【報告】カンボジア自由民主の集い

カンボジア自由民主の集い 報告
アジア自由民主連帯協議会事務局

 12月1日、衆議院第二議員会館特別面談室にて、午後1時には報道関係、午後4時からは議員並びに報道関係向けの「カンボジア自由民主の集い」が開催されました。ここでは午後4時からの集会の模様を報告します。

 主催:カンボジア自由民主の集い実行委員会
 委員長並びに司会進行 あぼともこ(利他利他有興会 井本勝幸応援隊)
 協力団体:アジア民主化運動 中朝人権問題を糺す会埼玉・茨城

 この集会には、立憲民主党の源馬謙太郎衆議院議員、自由民主党の上野宏史前衆議院議員が参加されました。まず、在日カンボジア救国活動の会副代表、森・ポーラ氏による開会あいさつののち、カンボジアの野党であるろうそくの灯り党副党首のタッチ・セター氏が基調講演を行いました。

当日の報告に使用された資料(PDF)
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 セター氏はまず最初に、この場に、与野党両党の議員経験者が同席していること、それ自体が感動的なことだ、日本では当たり前のことかもしれないけれど、フン・セン独裁下の現在のカンボジアではありえないと述べました。

 そしてカンボジアにおいては90年代から、国民党、98年のサム・レンシー党、2012年の救国党など、様々な野党が作られてきたが、それはいずれも政権からの脅迫や弾圧を受けてきた。国民党結成時には、党名を書いた看板が破壊され、政府を批判するジャーナリストや新聞の編集長らが襲撃を受け、多くの人が犠牲になったのに犯人はほとんど捕まっていない。98年、クメール党はサム・レンシー党に改名し、さらに2012年には人権党と連携し救国党を結成、2013年7月の国民議会選挙では約300万票(44.46%)を獲得し55議席を獲得したことをセター氏は報告しました(与党人民党は68議席)。

 しかしこの選挙では、1割以上の有権者が有権者名簿の不正によって投票できなかった他、実在しない「幽霊」有権者や名前の重複などを利用した人民党による不正選挙の疑いがあり、救国党は抗議し一時は国会での質疑をボイコットしました。その後、2014年の与党(カンボジア人民党)と野党・救国党が、選挙の不正をなくすために、人民党が指名した委員と救国党が指名した委員各4人、そして両者が指名する中立な立場の委員の計9人からなる選挙管理委員会の設置、投票人登録の電子データ化による不正防止策の実施などが決められました。この改革が初めて実施される予定だったのが2017年の地方評議会議員選挙で、ここでは救国党は得票率43.8%で,5007議席(全議席の43.3%)を獲得しました。

 ところが救国党への国民の支持が自らの政権を脅かすことを恐れたフンセン政権は、ケム・ソカー救国党党首を、オーストラリアでの在豪カンボジア人を前にした演説で「我々には民主主義国家がついている」と述べたことを、外国の力を借りて国家を転覆させようとした罪だときめつけ、逮捕し、さらに救国党を解散させ、解党と党指導部など118人もの政治家に政治活動停止を命じてしまい、この時からカンボジアの人権状況は悪化の一途をたどっているとセター氏は批判しました。レイシー氏は終身刑の判決を受け、独裁政権を批判する人々は次々と逮捕され、しかも、現在も抵抗を続けるろうそくの灯り党は、レイシー氏とは無関係であることを公的に宣言せよと追い詰めてきています。

 ろうそくの灯り党は、弾圧下でもなんとか民主主義の灯を消さないために、カンボジア救国党の流れをくむ人々で結成された党で、2022年の地方選挙にも多数の当選者を出して健闘しましたが、この党に対しても、選挙中に脅迫を受けたことを公的な場で批判した副党首が裁判にかけられ1億円に値する慰謝料を請求され、家や土地を売却するまで追い詰められている、フンセン政権は法律をも悪用して反対派を弾圧しているとセター氏は指摘しました。そして、フンセン氏は自分の後は息子を独裁政権の後継者にしようとしており、まさに北朝鮮同様の世襲独裁がカンボジアでも実現しようとしていると述べました。

 そして、2023年にはカンボジアの国政選挙が迫っている。日本政府は、カンボジアにおいて公正な選挙が行われるよう協力していただきたいとセター氏は述べました。日本政府や民間のこれまでのカンボジアへの支援には深く感謝しているのだが、明らかに不正な選挙や弾圧を行っているフンセン政権への支援は、カンボジア国民のためにも民主主義のためにもならない、支援は日本国民の血税であり、カンボジア民主化のために使われるよう監視してほしい、とセター氏は講演を結びました。

 そして、現実に弾圧を受けた一人として、カンボジア女性のカット・ソムニアンさんが、自分の夫が賃上げを求めただけで警察に射殺されたこと、カンボジアでは、人々が自分と家族の生活を守るための最低限の要求をしただけで命が奪われるほどの弾圧下にあります、しかもその後、夫の殺害に抗議した義父は交通事故に見せかけて殺され、自分はいま日本で難民申請をしています、ここにいるカンボジア人も、日本で民主化運動に参加して故国に戻れば生命の危機にさらされるのだから、ぜひ難民認定を行ってほしいと述べました。

 この後、アジア自由民主連帯協議会の三浦小太郎より、カンボジアに最初の民主的な選挙を実現させたパリ和平協定は、日本政府の戦後における平和外交の最も成功した一例であり、その協定において、今後のカンボジアにおける自由、民主主義、人権の尊重、海外のカンボジア難民の平和的な受け入れなどは、フンセンとカンボジア人民党自身が受け入れた国際的な公約である、それを踏みにじっているのは現在のフンセン政権であり、日本は与野党ともに、我が国の外交努力を踏みにじるものとしてもっと抗議の声を上げるべきではないかという指摘がありました。また、岸田首相が今回カンボジアにて、2023年の選挙が公正に行われるべきことを訴えたのは大変意義あることであり、このことを日本政府はさらに具体的な取り組みとして実現すべきだと述べました。

