【動画あり】講演会報告ペマ・ギャルポ会長「チベットの現在と未来」

2月22日、東京高田馬場会議室において、アジア自由民主連帯協議会主催のぺマ・ギャルポ会長の講演会が開催されました。テーマは「チベットの現在と未来」ですが、この2月8日、インド東部カリンポンの自宅で97歳で亡くなられた、ダライ・ラマ奉納の兄上、ギャロ・トゥンドゥプ殿下のことを中心にぺマ会長は語られました。

ギャロ・トゥンドゥプ殿下は、14歳の時には南京に留学しており、中国との交渉をいずれ1947年までは中国に暮らし、蒋介石とも何度も夕食をともにし、中国との間でチベットはいずれ重要な交渉をしなければいけないという意識を持っておられたことをまずぺマ氏は指摘し、中華人民共和国成立後、1950年に殿下はチベットに戻られたけれど、その時はすでに中国軍がチベットの東部に侵攻している状況だったことをまず触れました。

そして、中国政府が、対チベットの17条条約を押し付け、チベット側がやむなくそれに調印した以後、ギャロ・トゥンドゥプ殿下は、1952年ごろから56年にかけて、台湾をはじめ、様々な国にチベット問題を訴えたけれど、台北に行ったときは約1年半も事実上軟禁されるような目にもあった。しかし、そこから殿下はアメリカに連絡し、CIAとも接触、東チベットで戦っていたチベットゲリラへの支援などについて訴えたとぺマ会長は述べました。

ただ、中国とチベットの間の17か条条約は、たとえ形式とはいえ、チベットの内政には中国は介入しないことや、チベットの軍隊を現段階ですぐには人民解放軍には編入しないことなどが記されており、ギャロ・トゥンドゥプ殿下は、今すぐ中国に抵抗するよりも、まず、チベットの国内の近代的な改革を進めようとしたとぺマ会長は語りました。

まず進めようとしたのはチベットの農地改革で、殿下は、自分自身の所有する農地における小作人の借金を棒引きにするなどを行うとともに、全土の農地改革を進めようとしたが、当時のチベットの貴族階級や僧侶はあまり積極的ではなく、様々な妨害活動や、殿下を理解する立場の高官に圧力を加えたり、一説によれば暗殺などの行為も行ったとされ、殿下はむしろ海外でチベット問題を訴える活動に再び戻り、1959年のダライラマ法王のチベット脱出時は、海外にいたことで、逆にインド政府に法王の保護と受け入れを求める活動に邁進したとぺマ会長は述べました。

そして法王の亡命後は、殿下はチベット亡命政府の外務大臣的な立場を務め、ICJ(国際司法委員会)に向けて、チベット問題を訴え、エルサルバドルが提唱する形で国連における決議がなされた、1961年には、さらにマレーシア、エルサルバドル、アイルランドなどが合同で提唱する形で、チベットの虐殺に抗議する声明が、また1965年には、日本の田中耕太郎氏やインドの国際的な弁護士も協力する形でフィリピン、マレーシア、ニカラグア、アイルランド、エルサルバドルが共同提唱する形で国連決議がなされたことをぺマ会長は指摘し、これはもちろんアメリカの支援なくしてなかったこと、そのアメリカを動かしたのはギャロ・トゥンドゥプ殿下であったことを述べました。

ダライラマ法王は基本的に政治を超越した立場であり、このような外交交渉はギャロ・トゥンドゥプ殿下がほぼ行っていた、さらに殿下は、1965年の国連決議以後は、正式の亡命政府の役職にはつかず、チベット国内のゲリラ活動の支援などを行っていたが、1972年、中国との国交回復に向かったアメリカがゲリラへの支援を打ち切った後は、インド国内におけるチベット難民の部隊編成にもかかわった。その後は1972年から74年までは、香港において、中国内部の様々な情勢分析に専念、1979年、改革開放に向かう中国の鄧小平政権と交渉、鄧小平が「独立という言葉以外は、すべてチベット側と話し合う用意がある」と述べ、80年代、5回に及ぶ調査団を亡命政府はチベットに送り出すことになったとぺマ会長は述べました。

ぺマ会長は、これは決してチベット側が中国の言い分を認めたのではなく、調査団の目的は、中国が現在、チベット自治区として認めている以外の、青海省や四川省などに分割されたチベット固有の領土を「チベット」と認めさせて調査団を送る意義があったと述べ、自分自身も1980年に3か月にわたって中国国内に滞在した。これによって、全く連絡が立たれていたチベット国内と、海外のチベット人が興隆し、情報を共有することができた、それによって自分の兄弟や親せきが中国に殺されているという悲劇的な事実も知ることになったが、それでも意義があったと述べました。

また、中国政府はそれまで、海外に亡命したダライラマ法王やそれに従ったチベット人は、乞食同然のみじめな生活をしていると宣伝していたが、それは全く事実ではないこともチベット国内に知らせることができたとぺマ会長はこの調査団の意義を確認しました。そして、この時期、中国がチベット側に譲歩したのは、当時彼らはソ連を恐れていて、アフガニスタン侵略後、ソ連がむしろ中国をけん制するためにチベットに接近していたことから、中国がチベット側が中国に妥協してきた、その裏交渉も、ギャロ・トゥンドゥプ殿下が大きな役割を果たしたとぺマ会長は述べました。

確かに、ギャロ・トゥンドゥプ殿下は、チベットの独立という言葉はあまり強調しなかったかもしれないが、チベットはチベット人が主人でなければならないこと、中国も、その国益のためには、チベット問題でもっと合理的な判断を下すべきだということは主張し続けた、何より、殿下は長期的な視点を持ち、チベット問題を単にチベットと中国の問題ではなく、より普遍的な国際的問題と捕え、解決を目指す広い視点があったことを強調しました。そして、殿下の死を何よりも寂しく思っているのはダライラマ法王猊下であろうと述べました。

そして、チベット問題をめぐる現在の情勢として、今、チベットの国内の地下資源に中国が目をつけ、西チベットに銅の鉱脈があることから、その地域のチベット人を強制移住させようとしていること、また、インド国境近くに新しい近代的な都市を建設し、そこにチベット人を移住させようとしているが、その対象となるチベット人たちが、農業と牧畜しか生活手段がなく、そこから切り離され、伝統的な生活を奪われていると述べました。

また、海外にいるチベット人に対し、中国政府は、政治活動はせず商売などに専念するならば、中国に戻っても弾圧の対象ではなく無事に暮らせるというプロパガンダを行っており、実際、帰国したチベット人たちもいるなど、チベットの厳しい現状をぺマ会長は語りました。

そして、トランプ大統領誕生後、現段階においては、チベットウイグル、南モンゴルなどの運動への支援は減らされており、トランプ大統領は本来議会に決定権があるはずの予算についてもかなり強権的に大統領令で停止している。レーガン時代に作られたNED(全米民主基金)についても見直しがなされ、もちろん、精査したのちに何らかの再編成がなされるかもしれないが、現時点では、各民族の運動には様々な問題が起きていることを指摘して、ぺマ会長は講演を結びました(文責 三浦)

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