2009年崔(チェ)ヨンドクの妻と10歳未満の二人の子供 連座制で政治犯収容所行き : 北韓人権情報センター

事件情報

事件の概要
2009年咸鏡北道(ハムギョンブクド)会寧市(フェリョンシ)望洋洞(マンヤンドン)に居住していた崔ヨンドクが、スパイ容疑で咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興市(ハムフンシ)鉄道保衛部により逮捕、拘禁された。 1年後の2010年咸鏡南道咸興市鉄道保衛部は連座制を適用して崔ヨンドクの妻と2人の幼い子も崔ヨンドクと共に咸鏡北道会寧市に位置する22号政治犯収容所に拘禁した。

事件の発生時期および場所
・発生時期(期間) : 2010年夏
・発生場所 : 咸鏡北道会寧市望洋洞22班 崔ヨンドクの自宅

人権侵害の類型
・権利の類型 : 個人の尊厳性および自由権
・侵害の類型 : 不法拘禁
・細部な項目 : 政治犯収容所


事件の細部内容

 2009年当時咸鏡北道会寧市望洋洞22班に居住していた崔ヨンドクは骨董品密輸、人身売買、韓国と連係(韓国にいる人と電話連絡)等の不法な事業を通じて裕福に生活していた。 しかし共にこの仕事をしていた前会寧市保衛指導員尹(ユン)イルチュが咸興市で腹を作り韓国行きを企てていた間、咸興鉄道保衛部に逮捕され、調査の過程で崔ヨンドクの名前が取り上げられ、2009年冬崔ヨンドクは咸興鉄道保衛部によって逮捕された。

 崔ヨンドクの妻は不安な気持ちで村の担当保衛部員に、自身と幼い子たちの身辺安全に対する問い合わせを度々したという。 だが、その度ごとに保衛部員は、特別なことはないだろうから心配しなくても良いと言って、崔ヨンドクの妻を安心させた。 町内の隣人たちが保衛部員の目を避け、時々崔ヨンドクの妻に逃げた方が良いのではと話したが、チェ氏の妻は保衛部員の話を固く信じて居住地を移さなかった。

 崔ヨンドクが逮捕されて7~8ヶ月が過ぎる2010年夏、崔ヨンドクの家に保衛部の人々が押しかけた。 当時この事件を目撃した証言者の話によれば、真昼に保衛部所属車両が来て、何人かの保衛部員が車から降りた後、チェ氏の家に入って、外に残っている保衛部員は笛を吹いて集まった人々を解散させた。 それから保衛部員は大声で叫んでチェ氏の妻と幼い子供たち二人を力づくで引きずり出した。 そしてチェ氏の家にいた服と穀物など、持って行ける物のを皆車に乗せ発車した。

 担当保衛員が町内の住民たちに流した話によれば現在、チェ氏の妻と2人の幼い子は咸鏡北道会寧市にある22号政治犯収容所に拘禁されているという。


事件関係者情報

被害者
・崔ヨンドク(2009年当時30代始め、男、咸鏡北道会寧市望洋洞22班居住)
・崔ヨンドクの妻(年齢未詳、女、咸鏡北道会寧市望洋洞22班居住)
・崔ヨンドクの子女二人(2010年当時10歳未満)

加害容疑者(機関)
・咸鏡南道咸興市鉄道保衛部

情報提供者
・情報提供者は2011年入国者で上の事件を直接目撃した後証言したが、自身の身辺安全上の理由から実名の公開を許諾していない。


情報出処及び検証

情報の出処 : (社)北朝鮮人権情報センター人権調査面接紙
情報受付時期 : 2012年1月
情報受付場所 : 北朝鮮人権記録保存所 調査室
情報受付方法 : 面談調査
情報取得および事件分析者 : 北朝鮮人権情報センター研究員
検証者 : 北朝鮮人権情報センター北朝鮮人権事件リポート検証委員会


事件に関する背景の知識及び情報

 北朝鮮の政治犯収容所は、政治的事件に関連した関係者とその家族を公式的裁判手続きなく受け入れ、苛酷に処罰する社会から隔離した特別拘禁施設である。 北朝鮮の政治犯収容所に対する名称は多様だが、韓国では主に‘政治犯収容所’と命名されているが、北朝鮮内部では‘管理所’と‘完全統制区域’、‘閉じられた区域’等と呼ばれている。 その名称から知られるように政治犯を管理する所として知られているが、北朝鮮当局が規定する政治犯の定義は明らかになったことがない。