 参加していた源馬議員は、自分もカンボジアに仕事で長く滞在したことがあり、日本政府に対しても、民主化に役立つような支援をすべきだと訴えてきている、今後も立憲民主党の外交部会などでこのような事実を伝えていきたい、また、日本在住のカンボジアの人たちとはぜひ交流し、直接実情を聞かせてほしいし、それに耳を傾けると明言されました。また、上野前議員も同様に、今日ここで貴重なお話を聞かせていただいた、このことをぜひとも今後の政治活動に生かしたいと述べました。

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 続いて松井ビリヤ氏(ろうそくの灯り党日本支部代表)が、今日の集会の意義と感謝の言葉を述べたのち、通訳を務めた露木ピアラ氏が閉会挨拶を述べ、カンボジア自由民主の集いは閉会しました。(文責 三浦)



カンボジア パリ和平協定と現在(資料)
文責 三浦小太郎(評論家)

カンボジア パリ和平協定への日本の貢献

 令和3年、日本国外務省は以下の談話を発表している。

「カンボジア和平に関するパリ和平協定締結30周年について(外務報道官談話)
令和3年10月23日
本日、カンボジア内戦を終結させるためのパリ和平協定締結から30周年を迎えました。カンボジア政府及び国民が、この30年間で平和を達成し、めざましい経済発展を遂げたことに祝意を表します。
我が国は、カンボジアが、パリ和平協定やカンボジア王国憲法に掲げられた原則を礎として、今後も更なる発展を遂げることを期待します。
我が国は、これからもカンボジアと緊密に連携して、二国間協力を発展させるとともに、地域及び国際社会の様々な課題にも協力して取り組んでいきます。」

 この談話でもわかるように、日本国外務省は、現在のカンボジアに対しても「パリ和平協定」「カンボジア王国憲法」の原則に基づいて国家を運営することを期待している。
 そして、このパリ和平協定は、以下のような経緯によって実現した。

(1)日本、1989年の第一回カンボジア問題パリ国際会議に参加。このような和平実現のための会議に日本が正式に参加するのは第二次世界大戦後初のことである。この会議では、日本はカンボジア復興と避難民の祖国帰還を担当する第三委員会にてオーストラリアとともに共同議長を務めている。
(2)1990年2月の河野南東アジア第一課長が、日本が当時未承認だったヘン・サムリン政権下のカンボジアを訪問。同年6月、カンボジアの内戦問題の解決のために、カンボジア各党派が参加する「カンボジアに関する東京会議」を開催した。この会議では軍事活動の自粛と今後の和平実現のための様々な取り組みがなされた。その後も日本国は積極的な平和実現のための外交努力を続けている。
(3)1991年10月23日、オーストラリア,ブルネイ、カンボジア、カナダ,中華人民共和国,フランス,インド,インドネシア,日本,ラオス,マレイシア,フィリピン,シンガポール,タイ,ソ連、イギリス、アメリカ、ベトナム、ユーゴスラビア各国によるパリ和平協定が実現。

 パリ和平協定を受けて、明石康国連事務総長特別代表が統括する国連カンボジア暫定機構(UNTAC)による暫定統治が開始された。日本では、1992年6月に「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO法案)」が成立し、同年9月以降、日本から自衛隊施設大隊、停戦監視要員、文民警察官及び選挙要員等延べ人数1300人余りがUNTACの活動に参加し、人的貢献を行った。(我が国による初のPKO派遣)1993年4月、国連ボランティアの中田厚仁氏が何者かに銃撃され死亡し、更に5月には文民警察官等の一行が何者かに襲撃され、高田晴行警視正が死亡、その他4名の文民警察官が重軽傷を負う等、尊い犠牲を払ったが、カンボジアにおける民主的で正当な選挙の実現に貢献した。
 このカンボジアに対する継続的な平和構築への取り組みは、戦後日本の対アジア外交の中では最も成功したものの一つである。

パリ和平協定の内容

そのパリ和平協定には、以下の文章が明確に記されている。

第十五条
1 カンボディア国内のすべての者並びにすベてのカンボディアの難民及び避難民は,世界人権宣言その他関連する人権に関する国際文書にうたわれた権利及び自由を享有する。

2 この目的のため,
(a)カンボディアは,次のことを約束する。
 カンボディアにおける人権及び基本的自由の尊重及び遵守を確保すること。
 カンボディア市民が人権及び基本的自由を促進し及び擁護する活動を行う権利を支持すること。
 過去の政策及び慣行の再現が許されないことを確保するための効果的な措置をとること。
 関連する人権に関する国際文書に従うこと。
(b)この協定の他の署名国は特に人権の侵害の再発を防止するため,関連する国際文書及び国際連合総会の関連決議にうたわれた人権及び基本的自由がカンボディアにおいて尊重され及び遵守されることを促進し及び奨励することを約束する

第二十条
1 カンボディアの国外に居住するカンボディアの難民及び避難民は,安全のうちに,尊厳をもって,かつ,いかなる種類の脅迫又は強制も受けることなくカンボディアに帰還し及び生活する権利を有する。

 現在のカンボジアにおけるフン・セン政権の政策は、これらのパリ和平協定の原則に反する面が多々あるとみなさざるを得ない。日本国はかって自らが外交的努力によって実現のために尽力したパリ和平協定の政治的・人道的成果を守るためにも、カンボジアの人権問題並びに来るべき選挙の公正な運営のために尽力する責務がある。(終)

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