【第53回・動画あり】ペマ・ギャルポ会長 チュイデンブン理事「チベットとウクライナ」

3月19日に行われました「チベットとウクライナ」講演会の動画です。


チベットとウクライナ 講演会報告
(ペマ・ギャルポ会長講演要旨)

1950年のチベットと現在のウクライナ

 本稿執筆時(3月9日)、ウクライナでは今も戦争が続いている。ロシアのプーチン大統領が、主権国家に対し侵略を行ったことはいかなる意味でも正当化はできないし、多くの悲劇的な映像を見れば胸が痛む。しかし、私たちは、単にロシアの姿勢を批判することにとどまるのではなく、この戦争からいかに教訓を引き出し、我が国の主権と平和を守り、独裁体制に対峙していくかを冷静に学んでいかなければならないはずだ。

 まず私が一人のチベット人として思うことは、1950年代、中国の侵略に直面したチベットも、ある意味ウクライナと極めて近い状況にあったことである。我がチベットも当時、例えば民主主義諸国に支援を求めた。国連にも訴えた。しかし、同情してくれる国はインドなどあったにせよ、軍隊を送ってまで助けてくれる国はなく、国連も非難決議はしても、実効力は持たなかった。これは国際社会を批判しているのではない。他国のために国益を捨て、血を流してくれる国など本来は無くて当然なのだ。

 そして、当時チベットは、事実上軍事力を持たなかった。チベット人は刀や古い銃器を持ち、死を恐れず戦う人は沢山いたが、勇気だけでは大国の侵略には勝てない。私は侵略を正当化するのではなく、それをいかに防ぐかを、大国に隣接する国々は真摯に考えなければならないことを訴えたいのだ。

平和への幻想が侵略者を助ける
 ソ連が崩壊し、ウクライナ共和国が独立した1991年の段階で、ウクライナは、約800万の軍隊と、1240発の核弾頭と176発の大陸間弾道ミサイルという、当時世界第三位の規模の核兵器を保有していた。しかし、当時のウクライナ政府は、米露両国の圧力もあり、また、何よりも、ソ連解体以後、世界に平和が訪れるという一方的な期待感から、核兵器の完全放棄と軍縮を受け入れてしまった。

 しかし、ソ連の崩壊も冷戦の終結も、平和の訪れでは全くなかった。むしろイデオロギーの対立ではなく、各大国の覇権争いや、それまで抑えられてきた各民族紛争の噴出による「熱戦」の時代を世界は迎えたのだった。ウクライナが軍縮と核放棄の見返りとして当時得ることが出来たのは、単なる言葉だけの米露からの「国境不可侵」の約束だけだった。そして今ロシアは、ソ連解体時のNATOの約束(これも口約束にすぎなかったが)である「東方拡大はしない」という言質が破られたとして自らの行為を正当化している。それぞれの言い分は身勝手なものだが、これが国際社会の現実である。

 ウクライナの核放棄は、ある意味日本にとっての大きな教訓である。核武装の是非は様々な意見もあろうが、少なくとも、その議論を含め、世界は少なくとも軍事バランスによって平和が保たれているという現実を無視してはならない。

政治家の役割とポピュリズムの危険性
 今、ウクライナのゼレンスキー大統領は、確かに国難の中よく戦っている。愛国者であることは理解できるし、困難な状況下、国民に勇気を与えていることも確かだ。現在ウクライナは確かに追い詰められているかもしれないが、実は、プーチン政権にせよ、国内外、特にロシア政府に近い立場の有力者たちが、これ以上の経済制裁が続くのならば、かってフルシチョフを追い落としたように、プーチンを引きずり下ろす行動に出る可能性もある。ゼレンスキーの抵抗が、長期的にはロシア政権を揺るがす可能性は(かってのアフガンがソ連の命取りとなったように)皆無ではないのだ。

 しかし同時に、ゼレンスキー大統領は、もともと俳優出身で、政治家としては正直なところまだ経験不足の面がある。今回の戦争においても、ロシア側の交渉がいかに無理筋の条件を付けて来たものであったとはいえ、少なくとも対話の場を維持し、交渉を優位に運ぶような外交力が、西欧諸国が団結しロシアに対峙している今は必要なのだが、少なくとも報道を見る限り、ゼレンスキーは原則論を振りかざすだけで、外交的努力を十分果たしているとは言えない。私は、今、侵略国との戦場にあるゼレンスキー大統領を貶めるためにこう述べているのではない。ロシアとの緊張が続き、いつ戦争が起きてもおかしくない状況下にある時、民主主義国の国民は、国家主権を守るためにも、選挙においては慎重な投票行動が必要であり、外交問題、防衛問題を真摯に問う政治家を選ばなければならないのだ。

ウクライナから考える今後の世界
 今、中国は一見ロシアに協調しているかにも見える。しかし、歴史的にも、ソ連時代から常にこの両国は一触即発の関係にあり、単にアメリカや西欧の批判に対して共同戦線を張っているだけで、本質的な信頼関係はない。中露の連携を恐れるよりも、日本がより警戒すべきは、現在、中国はロシアとアメリカ双方の弱体化を狙っており、そのすきに世界にますます覇を唱えようとしている現実である。

 アフガニスタンでタリバン政権が登場したように、今、中東のアラブ諸国は益々中国寄りになっている。これには理由があり、アメリカや西欧諸国が、上からしばしば民主主義を強要することが、かえって反米意識を生み、中国への共感を導いているのだ。

 自由民主主義も、民族自決権も、もちろん普遍的な理念である。しかし、それを各民族や各国の状況や歴史伝統を無視して、一方的に強要し、しかもアフガンに代表されるように、国民からの支持も薄い、単にアメリカに追従するだけの現地指導者をリーダーに据えるようなやり方では、現地民衆の共感を得られるはずがない。

 日本は今、自らの国防と、中国の覇権主義、そしてアメリカをはじめとする民主主義国の混迷といった、様々な問題に立ち向かわねばならない時なのだ。ウクライナで戦禍の中犠牲になっている民衆を救うと同時に、日本は、我が国に同じような悲惨な事態を迎えないために何を為すべきかを、真摯に考えるべき時である。(終)

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