RFA 2012.03.13 (一部抜粋) | 翻訳・掲載:2012.03.14
http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/eysajan-emet-03132012142452.html
2009年7月5日に起きたウルムチ大虐殺の際に、中国の武装警察隊が行ったウイグル人の一斉拘束・逮捕運動で警察隊に連行されたまま失踪してしまっているウイグル人が大勢いる。警察隊に連行されたまま失踪してしまっているウイグル人の家族らがここ数年間中国政府に繰り返し訴えを起こしたものの、まともに相手にされないまま苦しんでいる。当時ウルムチ市第84中学校学校食堂のコックだったエイサジャン・エメット氏が、そのような運命に遭ったウイグル人の一人である。彼のカシュガルに住む70歳の母親トルスンハンさんがRFAに明らかにした。
【中国の警察がウイグルで行っている冷酷残忍な弾圧の一例】(2009年7月、ウルムチ)
トルスンハンさんの話によると、エイサジャン・エメット氏は2009年7月5日の午後5時半頃に、バスに乗る為に人民広場のバス停に来たところ、デモ隊を鎮圧するためにやってきた武装警察隊が彼と妊娠中の奥さんを拘束した。その後、妊娠中の奥さんが釈放されたが、エイサジャン・エメット氏の生死を含む一切の消息が未だに不明となっている。
トルスンハンさんはこれまでに、彼の奥さんと子供を連れてウルムチに7回、北京に2回足を運び、警察に拘束されたまま消息不明となっている息子について中国当局に訴えたが、生死を含む一切の情報を得ることができなった。この悲劇のせいで、トルスンハンさんの健康状態も大きく悪化してしまったという。
ウルムチ事件当日人民人場から警察に連行されたエイサジャン・エメット氏、未だに一切の消息不明
http://www.uyghurcongress.org/jp/?p=3960