【第52回・講演会報告】 ウクライナ情勢と国民詩人シェフチェンコ(講師 三浦小太郎)

2022/02/26 協議会主催講演会「ウクライナ情勢と国民詩人シェフチェンコ(講師 三浦小太郎)」の動画です。


2月26日の講演会は、三浦事務局長の連絡ミスにより、表題のように内容が変更になりました。
ラエイマウンさんならびに、ミャンマー情勢の報告を楽しみにしておられた皆様に心よりお詫びいたします。
同日、お詫びを兼ねて、三浦事務局長が「ウクライナ情勢と国民詩人シェフチェンコ」と題して行った講演会について動画・文章にて報告いたします。


講演会報告
ウクライナをめぐる情勢と国民詩人シチェフシェンコ

 2月26日、東京お茶の水の会議室にて行われた講演会の内容抄録です(文責 三浦小太郎)

 本日はご参加ありがとうございました。実は、本日はミャンマーのアラカン州出身の民主運動家、ラエイマウン氏にお話を伺う予定だったのですが、事務局の私(三浦)の連絡ミスにより、本日はラエイマウンさんが参加できなくなってしまいました。これは完全に私の責任でありまして、ミャンマー情勢についての講演を楽しみにしてこられた民様方にも、また、ラエイマウンさんご本人にも深くお詫び申し上げます。

 代わりと言っては何なのですが、今日は私の方で少しお話をさせていただきます。私自身は、東南アジアの情勢については詳しくないのですが、先ず二つほど申し上げます。私は東南アジアには、タイとミャンマーに二回ほど行ったことがあるだけなのですが、なぜタイに行きましたかと言うと、そこで北朝鮮難民問題についてのNGOの集まりがあったからでした。実は、タイは多くの北朝鮮難民を助けて韓国に送っている国の一つです。

 本来、飢えと抑圧から北朝鮮を脱出した難民たちは、中国は難民条約に加盟しているのですから、中国で保護され、希望する韓国に行ければ、それで彼らは救出されます。しかし現実はそうではなく、中国は彼らを難民と認めず、捕まえれば北朝鮮に強制送還していますから、北朝鮮難民は、遠く東南アジア、特にタイにまで逃れていきます。タイにたどりつけば、ほぼ全員、タイ政府は一応秘密裏のうちに、彼らを韓国に送っています。実はタイは、この言い方が正しいかどうかはわかりませんが、ベトナム戦争など様々な難民を引き受けてきた「難民大国」でもありました。

 もう一つ、皆さまはご存じの方かどうかわかりませんが、私にこのアジアの運動について色々教えてくださった方に、殿岡昭郎という先生がおられます。難民の話に戻りますが、かってベトナム戦争が北ベトナムの勝利に終わり統一ベトナムが出現した時も、大量の難民がタイに向かいました。そのほとんどは一般市民でしたが、中には、かっての南ベトナム軍兵士も含まれており、彼らの中には、もう一度共産主義北ベトナムと闘おうとした人たちもいました。この『反共ゲリラ』を支援したのが、この殿岡先生でした。

 最終的にはこのゲリラは、指導者ファン・コン・ミン将軍と共に玉砕し、戦死した将軍の遺影は、今裏切り者としてベトナムの戦争博物館にさらされています。しかし、この殿岡先生はその後、ウイグル、チベット、南モンゴルの各民族運動にも積極的に支援し、「三民族連帯」というテーマを打ち出されました。今は沈黙しておられますが、一つの歴史エピソードとして紹介させていただきます。

 続いて、現在のウクライナ情勢について、私は全く素人ですが、素人なりに今考えていることを述べさせていただきます。

◎プーチンの「崩壊体験」
 プーチン大統領は、かって旧ソ連の末期に、KGBとして、1985年から5年間を5年間を東ドイツで過ごしました。そこで彼が見たものは、東ドイツ並びにベルリンの壁の崩壊過程でした。そして帰国したプーチンは、今度は、ソ連の崩壊過程を目の当たりにすることになります。
 これは私の推測ですが、この二つの崩壊は、プーチンに強い影響を与えたのではないかと思います。そしてプーチンにとってソ連崩壊とは、自由や民主主義の実現ではなく、社会秩序の崩壊、強欲な資本主義の流入とそれと組むロシアン・マフィアの闇経済、また、誇るべき祖国が侮辱され名誉を失う中で解体させられる破局と映ったのではないでしょうか。

