【報告】特別企画・映画上映会「未成年・続・キューポラのある街」

 2月2日に行われた特別企画・映画上映会「未成年・続・キューポラのある街」について、主催した三浦小太郎事務局長が報告記事をFacebookに掲載しております( https://www.facebook.com/kotaro.miura.96/posts/858950327798390 )。
 以下はその転載です。


 2月2日の「未成年・続・キューポラのある街」上映会は約40名の方にご参加いただき、立ち見まで出る盛況となりました。寒い中参加してくださった皆様ありがとうございます。立たせてしまった方には申し訳ありません、主催者の私が席を譲るのが当然ですが、ちょっと風邪気味で体調悪いので座らせていただきました。
 
 こられなかった方のために、以前も書きましたが、ここで内容を紹介しておきます。なお、この映画をぜひ見たい方は、私のメッセンジャーに住所を添えたうえで連絡ください。
 
 「続・キューポラのある街」は、「キューポラのある街」のヒットにあやかって「柳の下のドジョウ」を狙ったものとは思いますが、映画としての感銘は遥かに落ちます。
 ただ、ここでも帰国事業が取り上げられており、しかも後述しますが、なかなか複雑な印象を持ってしまうシーンが納められています。
 
 舞台は同じ川口で3年後。北朝鮮に渡った、吉永小百合こと「ジュン」の女友達金山さんから届いた手紙が読まれるところから始まります。「私達は貧しい地方に送り込まれて苦しんでいます、総連の宣伝は嘘でした。どんなものでも送ってください」・・・ではなく、「北朝鮮で働きながら充実した生活を送っています、ジュン、貴方はどうしているの」という手紙でした(うそっぽいが・・・・)
 
 当の「ジュン」は、定時制で働きながら勉強中。しかし、同じ職場で働く女性達の中でも、定時制に行く人と行かない人の間にははっきりと感情的な対立があり、家庭もうまく行かず、生活の苦しさも前作のまま、いや、ジュンの弟「タカユキ」が新聞配達でためた貯金までお母さんが勝手に使っている状態ですので、むしろ前作より悪化しているのかも。
 
 職場の同僚の妊娠、かっての同級生達の乱れた生活など、それなりに社会的ドラマとして真剣に作ろうとしている姿勢はわかるのですが、映画としてはどうにも図式的で見ていて憂鬱になってきます。ただ、これは後述しますが、ジュンの父親で職人の父ちゃん(宮口清二)は、演技力のよさもあって、彼だけは時代に取り残された職人像を大変うまく演じ、この映画で唯一血の通った現実の人間の臭いを感じさせています。(第一作では東野栄次郎が演じていた役)
 
 ジュンの幼馴染の「克己」(浜田光夫)だけは意気軒昂。同じ労働者仲間と一緒に会を作り、仕事を引き受けて自営を目指す、その中では社長も労働者もなく、仕事の収入は全て平等にする、と、ほとんど理想の共産主義体制を実現させんとする勢いです。
 
 これに対しジュンは素直に感動しますが、父親は「以前は組合組合と言っていた野郎が、今度は親方になるつもりか。十年早い」と罵ります。これは誤解に見えるんですけど、結局映画のオチから観るとなかなかこの父親は洞察力があった事が分かります。
 
 この映画の結末では、結局理想に燃えた克己の仕事は、途中まではうまく成功し、克己は規模を拡大し、自分は経営に専念しようとします。しかしそこは資本家としては素人、広げようとしすぎて大失敗、負債を抱えてつぶれ、同僚たちからも見捨てられ罵られます。結局職を失わせた以上自分の理想はどうあれ労働者からすれば失敗し自分たちの生活を脅かした一無能経営者にすぎないわけで、ここは実は結構リアリテイありました。
 
 まあ、しかし父親の方も、工場の現場では、オートメーション化が進み、もう居場所は殆どないんですね。そして、職人として厳しく若い労働者を鍛えようとしても、彼らはもうそういうやり方にはついていきません。結局、ジュンのお父さんは工場長と対立、事実上首になります。飲んだくれるお父さんに、同級生や進学の問題、将来の問題で悩むジュンは、友人に誘われ、何か生きていくうえでのヒントでもないかと、「高校生の集い」とやらに出かけます。
 
 この「集い」では冒頭で皆さん「トロイカ」など肩を組んで歌っていて、民青とか歌声運動とか、もう若い方には通じない単語の時代がよみがえりますが、このシーンは結構爆笑が会場でおきまして、まだかろうじてこういう歴史があったことも意識されているのだなと思いました。
 
 しかし、もうそこは建前論の渦で「定時制と普通制の間には溝がある、それはよろしくない」「制服は封建的である」「学校に行っても面白くなく学問に興味を持てないのは何故か」「お互いの立場から悩みを率直に語り合おう」などと、はっきり言って考えてもしょうがないような事が大真面目に論じられております。
 
 ジュンもこの空気の中には耐え切れず、場を外しますが、高校生の皆様、休憩時間にはフォークダンスなどをやって議論はどこに行ったか状態。吉永小百合くらいの美人がいれば誰かが踊りに誘ってもよさそうなのですがそれもなく、ジュンは孤立無援状態です。
 
