれば、それは日本国憲法第9条の精神とも一致するし、その具体的な実現ともなり得ると思います。そして、それこそアジアの平和共存に対する最高のODA援助にもなるのではないかと思います。

 以上で私のお話は終わりです。ありがとうございました。


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 その後、会場のウイグル、南モンゴルの方から、様々な疑問や問題提起がありました。ペマ・ギャルポ会長も、この提案を、内部でいろいろと議論していきたいというお話がりました。新たな提案として、今後、中国の民族問題を考えるうえでの意義深い学習会に成ったと思います。(文責 三浦小太郎)


【動画】

第19回講演会「チベット問題 真実と嘘のはざまで問題解決の新しいアイデアを提唱する」講師 チュイ・デンブン氏
https://www.youtube.com/watch?v=L_FgUc0_b-I

2016年4月16日に東京市ヶ谷で開催されたアジア自由民主連帯協議会第19回講演会「チベット問題 真実と嘘のはざまで問題解決の新しいアイデアを提唱する」の動画です。

告知より
https://freeasia2011.org/japan/archives/4536
中国政府による弾圧が続くチベットに、民族自決権を確立するとともに様々な問題を解決するための、若い世代のチベット人が新しい具体的提案を提唱する講演会です。これまでとは異なるアプローチに是非耳を傾けてください。

・講師
チュイ・デンブン 氏(アジア自由民主連帯協議会 理事)

・登壇
ペマ・ギャルポ 氏(アジア自由民主連帯協議会 会長)

・質疑応答
イリハム・マハムティ 氏(日本ウイグル協会会長)
オルホノド・ダイチン 氏(南モンゴル自由民主運動基金)
三浦小太郎 氏(アジア自由民主連帯協議会)

・司会
古川郁絵(アジア自由民主連帯協議会)

制作・協力 ラジオフリーウイグルジャパン
http://rfuj.net


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