◎プーチンの「戦争史観」「ナチスから世界を救ったソ連」「スターリンとヒトラーは別」
 そして現在、私たちが注目すべきは、プーチンの第二次世界大戦に対する、私からすれば極めて間違った「歴史観」です。プーチンが繰り返し述べている歴史観は、ソ連はナチスに勝利し、ヨーロッパを、世界を救ったのだというものであり、ロシアでは、スターリンとヒトラーを同一視して同じ全体主義として批判するような言論は法的に取り締まられています。結果的にはこの言論統制は「ナチスドイツの壊滅に果たしたソ連国民の決定的な役割」を否定する見解を表明することも禁じることになり、ソ連がバルト三国併合、対フィンランド戦争、東欧において独裁傀儡政権を樹立したことなどが結果的に肯定されることになります。もちろん北朝鮮において金日成を擁立したこと、日本の北方領土を強奪したこと、シベリア抑留なども、「犯罪」とはみなさないことに論理的にはなりかねません。

◎「ウクライナはネオナチ」「ウクライナジェノサイド」「テロ」の宣伝
 ここから、プーチンがウクライナの現政権を「ネオナチ」と呼び、「(ロシア系住民に対し)ジェノサイドを行っている」と言った誹謗を浴びせるのも「ナチスに勝って世界を救ったソ連=ロシア」のイメージをそのまま当てはめているように思えます。

 公正を期するために言えば、19世紀など、ウクライナでも反ユダヤ主義やポグロム(ユダヤ人迫害、虐殺事件)が起きたことは歴史的事実でしょう。また、現在のウクライナにも、強烈な民族主義者はいるでしょう。しかし、同時にウクライナは反ユダヤ主義言説や差別を禁止する法律もあり、プーチンの言説は誹謗に近いものです。また、内戦が数年間続いている中で犠牲者がロシア、ウクライナ双方に出ているとしても、それをジェノサイドなどと言うのは極論であり、中国でウイグル人や南モンゴル、チベット人に加えられているそれとは比較にもならないはずです。

◎フランス、ドイツ(ソ連に融和的)とポーランドなどのNATO内の乱れ
 プーチンはウクライナのNATO加盟を批判し、それによってモスクワまで数分で届くミサイルがウクライナに配備される危険性を語っていますが、これも論理のすり替えとしか思えません。現在バルト三国はNATOに加盟しており、もしそこにミサイルが配備されれば状況は全く同じです。むしろ私には、バルト三国や、下手をするとポーランドすらプーチンは少なくともNATOから離脱させたいと考え圧力をかけるつもりではないかとすら勘ぐってしまいました。ただ、良し悪しは別として、NATO内部の足並みの乱れをプーチンなりについている面はあるのではないかと思います。

 今話題になっているミンスク合意は、私の印象ではオバマ大統領以上に、ドイツのメルケル首相らが尽力して結んだもののように思います(その是非はここでは議論しません)。ポーランドやリトアニアなど、ロシアやプーチン政権への批判意識が強い国ばかりではなく、例えば英仏はこれまで、プーチンを支持しているわけではないのですが、ヨーロッパの平和を守るためには現実的にはロシアと話し合うしかない、妥協点を探るしかないという立場だったように思います。

◎アメリカ世論の明確な変化 「世界の警察官」の放棄 
 トランプが大統領ならこの戦争を防げたのではないかという意見もありますが、私は根本的には、アメリカ国民の意識が、少なくとももはやアメリカが世界の警察官のように各国に出ていくこと、戦争や対立に干渉することに消極的になっていることは事実だと思います(だからこそトランプ政権が登場したともいえますし)。今のプーチン氏の行動をアメリカの多くの国民は反対かもしれませんが、だからと言って、軍事力まで駆使してウクライナを救おう、という行動を求める人は多数ではないでしょう。それよりも、まずアメリカは国内の分断や経済問題を何とかしてほしいというのが、少なくとも過半数の世論ではないでしょうか。

◎ベラルーシからのロシア軍侵入(極東方面軍の派遣)と憲法改正 中立条約の破棄と核保有、大統領任期延長(独裁国の連帯)
 今回、やはり長期独裁体制が続くベラルーシからもロシア軍が侵攻しました。確か、このベラルーシでは、2月28日に、憲法改正のための国民投票が行われる予定ではないかと思います。そして、その改正案では、大統領の任期延長などもありますが、それまでの、外交における中立政策、また、国内に核兵器を持ち込ませないなどの条文がすべて削除されるはずです。これは明らかに、ロシアとの軍事同盟、又、場合によってはロシアの戦術核配備を認めるための改正でしょう。

 本日は、カンボジアの民主化を求める方も参加してくださっております。これはカンボジア国や国民ではなく、あくまで、今の政権についてですが、今のカンボジア政権が事実上中国政府に支配されているように、腐敗した独裁体制は、結局、中国やロシアのような強権的な国々の支援で支えられ、その手先となりかねないのですね。私たちが、ベラルーシやカンボジアなど遠い国の出来事で、独裁政権があっても関係ない、と思っていたら、その国を基盤に、更に強い独裁体制が勢力を広げていくことを忘れてはならないはずです。

