(※この動画は説明部分・あいさつ部分であり、映画本編は含みません)
6月24日午後2時から、東京赤坂の会議室にて、ドキュメンタリー映画「天安門」の上映会が開催されました。参加者は約15名(参加費無料)。王戴さんを含め中国民主化運動家の方々も多数参加しました。
映画は、天安門事件当時のインタビューや映像、そして製作時点でのかっての指導者や参加者が回顧するインタビューで編成されています。当たり前のことですが、現在も民主化運動を継続しているウーアールカイシ、王丹、獄中で悲劇的な最期を遂げた劉暁波、皆、89年のフィルムの中では実に若々しい。事件当時はヒロインだった柴玲がマイクをもって学生にアジテーションする姿は今見ても衝撃的。
ウーアールカイシが映画の中で語っているように、この天安門事件が、全く新しい世代、ある意味中華人民共和国建国以後、初めて西側の価値観や文化、消費財に接し、それにあこがれた世代によるものだったことは確かです。当時のロック歌手、崔健に代表されるように、共産主義イデオロギーや国家意識を超えた、個人としての表現が立ち現われ、学生たちも市民も、若い世代が、個人として民主化運動に立ち上がった。それがこの運動の最も純粋な面だったとは思います。
しかし、今の視点でこの映画を見ると、やはり、偉大な運動ではあったのだけれど、そこには限界もまたあったのではないかと思わせます。もちろん軍事力で民主化運動を押しつぶした中国政府がいいわけはない。しかし、当時の20代のリーダーたちには、少し運動をコントロールするのは無理だったのかも。
天安門広場にはずっと同じ学生がいたのではなく、運動の行き詰まりと事態の緊迫化の中で、広場からの撤退を模索する指導者もずいぶんいたようです。しかし、そのような声は、過激な言動を叫ぶ人たちにかき消されていく。そしてそのような人たちが去っていき、また新たな学生や市民が参加すれば、ますます運動は過激な形で持続する方針に傾いていく天安門広場で何度もそのパターンが繰り返され、一度決まった決定が覆されたり、正当な選挙や討論で運動方針が決定するより、その場その場の指導者の感情に引きずられがちだったことも、この映画は残酷に描いていました。
本来連帯しなければならない相手だった中国共産党内の改革派とも、何度か対話は試みられたのですが、結局、有効な政治的な連携はできないまま、改革派は中国共産党の中で孤立し、無力化してしまった。趙紫陽が泣きながら学生に詫び、君たちには未来がある、批判は甘んじて受けると訴える場面は確かに感動的なのですが、もはや改革派にできることは何もなくなったという絶望の叫びでもあります。
確かに、広場を去ればすべての力を失う、という柴玲の言葉も間違ってはいないかもしれない。ただ、正直、学生側にもう少し妥協点を見出す知恵や統率力があれば、最悪の事態は避けられたかもしれないとも思わせるシーンもいくつもありました。
その中では、やはり、年長世代だった劉暁波、当時のロックシンガー侯徳健などは、なんとか事態を治めようと努力していることがわかります。特に劉暁波の知的誠実さと、同時に運動の現場から逃げない姿勢は素晴らしい。天安門にとうとう戒厳令が敷かれ、軍隊が出動したときに、とにかく虐殺の事態を避けようと最期まで努力しています。
天安門に軍隊が突入し、銃撃が鳴り響いて人々が倒れるシーンは、やはり目をそむけたくなるほどの衝撃を受けます。柴玲が当時は未公開だったインタビューの中で、泣きながら外国人のカメラの前で「ハンストしても事態を変えられなかったら、次は焼身自殺をするしかない」「中国人を目覚めさせようと思ったら、血を流すしかない、学生たちに、自分たちは犠牲になる、血を流すために広場に残るんだとは、思っていても言えない」と語るシーンがあります。これは運動家としては身勝手な発言かもしれない。しかし、現実に、天安門での犠牲が、全世界に、中国共産党の招待を世界に伝えたことは事実でした。
この映画はアマゾンなどでもすでに高価がついていますが、いろいろな意味で、中国の民主化運動の歴史を考えるうえで貴重なフィルムだと思います。いま、当時の民主化運動家に対し、白紙革命など若い世代、それこそ天安門事件以後に生まれた人たちからは厳しい批判的な声もあるようです。ただ、まず大切なことは歴史を知ること。天安門で勇気を持って戦った先達の意義を讃えることと、今の時点で冷静に運動を分析することは決して矛盾しません。この映画はそのための資料となりうるでしょう(文責 三浦)