第73回講演会「不死の亡命者 ― 一党独裁に飼い馴らされぬ野性的な知の群像」報告
9月16日、東京お茶の水の会議室にて、劉燕子氏を講師に迎え、協議会主催第73回講演会「不死の亡命者 ― 一党独裁に飼い馴らされぬ野性的な知の群像」が開催されました。参加者は約40名。ウイグル人、モンゴル人、そして中国民主化運動の人たちも参加されました。
まず冒頭で、ドキュメント映画「亡命」からいくつかのシーンが上映されました。 この映画は中国からの亡命を余儀なくされた知識人、作家、芸術家、詩人、政治活動家たちへのインタビューで構成されており、天安門事件をはじめとする弾圧への抗議、そして中国の民主化の意義、亡命者たちの苦悩、特に帰国できないつらさや中国への深い愛情を語る言葉が強い印象を与える作品です。現在、DVDが発売されていますので興味のある方はぜひご覧ください。
https://www.cine.co.jp/detail/0110.html
そして、劉氏は今回書き下ろした著書「不死の亡命者 ― 一党独裁に飼い馴らされぬ野性的な知の群像」(集広舎)について、自分が長い時間をかけて中国からの亡命者をインタビューし、また「国内亡命者」と呼ぶべき人たちとの交流から生まれた本書は、だれよりもまず、中国の人たちにこそ読んでもらいたいのだけれど、残念ながら現状ではこの本は中国国内では出版できない。6・4天安門事件そのものが、中国では語ることもできない。しかし、だからこそこの亡命者たちは歴史の証人なのだと述べました。
その上で劉氏は、ここで紹介した映画「亡命」には、自分は企画過程から製作まで最後まで関わったことを語り、もともと自分の研究テーマの一つは中国の地下文学であったこと、その作家のひとり、黄翔(詩人)は、中国で計6回の投獄を受け、全部で12年間の獄中生活を送ったが、90年代に少しでも自由に書くことができる世界を求めてアメリカに亡命した。彼のようにたくさんの亡命詩人が存在する。だが、彼らの作品や今考えていることなどは充分に研究されているとは言えない、たとえば、ナチス・ドイツの時代にドイツから亡命したり、国内で作品を秘密に書き続けた人たちのことは研究されているが、ナチスの独裁体制は生前10数年だった。ソ連からの亡命文学も多く紹介されているが、そのソ連も約70年間で崩壊した。そして中国は、中華人民共和国建国後、現在に至るまで、知識人だけで数千人が亡命しているが、この人たちのことがほとんど研究、取材されていない現状を劉氏は指摘しました。
劉氏は「黄翔の詩と詩想―狂飲すれど酔わぬ野獣のすがた」(思潮社)という著書を2003年に発表しています。また、鄭義は文化大革命時に山西省へ下放された経験を持ち、1985年に発表した「古井戸」は映画化され、国内外で大きな評価を受けた作家ですが、1989年、天安門事件の指導者のひとりとして指名手配を受け、中国各地を潜伏生活を送りました。劉氏によれば、鄭義は自分一人ならばもっと早く亡命できたかもしれないけれど、妻を守り共に脱出することを最後まで模索し、1993年に妻の北明と共にアメリカに亡命したことを述べました。鄭義は文化大革命の時代の食人の事実を告発した作家でもあります。また。高行健は劇作家であるとともに画家、現在はフランスに在住していますが、これらの人々の作品は、本当に読まれるべき中国人には届けることができていないと強調しました。
さらに劉氏は、中国の亡命文学者たちの苦悩を、まず、自分の母語から切り離され、また高齢で亡命した人は外国語を完全に習得することは難しい。さらに、例えばアメリカでどんなに作品を書いても、それはある種の「政治的エンターテイメント」として消費されてしまうと指摘しました。そして、亡命者たちは強い望郷の意思を持っているが、それでも、共産党に屈して帰国する人はほとんどいないと述べました。そして、亡命者の中には、外国の社会になじめず、また、民主運動の中でも疑問を感じて孤立し、本当に孤独のうちに死んでいった人もいると述べました。
そして、劉氏は自分の経験に触れ、私は漢人として、当初はチベットなど各民族の問題にはまったく無知であり、各民族は幸福に暮らしていると思ってきた、海外に出て、初めて亡命チベット人の著作などに触れ、民族問題の深刻さを知ったと語りました。
特に、ヒマラヤを越えて亡命しようとするチベット人たちが射殺されることを歌った詩「もしも私を撃つのなら、私の頭に当ててくれ、私の心臓には当てないでくれ、そこには私の愛する人が宿っているから」に出会ったことの感銘を劉氏は述べました。劉氏自身、「詩文集 独りの偵察隊 亡命チベット人二世は詠う」というテンジン・ツゥンドゥの詩集を編集・翻訳しています(書肆侃房発行)。
