10月19日午後6時半から、「カンボジアの現状と民主化への課題」と題し、日本在住のカンボジア人たちが運動の現状について訴えました。まず、露木ピアラさんが登壇し、これまで日本で、カンボジア救国の会のリーダーとして活動してきたハイワンナーさんが、昨日、「転向」し、これまで批判してきたカンボジアの与党人民党に入党したことが、現政権により正式に発表されたと述べました。
ピアラ氏はこのショッキングなニュースについて、その背後関係を次のように述べました。
今年8月11日、多くの日本人も支援してくれたデモ行進が行われたけれど、そこではカンボジアの民主化とともに「カンボジア・ラオス・ベトナム開発の三角地帯(CLV-DTA)」に対する反対が訴えられました。
この開発計画は、日本でもJICAなどがかかわっており、貧困の改善などの目的それ自体は間違っていないかもしれない。しかしピアラ氏は、カンボジア人は立場を越えてこの開発計画に反対している、それはなぜかと言えば,カンボジアとベトナムの様々な歴史的関係や衝突にあると述べました。
まず、歴史的に、カンボジアはしばしばベトナムの圧迫や侵略を受け、領土を奪われたという経緯がある。それ自体は過去のことだとしても、現在も、ベトナム人がカンボジアに不法滞在をしたり、また、フンセン政権や現在のフンマネット政権も、選挙のたびに、不法在留のベトナム人(水上生活者など)に国籍を与えて自分たちの票にしてきた。また、この開発地帯で現在活動しているのはほとんどがベトナム企業であり、労働者もほぼベトナム人だとピアラ氏は批判しました。このような背景から、海外でもたくさんのカンボジア人がこのCLV反対の行動を起こしたと、ピアラ氏はこの開発反対運動はカンボジア人共通の声だと述べました。
しかし、フンセン&フンマネットの世襲独裁政権はこの反対運動に怒り、ハイワンナー氏に対し、「お前の家族はカンボジアにいるのだろう、彼らがどうなっても知らないぞ」という意味の脅迫を行ってきたと述べました。危険を感じたハイワンナー氏は、安全のために家族を8月に日本に呼び寄せましたが、弟が一人残りました。弟は1か月先にフルブライト留学が決まっていたのと、現在公務員であるため、おそらく迫害は受けないだろうと考えたのでした。
しかし、8月13日、警察が弟を逮捕しに来ることがわかり、弟はタイ・カンボジア国境に逃れようとしましたが、国境付近でついに逮捕されてしまいました。弟はおそらく強制されて「私は兄と協力して、カンボジアの情報を他国に渡していたスパイです」としゃべらされ、かつ、兄であるハイワンナー氏も反国家的な活動をしていると言わされました。
このままでは、公務員が他国に祖国の情報を流していたとされれば、弟は国家反逆罪、20年以上の禁固刑となります。ハイワンナー氏は、弟を守るために、転向して政府与党に遊蕩するしかなかったのだと、ピアラ氏はハイワンナー氏のつらい立場を代弁しました。さらに、カンボジアから3人ほどの政府関係者が来日し、ハイワンナー氏と直接話て転向を確認したうえで、弟は仮釈放となりました。
ピアラ氏は、現在、ハイワンナー氏と我々は全く連絡が取れない状態にあり、暫定的に自分がカンボジア救国活動の会の代表となり、後に正式な選挙で代表を決めたいが、どんな事態になっても運動をやめるわけにはいかない、自分たちは明日10月20日にもデモを行う、日本の皆さんにもこれまで以上に応援してほしいと述べました。
その後、同じく在日カンボジア人たちが証言、難民認定を受けられない現状や、カンボジアでの弾圧のみならず、ここ日本にもこのように家族を脅迫する形での人権弾圧が行われていることが報告されました。最後に協議会理事長の三浦小太郎から、フンマネット政権はこの9月、CLVからの脱退を正式に発表したこと、これは海外の運動のみならず、自国のカンボジア国民が、自分たちの国や領土、経済を他国に売り渡すのかという抗議の声を上げたからこそ起きたことであり、海外の運動が明らかに国内に良い影響を与えていることが指摘され、講演会は閉会しました(文責:三浦)
参考情報;産経新聞記事
在日カンボジア人が民主と自由を母国に求めデモ パリ和平協定33年 リーダー格に圧力も
10/23(水) 17:46配信
日本を含む19カ国がカンボジアの内戦を終結させるため1991年10月にフランスで調印した「パリ和平協定」から23日で33年となった。自由で公正な選挙の実施を掲げた一方、カンボジアの現政権下では野党に対する締め付けが強化され続けている。在日のカンボジア人は今月20日、東京都内でデモ活動を行い、カンボジア政府にパリ和平協定の順守させるため日本人の後押しを訴えた。
■和平協定後に日本人銃撃、殉職
在日カンボジア人や日本人支援者らは日本国旗やカンボジア国旗を手に東京駅前などを練り歩き、「自由と民主を求めるカンボジア人を助けてください」「フリーカンボジア、デモクラシー(自由と民主主義を)」などと訴えた。パリ和平協定の内容が書き込まれた横断幕もあった。
パリ和平協定は数百万人が虐殺されたといわれるポル・ポト政権の崩壊に伴う内戦状態に終止符を打つもの。人権や基本的自由の尊重の順守、自由で公正な選挙の確保を掲げた。日本は前年の90年6月に東京にカンボジアの紛争当事者を招いて和平会議を開くなど、調印に向けた環境整備に貢献した。地域紛争の解決を目指した和平会議の開催は日本の外交史上初めての試みとなる。
カンボジア国連平和維持活動(PKO)で日本人のボランティアと警察官の2人が銃撃され、殉職するという事件も起きた。
ただ、その後のカンボジアでは強権的な一党独裁体制が敷かれている。フン・セン氏は38年首相に在職し、昨年8月に長男のフン・マネット氏に首相職を世襲。両氏が率いる与党カンボジア人民党の体制下で野党党首の逮捕や政党解散、選挙の事実上の排除などが相次いでいる。
■野党系リーダーの不可解な「転向」
カンボジアに民主主義の定着を訴え日本で活動するカンボジア出身者も、人民党政権側の監視など圧力を受けているという。
8月に新宿で実施した同様のデモ活動に約700人が参加したが、今回は約100人にとどまった。
日本で活動する野党系の市民団体「在日カンボジア救国活動の会」の代表を務める男性は最近、カンボジア人民党側に「転向」したという。SNSでカンボジア当局関係者らと写りながら、転向を報告する男性の様子が投稿された。
これに先立って、上院議長に就いたフン・セン氏はSNS上の動画で男性を名指しで批判し、カンボジアに住む男性の弟は出国を試みた際に逮捕されていた。
男性の転向を告げる投稿の数時間後、弟は釈放されたという。
男性は日本に帰化して、20年近くカンボジアの民主化活動に関わっており、不可解な「転向」となる。デモ活動に参加したカンボジア人女性は「(カンボジア当局は)家族を人質にして(野党系の)活動は海外で行ってもつぶせることを示したかったのだろう」と述べ、日本人支援者も「カンボジア政府から来日して在日カンボジア人を脅迫している」と問題視した。
デモ解散場所で、在日カンボジア人らは男性に代わる団体の暫定代表を決めた上で「泣いた後に転んでいないで前に進んでいきましょう」と声を張った。(奥原慎平)