【第66回報告・動画あり】「カンボジアに自由と民主主義を!」 カンボジア救国党副党首 ムー・ソクア氏来日講演会


2月23日午後2時半から、「カンボジアに自由と民主主義を!」カンボジア救国党副党首 ムー・ソクア氏来日講演会が東京赤坂のワイム貸会議室で開催されました。参加者は約50名。多くは在日カンボジア人で、祖国の民主化を求める人たちでした。

参考:産経新聞記事「カンボジアに民主と自由求めるムー・ソクア氏が来日 国民・玉木雄一郎代表や若者に訴え」
https://www.sankei.com/article/20240228-3QQOXTV3ORFMTHPMDSMUSTCVWM

ペマギャルポ会長の開会あいさつののち、カンボジア救国党党首ムー・ソクア氏が登壇。

ソクア氏はまず、自由と民主主義を愛し尊重する人たちの前でお話ができることの喜びを語ったのち、会場に多くのカンボジア人が来ていることがうれしい、特に子供連れの人もいる、私たちはみなカンボジアの自由と民主主義を望んでおり、いつかカンボジアに戻る日が来ることを信じていると述べました。

そして、カンボジアといえば多くの人はアンコールワットの遺跡を思い起こすだろうが、確かにそれはカンボジアのシンボルであり、そして美しい自然と豊かな田園風景もカンボジアの象徴だと述べました。しかし、そのカンボジアは、かってポルポト政権によって破壊され、200万人の虐殺者を出したこと、自分の親も犠牲になったことに触れました。

そして、ポルポト政権が倒れた後も長い内戦が続き、1991年、日本も大きな役割を発揮したパリ和平協定によって、やっとカンボジアにも民主的な選挙が実現した、そのことには深く日本の皆さんに感謝はするけれども、今のカンボジアを民主的で平和な国家だと日本国民は決して思わないでほしい、実態は全く違うとソクア氏は述べました。

もともと、その後政権の座に就いたフンセンはポルポト派のクメールルージュに属していた人間であって、彼が民主主義を理解しているはずはない。そして、現にフンセンは民主的に行われた選挙結果に従わず、今まで、野党を事前に解散に追い込んだり、野党候補の立候補を許さないなどの不正な選挙を行って政権を維持してきたとソクア氏は批判しました。

そして、2012年に結成されたカンボジア救国党も、17年には解党を命じられ、自分はアメリカに亡命せざるを得なくなった。カンボジアでは自分に47年の禁固刑が科せられている。フンセンのやってきたことは、野党や民主的な対抗勢力、また自由な言論人やメディアを力でつぶすことであり、そのことを日本の皆さんは知ってほしいとソクア氏は訴えました。

そしてソクア氏は、参加していたカンボジア人の何人かに、あなたたちはどんな理由で日本に来たのか、そして住んでいるのかを問い、それぞれ、生活の苦境、家族が賃上げデモに参加しただけで殺害されたこと、現在は難民申請をしていることなどを答えました。

ソクア氏はこれらの回答を受けて、カンボジアでは、今、国民は政府批判の言論は一切できない、それをすれば刑務所に入れられるか、悪くすれば殺害されることもある。そして、カンボジアの貧困は深刻なレベルにあると述べました。

現在のカンボジア政府は、中国からお金を借り、高層ビルをいくつも立てているので、それだけを見れば経済発展しているように見えるのかもしれない。しかし現実には、カンボジアを中国資本が支配している状況だとソクア氏は述べました。

(参考資料)(アジアに浸透する中国) 「中国化」するカンボジア アジア経済研究所)
中国とカンボジアの経済関係をみると、1990年代半ばから米国向けの縫製品輸出のクオータ(輸入数量割当)と相対的に安価な労働力を求めて、多くの中国系縫製工場がカンボジアに進出した。クオータ制度自体は2004年末に撤廃されたが、その後もカンボジアへの縫製工場進出は続き、2010年代になると、EU向けの特恵関税(EBA)の適用を求めた工場が多く進出した。中国や香港から原材料を輸入し、カンボジア国内で裁断・縫製・包装をした衣料を欧米に輸出する方式は、カンボジアの数少ない輸出産業を支える方法として定着した。また、縫製業はカンボジアのなかでも最大の雇用創出産業で、80万人もの若い労働者が雇用されている。
一方で、中国からの投資家や観光客などの増加によって生じたさまざまな軋轢は無視できないレベルに達している。中国人観光客が急増した海辺の観光地シハヌークビルは、彼らをターゲットとするカジノホテルであふれるようになった。つい2~3年前までカンボジア人や欧米人が欧米人観光客向けに経営していたレストランやホテルは、より高い賃料を払える中国人投資家によって中国人観光客向けの施設へと姿を変えていった。このようななかで、中国人とカンボジア人の間のトラブル、さらには中国人同士のトラブルが増加しており、飲酒に伴う喧嘩から組織的な詐欺、誘拐などの多くの事件に対して、カンボジア政府は対応に追われている
https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2018/ISQ201820_023.html

そしてソクア氏は、フンセン首相を継いだ息子のフンマネット氏が首相として来日したが、残念ながら日本国の首相が彼を歓迎していることは理解しがたい、フンマネットが首相になって以後、カンボジアの弾圧はさらに強化され、逮捕者は急増していると批判しました。

今、政府に抵抗することは極めて厳しい弾圧を受けるため、実際に勇気をもって抗議しているのは、一部の女性団体と生活の苦しい労働者たちだけであり、彼らの勇気をたたえるとともに、今後は国際社会にいるカンボジア人(約300万)が連帯してこの国内の運動を支持しなければならないと述べました。

そしてソクア氏は、自分はカンボジア救国党を離れ、新たなる海外カンボジアの連帯組織として、「クメール・ムーブメント・フォー・デモクラシー」https://khmermovementfordemocracy.org/ を結成した、この団体を拠点にカンボジアの民主化を目指していきたいと述べました。

ソクア氏は、この会場にいるカンボジアの人たちに訴えたい、カンボジア政府は国内のみならず、海外の民主運動にも様々な形で監視や脅迫を行い、自分や家族の身体に危険が及ぶような脅しをかけてくるかもしれない。しかし、そのような強迫に決して負けることなく、将来の民主化実現を信じて運動を持続してほしい、アフガニスタン、香港、チベット、ウイグル、みなアジアで弾圧されている人たちは同じ精神で戦っていると思う、私たちの連帯していきたいと述べて公演を終えました。

その後は協議会事務局の三浦より、パリ和平協定の意義についての解説があり、また休憩をはさんで様々な現状報告、証言、質疑応答が行われ、集会は午後5時前に閉会となりました(文責 三浦)

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