そして、劉氏はチベット人文学者ツェリン・オーセルの名をあげ、彼女はチベット語の教育を子供のころから奪われ、本来の母国語をしゃべれないという、ある種のアイデンティティ・クライシスに襲われた。今も中国国内に住むオーセル氏は、今、チベットを追われて北京に住んでいる、彼女は故郷に帰りたがっているがそれもかなわない。そして、ツェリン・オーセルが、、自分はチベット人として生まれたけれど、中国の現代の教育により、中国語しか学んでこなかった、自分の服装も、言葉も、すべえ「中国に置き換えられてしまった」が、心だけはチベット仏教を信じるチベット人だと語っていることを紹介しました。
劉氏はオーセル氏のような存在を「国内亡命者」と規定し、中国の現体制の中に住んではいるが、そこで自分の居場所は見いだせず、政府の監視下、干渉下に置かれ、他者との自由な交流も移動もできない。しかしオーセルは、自らのチベット人としてのアイデンティティを復活させるためにも、今、チベットでかつて起きた大虐殺の歴史を証言と映像で網羅した著作を執筆しており、劉氏はクラウドファンディングで協力を求めつつ、この日本語版を出版する計画があると述べました。
そして劉氏は、本書「不死の亡命者」を著した一つの目的は、亡命者(国内、国外を問わず)の中にこそ、現在の軍事大国、人権侵害国、そして中華思想による他民族蔑視の中華人民共和国ではない、「もう一つの中国」が存在することを証明したいからだと述べました。そして、自由民主主義は今、日本でも欧米でもある種の「空気」のようなものになってしまっている、この「空気」は国民によってしっかりと守られない限り、いつなくなり、窒息してしまうかわからない。実際、香港の自由と民主主義はそのように窒息させられた。日本は亡命者たちの警告に耳を傾け、また、彼らを守る「普通の国」になってほしいと劉氏は講演をむずびました。(文責 三浦)
参加者 小野寺様から寄せられた感想です、許可を得たうえで掲載します(三浦)
先日は劉燕子氏の講演会に参加させて頂き、色々感じるところがあり、又多く学ばせて頂き、有難く感じています。
国内亡命、国外亡命している方の不自由さ、排除、迫害、弾圧等の状況にその深刻さを禁じ得ませんでした。
又三浦小太郎事務局長のお話には、強く引き込まれる様にして聞かせて頂き、より深い学びの場となり、有難うございました。
さてその中で、私の心に深く感じたことを二つ、感想として述べたく思います。
それは日本ウイグル協会の副会長である田中サウト氏が質疑応答で話した時に感じた事です。
一つは、亡命するという事は大変な苦労であり、深刻な事だと感じます。しかし方や、亡命することもできず、収容所で強制隔離され、排除、迫害、蹂躙、弾圧、臓器摘出、粛清などのジェノサイドを受けている(漢族でない)ウイグルの方々の苦しみは更に深刻だと感じました。
二つは、劉燕子氏個人に対する迫害は、あくまでも9割を占める漢族である中国共産党が、同じ漢族である劉氏に対する理不尽で、厳しい迫害であり、劉氏のお話はそれに対する憤慨、抵抗の様に聞こえました。
しかし方やその一方、その漢族が加害者となって、ウイグル、チベット、南モンゴルの民を迫害、弾圧などしている事実があるのを、劉氏も含め漢族の人達がどう思っているのか、を田中サウト氏は質問したかった、様に私には思えました。
それに対して、劉氏が確か「たとえ今の中国が自由化しても、9割を占める漢族が同じように支配し、(支配されている他民族との)争いは続くだろう」(そう私には聞こえましたが)、と話した事に、深刻な思いになりました。
これは根が深い問題が潜んでいて、中国で9割を占める支配層の漢族の意識が変わらなければ、本質的には何も変わらない様に感じました。
漢族が自民族中心の中華思想を持ち続ければ、同じ支配意識の中で、似たような体制は続くのではないか、と危惧しました。
恐らく厳しい言い方をすれば、田中サウト氏が言いたかった質問の本音は「劉氏達亡命人は被害者だが、同じ漢族としてウイグルとの関係では加害者だと思うが、ウイグル問題をどうとらえているか?」という事だった様に、聞こえました。
こんな言い方をすると、劉氏には大変失礼な物言いに聞こえるかもしれませんが、、、
漢族が被害者意識だけに縛られるのではなくて、他民族に対して70年以上もの長きにわたって犯してきた犯罪行為を反省して悔いていかなければ、「たとえ自由化されても、同じ支配体制は続く」様に感じられてしまいました。
そういう点では、劉氏がチベット族のツエリン・オーセル氏と交流があり強く支援しているという事実は、迫害されている漢族の方にも他民族の事を考える心が芽生えている事で、今後多くの漢族の方がそうなってくれたら希望であり、そこから将来中国が自由化された時に、他民族に民族自決を促し、中国共産党ができる前の様に、ウイグルやチベットが国家として独立し、隣国と共存共栄していく道が開かれていく事を願う気持ちです。