アジア自由民主連帯協議会主催講演会
野村旗守氏が明らかにしたアジアの諸問題 報告
11月30日、東京市ヶ谷の会議室にて、11月に58歳で亡くなられた野村旗守氏を追悼する講演会「野村旗守が明らかにしたアジアの諸問題」が開催されました。講師は協議会事務局の三浦小太郎。今回は講師と報告者が同一ですので、講演内容をここで要約して掲載します。
まず、私(三浦)が野村氏と出会ったのは、確か1998年か99年のころでした。そこから約20年間のお付き合いとなりました。最初にお会いしたのは、在日韓国人女性で、兄が帰国者として北朝鮮に渡り、おそらく収容所で殺された、チョヘンさんの紹介によるものでした。チョヘンさんは最も早い時期から、実名と顔を公開の場に出して北朝鮮の人権問題を告発し、独裁体制打倒を訴えた人で、この時期野村さんはこの方をはじめ、多くの在日韓国・朝鮮人を取材していたのでした。私、チョヘン氏、野村氏で、確かチョヘンさんのご自宅近くのお店でお会いしたような気がします。
そして、当時は万景峰号という、北朝鮮の船舶が堂々と新潟に寄港していました。この船に乗って工作員が上陸し、かつ、多額の金銭が北に運ばれているはずだとチョヘンさんは力説し、直ちに入港を禁止すべきだとチョヘン氏は訴えていました。
野村さんも原則賛成ではあったのですが、その時野村さんが言った言葉、正確ではありませんがとても印象的だったのを覚えています。
「僕は、(北朝鮮にいる)家族を助けようと思って必死でお金を送っている在日の人を批判する気はないんですよね。この問題(北朝鮮への送金)の本質はもう少し別のところにあるので」
そして、野村さんが、実際に複数の朝鮮総連幹部と徹底的に時間をかけて話し合い、インタビューしたものをノンフィクション小説という形で(当時は、いや今も、朝鮮総連の人たちが公的に名前を出して内部告発することはほとんどできませんでしたから)まとめあげたのが、1999年に発表された「北朝鮮送金疑惑」でした(その後、増補改訂版が文春文庫から2003年に再販されました)。そして、その取材過程で出会った朝鮮総連の財務局幹部、韓光煕氏の回顧録の形で、赤裸々に朝鮮総連の犯罪を暴いたのが「わが朝鮮総連の罪と罰」(文藝春秋)です。野村さんの本といえば、まず、この2冊をお勧めします。
この2冊の本で、私が本当に驚かされるのは、朝鮮総連の人の本音をここまで引き出した野村氏の取材力です。いや、正確に言うと、取材力というより、これはある種の「人間力」ですね。野村氏にお会いしたことのある方なら理解いただけると思いますが、野村氏は、どこか相手を安心させる、心を開かせるようなオーラを持っていました。この人は自分の話をきちんと聞いてくれる、たとえ意見は違っても尊重してくれる、自分の悩みを理解してくれる、そんな風に思わせる雰囲気を持っていたんです。そうでなければ、生涯を通じ、ある意味に本を「敵」とみなしてきた総連の人が本音を吐くわけがありません。
朝鮮総連の、特にまじめな活動家は、生涯をかけて、朝鮮半島を社会主義の名のもとに統一するのだという信念を持って活動してきました。しかし人生の晩年になって、その思いは見事に裏切られた。自分たちが理想の祖国としてその命令を信じ実行してきた北朝鮮は、国民を食べさせることもできず、子供たちが餓死するような国になってしまった。総連の中にも、このような現実を直視し、総連を改革しよう、せめて北朝鮮に従属している今の状態を変えようという人たちが出てきたわけです。そして、その人たちは、朝鮮総連の組織の中から総連を変えるのは難しい、日本のジャーナリストに情報を出し、外からも総連を揺さぶっていかなければならない、と決心して、野村さんに自分たちの思いを語り始めた。その結果出来上がったのがこの2冊です。