 政治犯収容所は北朝鮮の‘恐怖政治の核心’と見ることができる。 北朝鮮住民たちは国家安全保衛部によって政治犯として逮捕され政治犯収容所に収監される場合、本人はもちろん家族まで連座して処罰されることを認識しているので、政治犯収容所に対する極度の恐怖心を持っている。 北朝鮮当局はこのような恐怖心を活用し、住民の生活と思想を徹底的に統制して、閉鎖的な北朝鮮体制をかたく維持しているのである。

 しかし北朝鮮法律と行刑体系から、政治犯収容所の名称と設置、運営根拠を明示している関連規定は現在まで明らかになっていない。したがって北朝鮮の政治犯収容所の概念と運営現況および実状は、経験者と関係者の証言に依存する外はない。

 現在運営中の北朝鮮の政治犯収容所は人民保安部が管理する18号北倉(プクチャン)収容所と国家保衛部が管理する14号价川(ケチョン)収容所、15号燿徳(ヨドク)収容所、16号化城(ファソン)収容所、22号会寧収容所がある。 特に本事件の被害者が収監されていると知られた22号会寧収容所は、1973年に設立された後1990年に拡大して今でも運営中であり、咸鏡北道会寧市の仲峰洞(チュンボンドン)-屈山里(クルサルリ)-行営里(ヘンヨンリ)-洛生里(ナクセンリ)-沙乙里(サウルリ)にかけて位置している。 この収容所の行営地区だけでも一万人余りの収監者がいるということが、22号政治犯収容所経験者の証言によって確認された(NKDB北朝鮮政治犯収容所の運営体系と人権実態)。 2009年国家情報院の発表によれば22号収容所には、総5万人程の政治犯が収容されている。

 北朝鮮政治犯収容所の収監者はほとんど、自分自身の過ちでなく連座制によって収容されていて、彼らは調査と裁判過程が省略されたまま収監されるので、自身の罪名は勿論刑期も知らない状態で生涯を過ごして行く。 完全統制区域で終身刑で暮しているので、釈放という一抹の希望や夢もなく、肉体の生存のための動物的な生活を送っているのだ。 政治犯収容者のこのような心理的、情緒的苦痛の他にも収容所内の徹底した抑圧と統制、相互監視体制、そして生存を脅かす足りない食べ物と過酷な労働のせいで、収監者たちは常に生命の危険に曝されている。 収容所の収監者には人間らしい生存に必要な最小限の基本権、すなわち衣食住と保健、医療、教育、作業環境などが全く保障されていないので、彼らは過去の奴隷制社会の奴隷と違いのない取り扱いを受けている。 現在14万人余りの北朝鮮人民が「政治思想犯」として政治犯収容所に収監され、残酷な人権蹂躪にあっている。

 北朝鮮人権情報センターの調査結果によれば2011年8月を基準として、政治犯収容所に不法拘禁された申告件数は2,358件である。


事件関連北朝鮮法規および国際人権条約違反事項

1.10歳未満の児童の拘禁
・「朝鮮民主主義人民共和国刑法第2章1節11条(刑事責任年齢)」
- 犯罪を犯した当時、14歳以上の者に対しでだけ刑事責任を負わせる。
・「朝鮮民主主義人民共和国児童権利保障法第5章司法分野での児童権利保障(児童に対する刑事責任の追及および死刑の禁止)」
-14歳に至らない児童には刑事責任を負わせず、犯罪を犯した当時14歳以上に達した児童に対しては死刑を適用しない。

・「児童の権利に関する協約第37条(a)項」
- いかなる児童も拷問または、その他残酷だったり非人間的で屈辱的な待遇や処罰を受けない。 死刑または釈放の可能性がない終身刑は、18歳未満の人が犯した犯罪に対して科してはならない。
・「児童の権利に関する協約第37条(b)項」
- いかなる児童も違法に、または恣意的に自由を剥奪されない。 児童の逮捕、抑留または、拘禁は、法律に従って行われなければならず、ただ最後の手段として、また適切な最短期間の間だけを使用されなければならない。
・「児童の権利に関する協約第37条(c)項」
- 自由を剥奪されたすべての児童は、人道主義と人間固有の尊厳性に対する尊重に立脚し、そして彼らの年齢上の必要を考慮して処遇されなければならない。

2.不法拘禁
・「市民的および政治的権利に関する規約(B規約)第3部9条1項」
- すべて人は身体の自由と安全に対する権利を持つ。 誰もが恣意的に逮捕されたり、または抑留されない。 どこの誰も法律に定めた理由および手続きに沿わずには、その自由を剥奪されない。
・「市民的および政治的権利に関する国際規約(B規約)第3部9条5項」
- 不法な逮捕または抑留の犠牲になった人は、誰でも補償を受ける権利を持つ。

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