 そこに朝鮮高校生が数名登場。それまでの高校生と違ってアジテーションの勢いが別次元に高い!「私達は祖国にいる家族と切り離されているのが最大の悩みです!」貧しく将来に行き詰っている、それでも頑張ろうとしている日本の若い労働者と、差別され歴史に翻弄されてはいるが希望に満ちている在日朝鮮人の若者たちの連帯、という、多分この時代には大真面目に信じられていた構図がそのまま描かれています。
 
 そして、偶然と言うものはあるもんで、この朝鮮高校生の一人、崔さんが、北に帰ったジュンの友人、金山さんの親戚だったとは!ジュンは晴れ晴れとした顔でいいます。「あたしさっきまで頭が痛かったんだけど、貴方たちの話聞いたら、すっと治ったわ」これに対し崔君はこれまた晴れ晴れと「それは僕たちは、悩みも希望も、人一倍大きいからじゃないでしょうか」と、気を失うほどキザなセリフを(しかも駅で別れる場、つまり公衆の面前で)いいますが、これ、当時はこのまんま受け取られていたんだろうなあ。
 
 崔はジュンに、北朝鮮で金山さんの父が病気にかかり、ガンらしいこと、日本に残っている妻に一目合いたがっていることを語ります。そして崔はとうとうこの日本人妻の仕事場を探し出し(そこまでせんでもと思いますが・・・)ジュンと崔は説得に赴きます。
 
 日本人妻は、飲み屋で下働きをしていました。生活も苦労していることが偲ばれます。店先に尋ねていった崔は早速、北朝鮮行きの船にすぐに乗ってくださいと力説。しかし日本人妻は、「行ったらもう帰って来れないんだろう」と決心がつきません。
 
 ここで、ジュンが日本人妻が場を外した隙に、まさに朝鮮総連的な発言!「今年中には自由往来ができるって言ったらどうかしら」ここで崔が「そうだそうだ、3年たったら里帰りができるって言おう」・・・とはいいません。崔は「いや、嘘はいけないよ。北朝鮮に渡ったら二度と日本には帰ってこれないんだ。それが祖国と日本の関係なんだ」ともっともなことを申します。立場が逆だろう逆・・・
 
 そしてジュンは崔に、貴方は帰らないの、と聞きますが、崔は「僕だって今すぐにでも帰りたい。しかし、ここ日本にはまだ正しい民族教育を受けていない十万人の朝鮮の子供たちがいる。僕は教師になって、彼らにちゃんとした教育をしてあげたいんだ」とおっしゃります。
 
 こういう人間が、じゃあ本当に北に将来わたったかといえば、多分行かなかっただろうなあ。そして、その「正しい民族教育」は、基本的に「正しい北朝鮮教育」であって、民族教育ではなかった。この構図は今も変わっていない。
 
 この純粋(かどうかわからないがとりあえず純粋な青年として描かれている)が、その純粋さに忠実であるならば、将来選ぶべき道は、(1)北朝鮮に自分も行くことで人びとを送り込んだ責任を取る(2)この日本で北朝鮮の人権改善や帰国者の救出に取り組む、(3)帰国事業は間違っていたことを正直に自己批判する、何よりもまず在日同胞と日本人妻家族に謝罪する のいずれかでしかないはず。しかし、現実の在日の多くは、そのような行動に立ち上がるよりは、全てを忘れよう、隠そうとしているのではないでしょうか。
 
 北に家族がいる以上何も出来ない、というのは、在日の一般庶民ならばそれはそれで仕方がないでしょう。しかし、在日コリアンで、著作を持ち、しかも日本の差別を批判したり日本社会に問題提起を行っているような人びとは、言論人としての責任として、この帰国事業の過ちを語る責務があるはずです。そして吉永小百合さんも、俳優の一つの仕事として出演しただけでしょうし、彼女の責任を問うつもりはありませんが、反核や平和については積極的に発言される傾向のある彼女も、この2作については口をつぐんでいます。
 
 さて、結局この日本人妻は、北朝鮮に帰る道を選びます。日本人妻が涙ながらに「本当は今からでも逃げ出したいんだよ。貧乏暮らしをしても、あたしはやっぱり日本に住んでいたいんだよ」と言う言葉には胸が撃たれるものがあります。そして、「ジュンちゃん、あたしのことを覚えていてね。こういう女が日本にいたことを、もう会えなくても忘れないでね」と泣き声で語りながら、帰国する在日朝鮮人と共に列車に乗っていきますが、ジュンは思わず走り寄ります。
 
 私は最初に見た時、かすかな希望として、この日本人妻が北朝鮮に行くのを止めるんじゃないか、という結末を期待したのですが、まあ、そんなことになるはずがなく「おばさん、きっとまた会えるわ!」というジュンの叫びが響くだけでした。
 
 この映画が公開されたのは1965年。この年には、日韓条約が締結されています。まあここまで悪く書いてきていまさら言うのもなんですが、この映画を考えるときは、1965年、まだまだ共産主義が理想として輝き、中国や北朝鮮の実態が知られないどころか幻想が存在していた時代、もし自分が主人公ジュンと同じ18歳から20歳くらいでこの映画を観たらどう思っただろうか、という想像力を働かせてみていただければと思います。映画としての評価とは別に、歴史を振り返る意味では貴重な作品だと思いました。

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