荒木和博講演会報告
4月28日(日)東京赤坂の会議室で、特定失踪者問題調査会の荒木和博会長の講演会が開催されました。参加者は約20名。
まず荒木氏は、先日、日弁連に拉致被害者の田中実さん、金田龍光さんの人権救済の申し立てをしたことから講演を始めました。田中さん、金田さんは神戸の養護施設で育ち、北朝鮮の工作員で朝鮮総経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年、韓竜大の誘いにより、田中実さんがオーストリア・ウィーンに「仕事があるから」と出国。半年ほどして、田中実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであり、旅立った金田さんもその後行方不明となりました。
荒木氏は、この2人について、10年前の日本と北朝鮮とのストックホルム合意の際、北朝鮮はこの二人の名前を出してきているが、日本政府は事実上それを拒否していると述べ、かつ、そのことについての説明はいまだにないことを指摘しました。この時、北朝鮮が、この二人で拉致問題は解決済みとする、おしまいとするといってきたことは間違いのないことで、この時日本政府が北の申し出を受けなかったことの是非についてはいろいろな議論があっていい、しかし、この背後には、日本政府としてはこの二人の被害者を取り返してもあまり国民世論的にプラスではない、という発想がなかったとは言えないとまず述べました。
そして、そもそも北朝鮮がすべての拉致被害者を現在把握、管理しているかといえば、おそらくそんなことはない。脱北者からの情報だが、ストックホルム合意の時、北朝鮮も金正恩の命令でかなり調査したところ、かなりひどい情報が出て来たり、あるいは統一部の体制も時代とともに(粛清もあって)変わってくるのでわからなくなっている部分もあり、すべてを出せるような状況ではなかったという。これは十分ありうることで、北朝鮮自身すべてを把握しているかどうかは怪しく、いわんや、日本政府は拉致被害者が何人かについての確証などないと荒木氏は述べました。
もちろん、北朝鮮は、日本との交渉を介して、お金を取りたいし、またアメリカを封じ込めたいとは考えている。ただ、今の段階で日本と北朝鮮両政府の交渉で、両国が納得するような結論が簡単にまとまるはずがない。かつて小泉訪朝の際には、その直前の公式発表ぎりぎりまで外部には情報が出なかった。田中均という外交官をどう評価するかは別として、保衛部の幹部と1年半近く交渉し、一切情報を漏らさず、外務省の中でも数人しか知らなかった。それを今では、北朝鮮が平気で交渉中のことを漏らしたり、日本政府も交渉をやりますとか言っている状態では、まともに話は進んでいないと考えた方がいいと、荒木氏は現状について分析しました。
そして、今、救う会の運動方針としては「すべての拉致被害者の一括即時帰国」を原則としている。これはスローガンとしては全く正しいのだけれど、逆に、日本政府の側が、何もやれない、やらないことの言い訳に使われかねない。今、拉致議連においても、まともな議論はほとんどなされていないし、担当大臣の言葉も「その質問に答えるのは控えさせて抱きます」ばかり。この状況が動かない環境をどこかで突破しなければならない、それが運動の役割だと荒木さんは述べました。
それはどんな形であれ、どんな手段を使ってでも北朝鮮に情報を入れることであり、拉致被害者が一人でも助けられれば状況は動く、マスコミの中にも報道したい人はいるのだけれど、新しいニュースがなければ書きようがないと荒木氏は指摘し、USBなど様々な機材が小型化している中、北に情報を送る手段、またその情報の内容などはいろいろ考えられるはずだと述べました。
そして、自分の中学校の10期下の生徒が、在日朝鮮人だったが、実は収容所に入れられていたことが分かった。その家では父親が帰還事業で北朝鮮にわたって行方不明になっており、その父を探そうとして、母親と息子たちが訪朝、スパイ罪とされてそのまま収容所に入れられてしまった。このことは、同じ収容所にいたカンチョルファンという脱北者が伝えてくれたもので、彼の本(『北朝鮮脱出』文春文庫)などに書かれていたため、北朝鮮は逆に騒ぎになることを恐れたのか収容所から出してきた。李セボンというこの中学の後輩について荒木氏は紹介し、このような実例はいくらでもあるだろうと述べました。
この拉致問題は交渉では解決しない、日本が圧力をかけ、それで北朝鮮が体制の危機を感じて返してくる、その形でしかありえない。かつ、あの独裁体制から、日本人だけを取り返せるというのがそもそも無理な話で、体制を倒すためには情報を入れること。荒木氏はある脱北者の話として、北朝鮮は飢餓が始まる90年代以前から電気などは一二通時間しかちゃんと通らないほどの電力不足だった。その北朝鮮が、しおかぜの放送に妨害電波をかけてくるというのは、それほど情報が怖いことの証明だと指摘しました。
そして、日本の歴代政権は、少なくとも拉致問題に関しては、本当の意味で当事者意識をもってやってきた内閣はないと思う、基本、アメリカをはじめ他国だよりだった。ただ、少なくとも状況が動けば、与野党関係なく動く政治家はいる。今の各党の拉致対の中では、意外かもしれないがリベラルとされる立憲民主党が熱心に動いているし、与野党関係なく「その時」が来れば立ち上がる政治家はいるはずだと、荒木氏はこの運動に関しては党ではなく個々の政治家だと述べました。
小泉訪朝と5人の被害者帰国がなぜ実現したかといえば、北朝鮮との国交正常化をしたい外務省と政府の方針と、拉致被害者奪還なくして国交正常化などとんでもないという我々民間運動の両方があったからこそ実現したと荒木氏は述べ、仮に前者だけならば被害者はすべて見捨てられただろうし、後者の運動だけなら北は動かなかっただろう。それぞれ違う立場の運動や交渉が組み合わさって、歴史を動かすことができるのだと述べました。
そして、北朝鮮国内で、今、金与正が時々登場しているが、金正恩にはほかにも後継者となる可能性のある息子が数人いると思われる。この後継者争いは、ある意味、負けたものが粛清の対象になるほど厳しいもので、それは金正男の最期を見ればわかるはずだ、だからこそ、ここにも情報を入れ、北内部にかく乱を起こすことは不可能ではない。金正恩はどう見ても健康状態がいいはずはなく、周囲もいつどうなるかわからないと思っているはずで、北朝鮮の体制は決して堅固ではない。情報戦と同時に、様々な軍事演習などで北朝鮮に脅威を感じさせれば、事態は動くかもしれないと荒木氏は述べました。
しかし、仮に北朝鮮でクーデターあるいは大混乱などが起きたら、その時は自衛隊以外に救出に行ける組織はない。その意味も込めて、今度、6月22日に、予備役ブルーリボンの会で拓殖大学でシンポジウムを予定しており、そこでのテーマは、かつてイランのアメリカ大使館が学生によって占拠され、大使館員が人質になったとき、アメリカが救出作戦を行ったことがあった。その作戦自体は失敗だったが、この事件からも学ぶことは大きいと、荒木氏は現代史からもまだまだ学ぶべきことがあることを示唆しました。
最後に、1999年の能登半島沖不審船事件の際、北朝鮮は工作船を逃がすために空軍まで出てきていた。もしもそれに自衛隊が反撃したら、おそらく戦争になった可能性もある。私たちは平和な社会に住んでいると思っているかもしれないけれど、いつどこで戦争が起きるかはわからない、そして拉致被害者にとっては今も決して平和ではないと述べて講演を終えました(文責 三浦)