そこで明らかになったのは、日本の総連関係者から北朝鮮への送金は、朝鮮総連関係者の自発的なものよりも、パチンコ店などの企業から、ほとんど詐欺のように総連が奪い取ったものが送られていたことでした。詳しくはこの2冊を読んでほしいのですが、これまで漠然と考えられていた、祖国を愛し共産主義革命を信じるがゆえに北に送金する、家族が帰国者として人質に取られているから送金するというだけではなく、おそらくそれより巨額の金銭が、詐欺や、朝銀預金の預金者にも告げずに勝手に引き出され送金されていたのでした。総連は、在日を守るどころか、彼らの搾取者であったのです。
そして、韓光煕氏の本が明らかにしたのは、ここ日本の海岸に、北朝鮮からの工作船の上陸ポイントを30数か所も決定し、それを本国に伝えていたことです。これは拉致だけではなく、工作員の日本への上陸、その後の総連の誘導による工作に活用されていたポイントであり、外部からは見にくい入り江、人通りの少ない場所等は、日本に住んでいない限りわかりませんから。さらに、韓国民主化運動に総連が与えていた影響についても露骨なまでにその「洗脳」が書いてあります。これらの仕事はいずれも小泉第一次訪朝以前の先駆的なものでした。
そして同時期の2003年、野村氏は「Z(革マル派)の研究」という本を月曜評論社から発表しています。内容は旧国鉄における革マル派の組織が、分割民営化後も温存させたことと、その危険性を告発したものですが、私個人はこの本を別の視点からとても興味深く読みました。
野村氏は、革マル派の指導者だった黒田寛一と彼の理論を簡潔に紹介しています。黒田はもともと文武両道の明るい青年だったのですが、病気で視力に障害をきたした後、今でいう引きこもりになり、そこで黙々とマルクス思想を学ぶ中で自分の思想を作り上げます。しかし、それは根本的に「疎外」と「憎悪」の概念に根差したものでした。
資本主義社会は、人間を階級で縛り、金銭と契約万能の社会の中で連帯感を無くして孤立化させる。高度に資本主義が進んだ世の中では、人間が連帯して決起するような社会変革や革命は起こりえない。ここから、黒田の革命論は、ごく少数の目覚めた前衛組織が、社会に混乱を引き起こすことによって、社会を揺さぶり状況を変えていくことを目指すようになります。自分自身が社会から孤立している、社会から疎外されているという意識が、逆に社会への憎悪、その社会で生活している人たちを愚かで目覚めていない存在と決めつける前衛意識を生み出す。これが左翼思想、いや、しばしばあらゆる反体制思想を退廃させ、陰謀論や悪しき工作活動、社会の改革ではなく混乱と破壊を目指す運動に陥る思考なのだということが、この本からは読み取ることができました。これは現在のネット上の様々な陰謀論にも共通する構図のように思われます。
そして2011年、野村氏は「斎藤将司」という興味深い人物についての論文を書いています。雑誌正論に「市民の党『斎藤まさし』の正体と民主党」という名で寄稿されたものですが、この斎藤氏は、菅直人氏との関係や、最近では山本太郎氏のブレーンとしても知られていますね。しかし、野村さんほど深く斎藤氏の発言や行動を調べ、当人にも取材した人はいないと思います。
この斎藤氏は、かって新左翼セクト「戦旗派」を率いた荒岱介氏との対談で、マルクス主義革命を捨ててエコロジーを目指していた荒氏に対し、自分は断固として毛沢東主義や革命を目指すと断言していました。そして口だけではなく、フィリピンでマルコスを追い落とした革命のさなかには、反マルコス派の連帯形成に尽力し、結果として、米軍基地を一時フィリピンから撤去させることにも成功しています。そして、かつてのようなデモやゲバルトは日本では効果がない、選挙による政権交代を社会変革につなげるしかないと、民主党政権の実現のためにも動いていました。野村氏はこのような人物を通じて、日本の政権交代や、政治改革、またさまざまな人権運動や平和運動が、中国や外国に利用されていく、本来の目的とは異なる政治利用をされていくことを警告したのでした。
