【動画】 「日中双方の立場から考える中国民主化運動の歴史と現在」王戴氏

2022/06/25に行われました、王戴氏と三浦事務局長の対談形式による「日中双方の立場から考える中国民主化運動の歴史と現在」の報告です。


アジア自由民主連帯協議会講演会報告
日中双方の立場から考える 講師 王戴(民主中国陣線) 聞き手 三浦小太郎

 6月25日、東京の会議室にて、中国民主運動家の王戴氏が登壇、三浦事務局長が聞き手の形で講演会が開催されました。参加者は約20名。

 まずペマ・ギャルポ会長があいさつしたのち、三浦から、1971年に発表された「劇画毛沢東」という漫画が紹介されました。作者は著名な漫画家藤子不二雄さん。この漫画では、毛沢東が農民革命の優れた指導者として、また、人格的にも高潔な英雄的人物として描かれています。三浦は、このように毛沢東が理想化されて受け取られ、劇画でも描かれていた時代がついこの前まであったことに触れ、ここ日本においての中国共産党幻想がいかに強かったかを指摘しました。

 続いて、王戴氏が、まず自分の生い立ちについて触れました。王戴氏は、自分がイスラム信仰を持つ回族の出身であることを自己紹介したのち、1989年、天安門事件の1か月後に日本に来たことをまず述べました。

 王戴氏は、1989年の民主化運動の時代には、北京だけではなく、中国全土に展開されており、主要都市のほとんどでは、学生と市民が民主化を求めて立ち上がっていたと述べました。その時、自分はもう日本留学が決まっていたけれど、自分の出身地であるハルピンは、日本への留学は、ビザ申請の手続きを北京か瀋陽の領事館で行わねばならかった。4月ごろ、王戴氏は瀋陽でビザ申請をしたあと、北京に行き、6月2日、国際空港のチケットを買うために北京にはいり、天安門事件直前の、軍隊が配置され、戒厳令が敷かれている様子をまざまざと見た。そして、ハルピンに戻った後、天安門事件が起きたことを知ったと述べました。

 しかしその当時は、この事件は中国のテレビでは「反革命暴乱」事件であり、実際に虐殺が行われたことは全く報じられず、自分では何が起きたのかすぐにはわからなかった。6月末に留学で日本に来て、何が起きたのかを初めて知り、仲間たちがこんなにひどい目にあって殺されていったのだということを初めて知ったと述べました。

 そして、王戴氏は、日本で1990年、91年あたりに、天安門事件への抗議デモや大使館抗議、また集会などに参加したけれども、その時は積極的にかかわるというのではなかった。それは正直、この天安門事件の、特に指導者たちに対して少し思うところがあって、運動に参加するのをためらう面があったと王戴氏は述べました。それは、天安門事件の指導者たちが、王丹氏を除きほとんど全員、台湾や香港経由で、第3国に事件直後に亡命していたことに対し、なぜ、彼らは市民を、学生を捨てて逃げたのか、当時は理解できなかったので、少し参加をためらっていたことを率直に認めました。

 ここで三浦より、当時、日本での民主化運動を行い、また、おそらく初めて政治難民として日本で認定された趙南氏のことが紹介されました。日本における民主化運動の資料の一つとして、1998年の趙南氏の講演記録を紹介します。


趙南さんの講演から
(前略)
改革開放と労働者の権利剥奪

中国の社会主義は政治面における独裁と経済面における一定の自由です。しかし、鄧小平の経済と政治を切り離した政策は、非常に大きな問題をはらんでいました。というのも「改革・開放」経済が進む中で労働者の権利が保障されなくなっているからです。
 最近の新聞で、香港の投資家が中国に建設した工場での事件を扱っていました。それは、その工場で働く中国の労働者が物を盗んだのではないかと経営者が疑い、労働者に体罰を加え死亡させてしまったという事件です。
 経営者は警察の取り調べを受けた際に、警察が「香港でも労働者にこんなことをするのか」と聞いたところ、「香港労働者は物をとらない」と述べたといいます。中国の労働者は、ストライキなどを行なうことも全く保障されていない中で、経済的な権利によって自らの生活さえ守れないという状況です。
 中国の中で一部の人間が豊かになっていることは知っていると思いますが、その一部の人間とは中国官僚と非常に関係の深い人間です。この一部の人間が新たな資産階級となりつつあります。労働者は経済改革の犠牲になったといえます。
 中国では大量の「失業者」がいます(中国では「失業者」とは呼びません)。しかし、中国の労働者は自分たちで労働組合を結成する権利が保障されていません。多くの工場が倒産する中で労働者は街頭に放り出されますが、工場主や官僚に責任が及ぶということはありません。
 労働組合を結成する権利やデモをする権利をもつためにも政治的な権利を求めるべきです。というのも自らの政治的権利を守ることができなければ、経済的権利をも守ることができないからです。

