【第45回・報告】取材と宗教から見るミャンマー問題」講演会報告(下)

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 続いて小川寛大氏が登壇。小川氏は、自分がミャンマー問題、特にロヒンギャの問題を取材していて、最も関心を持ったのは、いわゆる「仏教過激派」という人たちの存在だったことから話を始めました。そして小川氏は、日本ではふつう、キリスト教やイスラム教など一神教は、一元的な価値観を押し付ける傾向があり、戦争や過激な原理主義を生み出す傾向があるが、仏教ではそんなことは起きない、とよく言われていたけれど、例えばミャンマーには、仏教過激派というべき人たちが存在し、その中には「969」と名乗っているグループがあり、イスラムと激しい対立、構想を繰り広げていることを指摘しました。(「969」の数字は、仏法僧の三宝を意味します)

 そして、イスラム圏では、コーランに由来する「786」という数字を大事にする傾向があり、仏教過激派の「969」というのはそれへのカウンターという面がある、そして、いわゆるイスラムフォビアと言われるイスラムを排撃する人たちは、イスラムが今世界に移民や難民として存在し、事実上、イスラムによる侵略が始まっていると考えている現実が世界にはあると指摘しました。

 仏教過激派の人たちからすると、ウイグル、マレーシア、インドネシアなどは、もともとは仏教国だったのに、イスラムの侵略によってイスラム信仰が強制され根付いた、これはけしからんことで、しかもこのまま放置すれば、ミャンマーやスリランカ、マレーシアもそうなると考えている人たちが現実に存在する、イスラムは追放しなければならない、ということを本気で主張している、しかもそれは過激派だけの思想ではなく、一般的な価値観として、民衆にも共有されているのだと指摘しました。世界は、このような宗教的価値観が、日本ではほとんど報道されていないけれど、確実に存在し、実際に、マレーシアなどでは仏教徒とイスラム教徒が日常的に武装して衝突し、死傷者が出ているのだと述べました。

 そして、実際に969運動の指導者にインタビューしてみると、そこでは当時の安倍首相と日本が絶賛されていて、日本は世界各国にODAの支援などは行うけど、決して移民受け入れには積極的ではない、外国人を排除している、これは全く正しい政策だ、と言われた経験を語りました。

 また、ロヒンギャ問題などでは、いわゆる欧米中心の報道、ロヒンギャは弾圧されている気の毒な少数民族だ、という意見とは全く異なり、ミャンマーのほとんどの人たちは、ロヒンギャはむしろ違法移民だ、バングラデシュから勝手に出稼ぎできている、しかも勝手にバングラデシュからどんどん来る、しかも不法に土地を奪い、時には暴力をも振るう、しかもバングラデシュ国境付近ではすでにロヒンギャのほうが多数派でむしろ仏教徒のほうが弾圧され攻撃を受けているのだ、と仏教過激派の人は語るし、これは一般のミャンマーの民衆意識とも決して遊離したものではないと述べました。

 今回クーデターを起こしたミャンマー軍については、「軍営企業」というものをたくさん持っていて、食べ物や洋服、工場など、軍隊とも軍事産業とも関係ない企業を経営している。これらの企業は、政権や軍隊と結託してきたので、税金も免除され、しかもさまざまな特権を有していて、民間企業をむしろ圧迫している。契約や入札でも露骨に横車を押す。軍に対するミャンマー国民の不満というのは、このような経済的な優遇や特権を軍が大きく持っている点にもあると指摘しました。

 そしてよく言われることだけれど、ミャンマーは、イギリスの植民地の元で、民族も、言語も、宗教も違う諸国が強引にまとめられてできた人口国家なので、この国をまとめていくのは本当に難しい、それができるのは、かっては軍隊による力の統一だったし、或いは、アウンサンスー・チー氏のような、いい意味でも「アイドル的」存在、カリスマ的存在しかない。その意味では、本当に解決が難しい問題だと述べました。しかし、スーチーさんの政権が民主化の中で誕生しても、期待したほど経済は好転しない、同時に、ロヒンギャ問題などで国際的に攻撃される、正直、スーチー氏の人気は下がっている傾向にあったと述べ、だからこそ軍は、今回のクーデターが成功すると踏んで決行したのだろうと指摘しました。

 しかし、リンカーンの言葉に、「一度自由を知ったものは二度と奴隷として隷属することは耐えられない」というものがあるが、ミャンマー軍が事態を見誤ったのは、かっては存在しなかったネットという武器を民衆が持っていることだったと小川氏は指摘しました。ミャンマーでは現在、フェースブックやネットがとても盛んで、いかに軍政が規制、禁止しようとしてもしきれない、おそらく、現在の軍政に対する反撃のデモは、このネットの呼びかけによってなされている。かってのような軍政に戻ることはおそらくもうないだろうと小川氏は述べました。

 最後に、小川氏は日本の仏教界について、このような宗教的な対立や、969運動の存在などに、全く興味も関心も持たない傾向が既存の仏教界や学者には存在する、それでは現代の問題、現代人と宗教、宗教と民族、国家、政治の問題をきちんと認識することはできないのではないかという問題提起を行って講演を終えました(文責三浦)

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