野村氏のもう一つの仕事は対中国問題でした。「北京オリンピック後に中国は崩壊する」「中国経済は必ず破綻する」といった、いわゆる中国崩壊論がいかに根拠のないものか、そのような言説が、かえって現状を見誤らせるか、その視点から野村氏が、現実の中国人のインタビューを通じて、なぜ中国が様々な矛盾を抱えながらも崩壊しないのかを指摘したのが「中国は崩壊しない」(2011年,文藝春秋)でした。ここで野村氏は、中国民衆がむしろ独裁体制を望んでいる面があること、全体主義体制の強靭さと恐ろしさを説きました。そして野村氏が晩年、そのような強大な中国に対し、ジャーナリストではなく、運動家の道をあえて選んで、その国家犯罪である臓器収奪を告発したのが、SMGネットワーク(会長 加瀬英明)の事務局長に就任しての活動でした。
告白しなければなりませんが、私はこの運動に関しては、野村さんはあくまでジャーナリストに徹するべきではないか、特にこの臓器収奪問題は法輪功が中心となって活動している、特定の団体とともに政治運動をしているように見られるのは誤解を招くのではないかと、正直、消極的な立場でした。しかし私のこのような言葉を聞いて、いつもは冷静な野村さんが、この時だけははっきりと反論したのです。
「この国家犯罪は、中国の経済的利益と深く結びついている。しかも、日本人も、ドナーを求めて中国での移植手術を受けている人がおり、ある意味この犯罪の共犯者となっている。将来この臓器収奪の実態がすべて明るみに出れば、ナチス以上の犯罪を世界が看過していたこと、その責任を問われるかもしれないレベルのことだ」
「法輪功をどう思うかとか、証拠が十分かとか、そのようなことでためらっている場合ではない。法輪功の思想や信条は、彼らが被害者であるという事実とは関係ないし、中国政府が国家ぐるみで行っていることの証拠が100%確実なレベルで簡単に明らかになるものではない。しかし、二次情報や証言はいくつも出ている。日本の国会議員が、与野党問わず、この問題に声を上げなければ絶対におかしい。」
野村氏は、その早すぎた晩年、このSMGネットワークの運動に献身的に取り組みました。与野党を問わず色々な政治家に呼び掛け、院内集会なども企画しました。そして、この問題を取り上げないばかりか、むしろ隠蔽し中国の臓器収奪による移植を美化するかのようなテレビ番組に抗議したのが、野村さんが編集した「中国臓器移植の真実」(集広舎)でした。2021年に発表されたこの本が、野村さんの最後の仕事になってしまいました。
野村旗守さんは2011年に、ミニコミ誌「光射せ」(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)のインタビューで、自分は何よりも今は、日本が強くなること(軍事であれ、情報収集であれ、また外交力、国内経済であれ)を目指したいと訴えていました。しかしそれは「日本が強くならなければ、弱い人、今弾圧されている人たちを助けることもできない」というはっきりとした意識に基づくものでした。野村さんは実は核武装論者でしたが、それは、今の日本は事実上アメリカの従属国であり、アメリカがこれ以上弱くなれば今度は中国の支配下に置かれる危険性がある、そうなる前に、日本は軍事的にも断固として自立しなければならないという意識からでした。北朝鮮の拉致被害者を助け出すには、日本国が、北朝鮮の幹部クラスを逆に拉致できるくらいの工作ができるようにならなければならない、といったこともあります。それは半分は冗談でしたが、ある意味、本気でもありました。野村さんにとって、国が強くなることとは、あくまで、弱いものを助け、守ることができる国を作り出すことでした。この意思は、アジアの民主化を目指すうえでも、決して忘れてはならない視点だと思います。(文責 三浦小太郎)