78年「北京の春」から今日まで

 中国の民主化の要求は78年に起こりました。北京をはじめ中国各地で民主化の運動が起こりました。言論、出版の自由を求める運動です。いわゆる「北京の春」と呼ばれているものです。
 私はその運動に参加していました。中国の民衆の生活が向上するためには中国国内の政治改革を進め、民衆的なメカニズムを確立することが重要であると考えていました。「北京の春」に関わっていたのは文革時代に中学生だった世代が中心でした。
 「北京の春」の運動は政治的な運動以外のさまざまな分野から要求を掲げて登場するようになりました。「民主の壁」には芸術家なども多く存在し、「現代芸術をすすめよう」などという要求もありました。
 鄧小平は「四つの現代化」という要求を掲げたのですが、この運動の中で魏京生は五つ目の現代化として「政治の現代化」を掲げました。この要求は中国共産党の独裁体制にまで改革をというものになっていました。それに危機を感じた鄧小平は、81年までに政治的な要求を掲げる出版物に弾圧を加えました。
 さまざまな出版物が弾圧の対象とされました。しかし、文学や芸術に掲げられた要求である現代化は受け入れられました。現在、中国の中で有名になった人々のなかには、78年の運動に参加している人がいます。78年のときには魏京生なども労働者として登場していました。学生などもいましたが、それほど多くはありませんでした。
 78年から90年にかけて多くの学生が民主化運動に参加するようになりました。89年には多くの学生が参加しましたが、学生以外のインテリが参加するということはありませんでした。
 現在の民主化運動の中で多くのインテリが参加しています。78年から現代に至るまでに、民主化の意識が多くの民衆に受け入れられるようになっています。多くの人の意識のなかに民主化が浸透する中で、政治的な要求を掲げる人々がこれから増えるのではないかと思います。これまで国内の民主化運動について語ってきたのですが、国外でも中国の民主化運動は闘われています。このような国内外での中国民主化の運動によって大きな改革ができるのではないかと思います。
https://www.jca.apc.org/~monsoon/china05.htm
(アジア連帯講座における趙南氏の講演録から、全文はリンク先で)


 そして王戴氏は、日本で生活のために会社を起業し貿易関連の仕事をしていたが、直接、民主化運動に参加しようと決意したのは、実は叔母のことがあると述べました。自分の叔母は、1998年ごろ、夫を亡くし、精神的にかなり落ち込んだ時期があった。叔母は共産党員でもあり、軍の幹部でもあったのだけれど、信頼する夫を失い、共産党の言う宣伝も信じられなくなって、ハルピンにあるロシア正教、東方正教に入信したけれど、そこでも精神的な安らぎを得ることが出来ず、その後、法輪功と出会った。

 そして、法輪功の気功を学ぶ中で、心身の健康を取り戻し、熱心な修練者になった叔母は、共産党を脱党し、共産党を批判するようになって、結局逮捕され、投獄される事件が起きた。これも、自分が民主化運動に本格的な民主化運動、反中国共産党運動に参加しようと決意する大きなきっかけになったと王戴氏は述べました。

 そして王戴氏は、自分自身は法輪功を信じる立場ではないが、彼らが中国共産党からひどい弾圧を受けていること、そして、自分の叔母のように、精神的に苦しみ、中国共産党の宣伝をすでに信じなくなっている人に対し、心の支えになっていることは認めていると述べました。

 しかし同時に、運動に参加してみてわかったことだが、民主化運動の中にも問題は確かにあると王戴氏は指摘しました。それは、言葉の上では民主主義や自由、人権の大切さを皆語るのだが、自分たちは共産党の独裁体制下に生まれ、その思想教育の影響を受けて育っている。たとえ共産主義を否定、批判しても、どこか共産党の組織の作り方、上からの命令への服従、非民主的で秘密主義的な組織運営などを引きずってしまっている面がある。中国民主化運動そのものを、もっと民主的な、開かれたものにしていかねばならないと述べました。

 そして、海外、特にアメリカの中国民主化運動や、それを支援する人たちの言動から学ぶことは、中国共産党の問題と、中国人民の問題を明確に峻別することの重要さであって、中国を民主化するためには何よりも共産党独裁政権の打倒が重要で、一般の中国人民を敵とみなしてはいけない、各民族は、漢人も含め色々な民族的な個性や欠点もあるかもしれないが、まず、中国共産党打倒と民主化実現を目指して団結していくべきだと述べて講演を終えました(文責 三浦小太郎)

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