◎ソ連に打ち勝った国フィンランド(戦争と外交の両面での戦い)
 ここで、第二次世界大戦の時代に、ソ連の侵略に打ち勝ち、少なくとも主権を守ったフィンランドについてお話いたします。
 1939年11月26日午後、カレリア地峡付近のソ連領マイニラ村でソ連軍将兵13名が死傷する砲撃事件が発生したとソ連側は発表しました(マイニラ砲撃事件)。実はこれは、実際には、ソ連が自軍に向けて故意に砲撃したのをフィンランド軍の仕業にして非難し、この攻撃を国境紛争の発端に偽装したものです。ソ連は少数の共産主義者を中心に、12月1日、「フィンランド民主共和国」を造り上げ、侵略を正当化します。フィンランドは激しく抵抗し、世界が称賛する勝利をいくつももたらしましたが、他国からの具体的な軍事的支援はほとんど得られず、1940年3月、ソ連の多くの要求を呑む形で和平を結ぶしかありませんでした。

 第二次世界大戦中、フィンランドは「冬戦争の継続」「不当に奪われた領土奪還」をテーマに、ドイツ軍のソ連侵攻と共に開戦します。連合国はナチスと結ぶフィンランドを批判しましたが、当時ナチスドイツ以外にフィンランドには味方がいませんでした。しかしその後、ナチスの敗北が濃厚になった時、当時のフィンランドの大統領リュチは、自分の責任でナチスからの軍事支援を取り付けてソ連の攻撃を防ぐとともに、いくつかの勝利を得て、ソ連軍を食い止めた後に辞任、ナチスとの同盟はすべて自分の判断であるとして、戦後は責任を取り「戦犯」として獄に下ることで、自らを犠牲にしてフィンランドの主権と独立を守りました。私たちは、自らの国の独立と主権、自由と民主主義を守り抜くことがいかに難しいかを考えると共に、目の前の独裁者の侵略に抗議しなければ、いつか自分たちも侵略されるという現実も忘れてはならないでしょう。



 ウクライナ人が最も愛し、民族の誇りとしている詩人のひとり、タラス・シェフチェンコ(1814~1861)。
「シェフチェンコ詩集 コブザール」(藤井悦子訳 群像社)

 シェフチェンコはウクライナ農奴の家に生まれ、周囲の理解と才能から自由の身となりましたが、生涯、ウクライナの民族精神と、社会の中で見捨てられた人々への思いを歌い続けました。農奴制とロシア帝政の専制を批判、又ウクライナ語で詩を書き、ウクライナ民族の文化と歴史を讃えたことなどから逮捕され、流刑の身となり、47歳で亡くなりました。

 ここでは、シェフチェンコの詩を二つ紹介します。
 ウクライナの誇りを守り続け、専制に抗し続けた詩人に敬意を表します。

遺言
私が死んだら なつかしいウクライナの
広々とした草原にいだかれた 高い塚の上に 葬ってほしい
果てしない野の連なりと ドニエプル、切り立つ崖が
見渡せるように 猛り立つとどろきが聞こえるように
ドニエプルの流れが ウクライナから敵の血を
青い海へと流し去ったら その時こそ 野も山も
すべてを棄てよう
神のみもとに翔けのぼり、祈りを捧げよう・・・・
だがそれまでは わたしは神を知らない
わたしを葬り、立ちあがってほしい
鎖を断ち切り 凶悪な敵の血潮で
われらの自由に宣誓を授けてほしい
そして、素晴らしい家族、自由で新しい家族に囲まれても
私を忘れず、思い出してほしい
こころのこもった静かなことばで 


全ての者に、自分の運命があり 自分の広い道がある
ある者は築き、ある者は破壊する
ある者は貧欲な眼で 世界の果てまでにらんでいる
奪い取って自分のものにし、棺桶の中まで持っていけるような
そんな土地がどこかにないものかと
ある者は、仲人の家に押しかけて カードで身ぐるみはがしてしまう
ある者は、部屋の片隅でこっそりと 兄弟を殺める刃を研いでいる
同胞は目を大きく見開いて 子羊のように押し黙っている
もし喋らせたら なるべくしてなった、と言うだろう
なるべくしてなった!天には神はいないのだから!
君たちは、軛につながれながら それでもあの世に
楽園のようなものを求めているのか?
そんなものはありはしない! 求めても無駄だ、目を覚ませ
この世に生きるものは
皇帝(ツァーリ)も乞食も
アダムの子孫なのだ

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