【報告】出雲市での講演会「南モンゴルは負けない!」

出雲市で行われました中国支部の講演会について、三浦事務局長がFacebookに投稿した文書と「統一日報」に出た記事リンクを紹介いたします。



統一日報・記事
http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=89915


出雲市民会館での「南モンゴルは負けない!」は、参加者は約40人でした。何よりも、石飛博雄さんという素晴らしい人を(しかも出雲市在住)をご紹介できただけでもとても意義深いものだったと思います。

石飛さんは、1971年に独立したバングラデシュに、75年から支援のため訪れました。バングラデシュは独立戦争の時代に、戦争と難民流出の中百万人以上の犠牲者を出しています。実はこの75年は、独立の英雄であり初代大統領だったムジブル・ラフマンが暗殺された年であり、石飛さんはその知らせに衝撃を受けたと語っていました。
石飛さんは若いころから、頭山満や内田良平、玄洋社などのアジア主義に共感しており、また、三島由紀夫の楯の会に属していた方がバングラデシュの孤児支援なども行っていたことから、自分も現場で支援活動をすることを決意して同地に赴きました。
自分のことは基本的に語らない方ですが、現地での孤児院で、軽々しくは言えないほど立派な活動をしてきています。また、孤児たちに技術を学ばせるために日本に招致、次の世代のバングラデシュ国民としての教育活動にも携わってこられました。ただ、この日も自分の業績ではなくバングラデシュのことを中心に発言されました。
石飛さんによれば、当時バングラデシュでは、亡命チベット人部隊がインドから出撃し、バングラデシュ独立運動にかかわったことは、あちこちでうわさになっていたとのことです。事実、インドに亡命していたチベット人たちは、1960年代、ゲリラとしてしばしば中国国内に潜入していました。その彼らが、バングラデシュ独立戦争にも参加していたのでした。
そして、独立後も様々な苦難がありましたが、基本的には、宗教的にも寛容で(イスラム教が多数派ですが、仏教寺院も立派なものが建てられています。独立当初から、政教分離を国是として挙げていました)とても親日的な国だと紹介し、もっと日本との関係が深まってほしいと語りました。
そして、バングラデシュはパール判事の生まれた地域でもあり、判事の解説書を出された田中正明氏、自民党の早川崇氏など、多くの日本の有識者がこの独立を支持し、日本は最も早い段階でバングラデシュを国家として承認した国の一つでした。当時、インドはむしろソ連に近かったため、アメリカはこの独立戦争に冷淡であり、むしろパキスタンに好意的だった中、戦後日本の独自外交としてこのことはもっと評価されていいことです。(中国はもちろんパキスタン支持)
石飛氏のように、現場でアジアの人たちを救援するため活動している人は今でも沢山いるのでしょうが、真摯に活動した人ほどあまり語ろうとされません。南モンゴルのダイチン氏が、基調講演でモンゴルの現状を報告し、モンゴル語が滅ぼされようとしている現実を語りましたが、石飛さんは、バングラデシュの独立運動も、民族の言語が否定されパキスタンの言葉を強制されたことへの抗議から始まったと語り、ダイチン氏を励ましてくださいました(文責 三浦)

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